没落令嬢フランセットは、思いがけない場所で目覚める
ズキン! という、強い頭痛で目を覚ます。これまで感じた覚えのない、強い痛みだ。起き上がろうとしたら再び痛みに襲われ、体に力が入らない。
瞼すら、開けられないくらいだ。
周囲に漂う強い麝香の臭いに、鼻が麻痺しそうだ。スライム大公家に、この香水を使っている者はいなかったはずだが……。
ふいに、人の気配を感じる。
「おや、目が覚めたのかい?」
酒焼けしたような、女性の声。聞き覚えはもちろんない。麝香の香水をまとっているのは、彼女だろう。
スライム大公家のメイドや侍女ではないだろう。瞼を開くと、部屋が暗くて確認できなかった。魔石灯で顔を照らされ、眩しくなって目を閉じる。
「顔色は悪いし、元気はないねえ。薬を盛りすぎたのかもしれない」
「……薬?」
「ああ、そうだ。あんたを大人しくさせるために、グリエットの旦那が部下に盛らせたようだ」
「グリエットの旦那?」
「クレマン・ド・グリエットだよ」
クレマン・ド・グリエット――ガブリエルの大叔父の名前だ。
ここで、ぼんやりしていた意識が鮮明になる。
私は早朝、アクセル殿下を見送るときに、ガブリエルの大叔父に会った。
そして、庭に潜んでいた男に羽交い締めにされ、無理矢理薬を嗅がされたのだ。
目のチカチカが治まったので、瞼を開く。
私を見下ろすのは、四十代くらいの化粧が濃い細身の女性だった。胸元が大きく開いた、派手なドレスをまとっている。
「ここは、どこ?」
「トンペットの花街の娼館、人気店の〝エトワール〟だよ」
「花街!? なぜ、そんなところに!?」
トンペットと言えば、スプリヌ地方を抜けた先にある、商人達の宿町である。
治安はあまりよくないと、以前誰かから聞いた記憶があった。
起き上がろうとしたが、頭がズキンと痛んだ。うめき声をあげ、ごわごわした布団に沈む。
「薬が抜けきるまで、商売は無理だねえ」
「商売!?」
魔石灯を持つ中年女性は、にんまりと笑いながら言った。
「あんたは、グリエットの旦那に売られたんだよ」
「なっ――!?」
「何をしたのか知らないけれど、腹を括ることだね」
私が、娼館に売られた!?
いったいどうして? と疑問に思ったものの、すぐにガブリエルの大叔父の言葉を思い出す。ディアーヌとリリアーヌのどちらかをアクセル殿下に嫁がせ、残ったほうをガブリエルの妻にさせると。
その計画を実行するためには、私が邪魔だったようだ。
勝手すぎる行動に、怒りがこみ上げる。
けれども、怒っている場合ではなかった。
「私、無理矢理連れてこられたの! 騎士隊に連絡していただける?」
「騎士サマを呼べって、面倒ごとはごめんだよ」
「でも私、売りに出されるような者ではなくて――」
「知らないよ。うちはグリエットの旦那からあんたを買ったんだ。損になるような行為を、するわけないだろうが」
大きな衝撃を受ける。まさか、娼館に売られてしまうなんて……。
「今日は薬が抜けきっていないようだから、客の相手は免除してやるよ。明日から、キリキリ働くんだ」
食事を取るように言われる。寝台の傍にある円卓に、魔石灯とミルク粥が置かれた。
「ここから逃げようと、考えないことだね。用心棒を雇っている。地の果てまで追いかけるから、心しておくように」
そんな言葉を残し、中年女性は部屋からいなくなる。
コツコツコツという足音が消えてなくなると、特大のため息がでてきた。
「いったい、どうすればいいの……」
『フラ!』
「ん?」
『フラ、ここ!』
手首に巻かれたリボンから、プルルンの声がする。魔石灯を手に取り、照らしてみた。
すると、リボンが形を変え、プルルンの姿になった。
「プルルン!」
『うん!』
布団の上でポンポン跳ねるプルルンを、抱きしめた。
不安で締めつけられるようだった心が、和らいでいく。
「プルルン、どうしてここに?」
『フラが、にわにでたとき、いっしょに、ついていっていたの』
なんでも私を驚かそうと、庭の木陰に隠れていたらしい。けれども、私が連れ去られそうになる場面を目撃し、慌ててリボンに変化して巻きついていたようだ。
「あ、そうだ! プルルンがここにいるなら、ガブリエルは私達の居場所がわかるわよね?」
以前、ガブリエルが話していたのだ。プルルンとは契約で結ばれていて、どこにいても居場所がわかると。
もしかしたら、今日中に助けてくれるかもしれない。
だが、プルルンは申し訳なさそうな顔で俯く。
「プルルン、どうしたの?」
『ガブリエルとのけいやく、きのう、はき、した』
「え、どうして!?」
『けんか、したの』
昨晩の出来事を、プルルンは語り始めた。




