没落令嬢フランセットは、ドラゴン大公の出発を見守る
アクセル殿下は、地平線に太陽が顔を出すような時間帯に帰った。
見送りはいいと言うので、私はひとり庭から飛び立つ様子を見上げる。
流れ星のように、光りの尾を引いてドラゴンが飛び立っていった。
まさか、アクセル殿下が後見人になって、婚約と結婚を許可する手続きをしてくれるとは。人生、何が起こるものかわからない。
行方不明になった父を待つという、健気な気持ちはいっさいなかった。
可能であるならば、すぐにでも結婚したいくらい。
一刻も早く、スライム大公家の一員になりたいという、強い願望があった。
以前、ディアーヌとリリアーヌにスライム大公家の人間でないのに、大きな顔をしていると言われた件が心に刺さって、傷跡のようにいつまでも残っているのだろう。
ふう、とため息を零す。
庭にはゼラニウムが美しく咲き誇っていた。過去に言われた言葉を思い出して、ささくれていた心が少しだけ癒やされる。
そろそろニコが部屋にやってくる時間だろう。戻らなければならない。
振り返った瞬間、背後に人の姿があったので驚いてしまった。
モーニングコートをまとう、七十代後半くらいの紳士。髭をたくわえ、貫禄たっぷりな様子で私を見つめる。
「あなたは――?」
「いやはや、このようなところで会うとはな」
シルクハットを僅かに上げ、自らを名乗る。
「クレマン・ド・グリエット。スライム大公ガブリエルの大叔父だ」
「ああ、あなたが……」
ふと、ガブリエルの言葉が甦る。
――離れた場所に大叔父や叔母など、親戚が数名住んでいます。接触はほとんどありませんが、顔を合わせた際は、非常に濃く、酷く不快な時間を過ごしています。
ディアーヌとリリアーヌの祖父であるガブリエルの大叔父は、親戚の中でも要注意人物のひとりだと言っていたような。
なぜ、このような時間帯に、スライム大公家にやってきたのか。
問いかける前に、語り始める。
「一度アクセル殿下に面会して、孫のどちらかを娶ってくれないか、頼みにきたのだ。ただ、一歩遅かったようだな。しかしまあ、孫娘達はアクセル殿下に印象を残しただろう」
後日、申し入れがくるはずだと、自信満々な様子だった。
ディアーヌとリリアーヌの様子やアクセル殿下の反応を見ていないので、そのように言えるのだろう。
「ふたりは引く手あまたで、結婚相手を誰にしようか迷っていたところだった。まさか、アクセル殿下がわざわざやってくるなど、考えてもいなかった。僥倖だ」
初対面の、よく知りもしない相手にべらべらよく喋る。意図が掴めず、返答に困った。ガブリエルがいるのならば、このように話し込む理由もわかるのだが……。
「ひとつ、頼みがあるのだが、叶えてもらえないだろうか?」
「内容によります」
「そうだろう、そうだろう。何、難しい話ではない」
提案された頼みは、とんでもないものだった。
「どうか、身を引いてもらえないだろうか?」
「身を、引く?」
「ああ、そうだ。ディアーヌとリリアーヌのどちらかをアクセル殿下と結婚させて、残ったほうをガブリエルと結婚させたい」
「それは――」
「何、無償でとは言わん」
懐から取り出されたのは、二十万フランの小切手だった。それを、私に差し出す。
なんでも、父がマクシム・マイヤールの妻と駆け落ちし、賠償金を請求された噂話を耳にしていたらしい。
たしか、ガブリエルの大叔父は噂話の類いが大嫌いだという話を聞いていたのだが。時と場合によるのかもしれない。
「これで、婚約の約束は解消されるだろう」
「……や、です」
「なんと申した?」
「嫌だ、と言いました」
「なぜ? もしや、スライム大公家の財に、興味があるのか?」
「いいえ。そういったものには、まったく興味はありません」
私が大事に思っているのは、ガブリエル――それから、プルルンをはじめとする使役スライムや、スライム大公家に関わる人達との絆だ。
お金と引き換えに、得られるものではないだろう。
「私は、ガブリエルを心から愛しています。たとえ、彼が無一文になろうと、縁を切るつもりはいっさいありません」
「それは困った。ならば、別の手を打たせてもらう」
「別の手?」
ぞわっと、背筋に悪寒が走った。それと同時に、背後から羽交い締めにされてしまう。
口元を布で覆われた。
何か薬を染み込ませていたのか。吸い込んだ瞬間、意識が混濁する。
足下がふらつく。そう思ったのと同時に、意識を失った。




