没落令嬢フランセットは、娼館から脱出する
プルルンの体内は澄んだ湖のようで、空気もおいしく、かなり快適だ。外の景色がはっきり見える。
プルルンは窓から出て、壁の模様に擬態する。そのまま壁を伝い、這いながら下りていくようだ。かなり賢い。こうすれば、見張りの用心棒に見つからないで脱出できるだろう。
プルルン、頑張れと心の中で応援する。
ほんの数十秒で、地上に降りることに成功した。ホッとしたのもつかの間のこと。私がいた窓の扉が広げられ、酒焼けした女性の叫びが響き渡る。
「この部屋の女が逃げた! まだ近くにいるはずだ! 探してくれ!」
どうやら、部屋にいるか定期的に確認するつもりだったらしい。危ないところだった。少しでもためらっていたら、逃走準備している不審としか言えない状態を目撃されていただろう。
プルルンは石畳に擬態し、じっと息をひそめている。
娼館の周囲には用心棒の男達だけでなく、下働きの女性や男性も出てきて捜索が始まった。
どうにかしてここから遠ざかりたいが、下手な行動は取らないほうがいいだろう。
用心棒のひとりが、ピタリと足を止める。
「んー?」
「おい、新入り、どうした?」
「いや、微量な魔物反応があったのでな」
「魔物反応だあ? ふーん、お前、いい品を持っているじゃねえか」
「叙勲したときに、いただいてね」
「ははは! 花街の用心棒が受勲だあ? お前、おもしれーな!」
どこかで、聞いた覚えのある声が聞こえた。
いや、まさか、こんなところにいるわけがない。
それよりも、プルルンの気配を察知されているようだ。
どうにかして、逃げなければならないだろう。
「何をして、叙勲をもらったんだ?」
「いや、待て。それよりも、魔物が近くにいるらしい。警戒したほうがいいだろう」
「はあ?」
すらりと、鞘から剣を抜く音が聞こえた。
「ね、ねえ、プルルン、逃げたほうがいいかも」
『うん、わかってる。でも――』
「でも?」
「見つけた!!」
プルルンが擬態する石畳のすぐ隣に、剣が突き刺さった。プルルンは驚き、擬態を解いてしまう。
「スライムだ!!」
「おい、放っておけ。スライムなんぞ、下水道にいつも詰まっているだろうが」
「それでも危険だ! 魔物だぞ!」
「スライムなんぞ倒しても、銅貨一枚にすらならんぞ! 今は女将さんの命令を聞いて、部屋から逃げた女を捜すんだ!」
相棒の制止も聞かずに、男はプルルンを倒すために剣を振るい続ける。
『わっ、ひっ、わーーーー!!』
プルルンの眼前に、剣が迫る。
『やーー! プルルン、わるいスライム、じゃないのにーー!!』
咄嗟に奥歯を噛みしめ、瞼を閉じた。
しかしながら、衝撃は襲ってこない。代わりに、プルルンを襲っていた男の悲鳴が聞こえた。
「そのスライムは、私の親友です!! 手出しは許しません!!」
ハキハキとした、よく通る声――ガブリエルだ!
『ガ、ガブリエル~~!!』
「プルルン、よく無事で」
『う、うん』
「あなたが残していた魔力痕があったので、ここまでたどり着くことができました」
『うん、うん』
どうやら、プルルンはガブリエルが追跡できるような仕掛けを残していたらしい。本当に、なんて賢いスライムなのか。
「プルルン、フランがいるのは、ここの娼館ですか?」
『ううん、プルルンの口の中』
「は?」
『フラ、ぱくんって、のみこんだ』
呆気にとられるガブリエルの前に、私は吐き出される。
「フランセット!!」
石畳の道に頽れる私を、ガブリエルが支えてくれた。すぐに、上着を被せてくれる。
ガタガタと、震えているのに気づく。助かったとわかっていても、恐怖に支配されていた。
そんな私に気づいたのか、ガブリエルは優しく抱きしめてくれた。
胸がドキドキ高鳴り、じんわりと温かくもなる。
「ああ、フラン、怪我は、ありませんか?」
「ええ、ないわ。プルルンと、それからガブリエル、あなたのおかげで、助かった」
「早く、家で休みましょう。転移魔法を使いますが、よろしいですか?」
「ちょっと待って」
「なんです?」
目の前に倒れる男を見る。やはり――父だった。
「ガブリエル、そこで気を失っているのは、私の父なの」
「は?」
父はガブリエルからの攻撃を受け、失神しているようだった。




