パンドラの書
"パンドラの箱"とは"さまざまな災いを引き起こす原因となるもののたとえ"である。
したがって、私はこれを元に、"パンドラの書"という名前をつけた。(個人的にコッソリと)
そのノートは私とノエル、チーム人外にしか見せていない。
その書の正体とは…。
♢♦︎♢
私たちは採寸を終えて、しばらくゆっくりすることになった。
「今日は初日ということもあって、採寸以外の予定はないんだ。それでも忙しくなるだろうと予想していたからね。まさかここまで余裕とは思わなかったんだ。」
レオンさんが紅茶を口にしながら言った。
現在、人払いしてあって部屋には私、ノエル、レオンさんの三人しかいない。いや、正確には三人しか人間はいない。
忍者の集落の人たちからしたら、貴族の屋敷なんて入り込み放題らしいし、私の腕には瑞稀がいる。
「何かしたいことはあるか?」
レオンさんに尋ねられるが、特にない。
「ノエル、何かやっておくべきことはある?予定関係ならノエルの方が詳しいでしょう?」
私はノエルに早めに終わらせておきたい仕事について尋ねた。
「急ぎのものはないよ。明後日の授業の準備は済ませてある。だから、強いて言うなれば、集まった手紙の処理かな。あとは、姉さんが言っていた、読書感想文の見本を書きたいというやつ。僕らの勉強に使うならそれでもいいけど…」
ノエルの目線の先には可愛らしい小さな白蛇、もとい、鬼畜教師の瑞稀がいる。
「ここまでに随分とそちらに時間を割いてきたからね。どちらかというと、仕事の方がいいかもしれない。」
ノエルがうまく回避してくれた。よし。よし。流石にこれ以上英語は私が辛い。
「ならば、そうしようか。俺も二人の仕事に慣れたいし。」
マジで手伝うつもりだったんですか?
「姉さんには、姉さんしか処理できないものを纏めて渡します。それ以外の時間は読書感想文でも進めていてください。」
「わかりました。」
「レオンさんは…そうですね。貴族関連からの手紙の処理をお願いできますか。」
「分かった。そちらの方面なら問題ない。」
「では、僕はあのノートを進めておきます。なんかあったら言ってください。」
あぁ、あのノートか。
分析は計算の割合が多いからノエルか私にしかできない。
最近はノエルが算盤を覚えたから私よりも早い気がする。気がするだけ。
「板についているな。」
それは私もそう思う。
ノエルはスケジュール管理をして人に仕事を任せるのが上手いのだ。
ふと肩を突かれた。
「ん?」
誰かと思ったら楓だった。
「手紙。2枚ある。返事は適当に呼んで。」
それだけ言い残して彼女は消えた。
それらの手紙はドワーフからとサエラさんからだった。
「これも私の担当ね。」
私たちはそれぞれ作業を始めた。
私はまず、タイプライターに向かって、手紙を読みながら文字を入力していく。
大まかには以下のようなことが書いてあった。
発電に成功、古き論文にあった太陽光パネルというものが利用可能そうだ、これからは風車・水車以外の発電方法を検討する。電気の使用方法について案があれば纏めてほしい。
タイプライターの世界言語版が完成間近である。完成したら贈呈する。
ある古き論文に関する意見が欲しい。同封した。
自転車については王都に1台、屋敷に1台贈呈する。
あ、そう。
って感じである。
勿論、タイプライターや自転車については小躍りしたくなるほど嬉しい。
英語で手紙が来るが、2枚目には必ずこの世界の言葉で記されているのがありがたいところ。
だが、問題は論文の方だった。
その論文は全て英語で書かれていて、読み解くのが難しい。
こちらには瑞稀がいるが、向こうが分からないと投げているとなると、分からない可能性が高い。
論文の題名は"Alternative material for plastic" (「プラスチックの代替素材」)
In the plastic-filled world which I used to live, avoiding plastic can be pretty challenging.
While it is an important material for the economy, providing multiple benefits to modern day living, plastic can take thousands of years to biodegrade. It takes up valuable space in landfill sites and is polluting the natural environment, having a significant impact on our oceans.
こうやって始まった論文。
最初から面倒な単語が羅列されている。
えぇっと…私が住んでいたプラスチックまみれの世界では、プラスチックなしで生活するのがすごい挑戦となりうる?
この"while"は何者か?通常ならば~する間とかだが、この場合は、〜とはいえ、かな?~する限りかな?
プラスチックは重要な素材である、その経済にとって。
とりあえず、プラスチックの害について書いてあることは分かった。
で、そのプラスチックに変わる素材のための論文であることも。
あとは、瑞稀に聞こう。
「なんじゃ、もうやめるのか。」
瑞稀が顔を出した。
「分からない単語が多いもので、後に回そうかと。」
「その論文は我も分からないものが多いのじゃ。説明を聞いても、それの意味が分からない。だからドワーフも質問したのじゃろう。その題名にもあるplasticが既に我らには分からないのだから。」
驚いた。
諦めたところに呆れられるのかと思ったけど。
「なるほど。それで私にお鉢が回ってきたと。」
「辞書になら意味があるかもしれんな。その意味を誰も分からなかったということだが。」
「辞書?」
「英英辞典じゃよ。」
うわ、終わったわ。
「また、頑張るよ…。」
私に返せる言葉はそれだけだった。
[ I'll read the paper. Please give me time for a while. (その論文を読むよ。しばらく時間をください。) ]
私はそう手紙に書き記した。
その他に関しても感謝を綴って、あとは、色々書いた。
サエラさんの手紙にも返事をしたあとは、読書感想文用の本を読んだ。初めてではなかったので、読みながら感想をまとめ、要旨を纏めた。私は2つの読書感想文を書く。そのために必要な情報をノートに書き殴った。
一つは私が本気で書く、本の一番伝えたいことに対して自分の意見を書く読書感想文、もう一つは、手本になるような、心に残ったところをわかりやすくいくつか提示した読書感想文。正直、前者の方が楽だったな。後者は分かりやすい言葉、真似できそうな構成、などを意識したため、余計に大変であった。尚、鋭意製作中だ。
そして、読書感想文に入り込めなくなってくると、私はドワーフからの手紙のうち、一つを取り出した。それはキーボードの絵が書かれていた。今度贈ってくれるこの世界の文字のためのタイプライターのタイピングに慣れるためだ。正直、慣れるまでは大変だろうが、慣れた後が楽だ。何度も何度も繰り返し練習した。指の置き場は前ので学んでいるため、前のアルファベットのものに引っ張られないことが大事である。ちゃんとFJの位置にあるキーには、突起がつけられるそうだ。これでブラインドタッチもすぐにできることだろう、否無理だろうが、なんとか頑張ろう。
こうして、私たちは初日を過ごし、夕食の時間を迎えた。
「レオンさんの仕事が早くて驚きました。姉さんだってそんな速度では捌かないのに。」
ノエルが唖然としていたのはレオンさんの仕事速度だった。
正直、私は集中していたため、全く耳にも目にも入ってこなかったが、仕事を振り分けていたノエルは違ったんだろう。
「これは、レオンさんにも先の計算教えて分析に回ってもらったほうが早いと思い始めた。」
ノエルは今後の仕事計画を見直しているらしい。
優秀な弟を持って私は嬉しいよ。
「姉さんは、どう?」
「なんとか纏まりそうだよ。明日には完成すると思う。あれだけ時間あればじっくり取り組めるよ。問題は評価方法だけど。」
「その様子じゃ大丈夫そうだね。」
「あ、ノエルも試しに書いてみてくれる?参考にしたいの。」
「分かった、うまく時間を調整してみるよ。」
そう、添削の、ね。
「二人はいつもそんな感じか?どんどん進んでいくな。」
「これくらいでないと、仕事が追いつきませんから。」
「下手な大人なんかよりもずっと優秀だな…。見習わせたいよ。」
レオンさんはため息をつきながら言っていた。
そう、ノエルは天才なのですからっ!!
努力も欠かさない、完全無欠の。
私なんかとは違う。
でも、そのノエルに早いと言わしめるレオンさんの書類捌き、恐ろしいものだな。
あー、パソコンが欲しい。
そんな会話をしながら、私たちは夕食の席に向かった。
「レオン、あなた、ドレスなんて適当に決めればいい、なんて言っていないでしょうね?」
女心舐めんなっ!という発言をしているイザベルさまに私は謝りたい。
レオンさんはそんなこと言ってない。
むしろ、それを考えていたのは私の方だと。
「まさか?姉上は俺がそんなことを言うと思うのですか?ちゃんと俺が選びました。」
「思うわよ。あんな冷めた目で女の子を見ているような弟だもの。というか、あなたが選んだの?」
「ちゃんとセシルの意見も聞きましたよ。」
聞いただけで、私の意見は受け入れられなかったけどね。
型の部分で首まであって長袖が受け入れられたのでそこまででもないけど、黒、茶、灰がいいという意見はどこかへ飛んでいってしまっていたからね。まぁ、ドレスとしてそれじゃマズイのも分からなくもないけれど。
「セシリアちゃんはそれでいいの?」
「はい。なにも問題ありません。」
私の言葉にも驚いたようだったけど、まぁ、いいでしょう。事実だし。
「レオンに脅されてない?大丈夫?」
「はい。脅されたりはしていませんよ。」
面白い人だなー。
なんか、嘘ついたらコロッと騙されてくれそうだ。
壺は買っちゃいけない、怪しげな壺は。
「ならいいけど、もしレオンが何かしたら言ってね?絶対成敗するから。」
過激な人だな。
公爵令嬢のイメージがどんどん崩れていく。
これが身内向けの性格だとしても、それを私に見せてもいいのか。
「セシリアちゃんにノエルちゃん、質問があるのだけれど。」
夕食の席でそう言ったのはロザリー様だった。
<登場人物>
セシリア・フォン・エマール 通称・セシル エマール伯爵家の長女 4歳
ノエル・フォン・エマール エマール伯爵家の長男 2歳
レオン・フォン・アズナヴール アズナヴール公爵家の長男/セシルの婚約者 7歳
エリク・フォン・アズナヴール アズナヴール公爵
ロザリー・フォン・アズナヴール アズナヴール公爵夫人
イザベル・フォン・アズナヴール アズナヴール公爵家の長女
ーセシル・ノエル付きの侍女ー
グレース 超ベテラン侍女
レーヌ
ネリー
ーセシル・ノエル付きの侍従ー
マックス
ダミアン
ヤニス
ジェローム・ブルナン 元魔術師団長
パンドラ
Pandora
ギリシア神話の人物。天上の火を盗んで人類に与えたプロメテウスの罪を罰するため,ゼウスがヘファイストスに命じてつくらせた最初の女性。絶世の美女であるうえに,アフロディテやアテナなどによって魅力と飾りでいやがうえにも美しく装われていたが,内部にはへルメスによって恥知らずの心と虚言と盗人の性質を入れられていた。プロメテウスの弟エピメテウスが,兄の戒めを忘れ,ゼウスから贈られた彼女を花嫁としてもらい受けてしまったために,以後人類は,すべての不幸の原因となる女たちとともに暮さなければならなくなったとも,パンドラが,中にすべての災いの詰っていたかめのふたを取り,世界中に災いをまき散らしたことが,人類の苦しみの原因であるともいわれる。パンドラがふたを閉めたとき,希望だけがかめの中に残ったという。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典




