没落令嬢フランセットは、カエル釣りを見守る
なんでもカエルは、目の前にある動く小さなものを食べ物だと思い込む習性があるらしい。
そのため、湖へ放った釣り竿を握った手首を細かく動かし、カエルを引きつけながら釣るようだ。
ガブリエルは幼少期に、よくカエル釣りに来ていたらしい。アクセル殿下は毎年、狩猟シーズンになると、ぼんやりカエル釣りをしていると話していた。
景色は霧で霞み、湿気がとんでもない。
レースやリボンたっぷりのドレスで参上したディアーヌとリリアーヌは、鳥の翼みたいにパタパタと扇をあおいでいる。
私や義母は、スプリヌ地方産の涼しい素材で作られたドレスをまとっているので、まあ、少々暑いと感じる程度だ。
相変わらず、姉妹はアクセル殿下に話しかけ続けている。正直、迷惑だろう。
義母が邪魔だと怒っても、聞く耳なんて持たなかった。
「そろそろ、制裁が下される頃でしょう」
「ええ」
少々気が利かない義母と私は、いまだカエル釣りにきたと姉妹に説明していない。
そのような状況の中、固唾を呑んでアクセル殿下の釣りを見守る。
ついに、アクセル殿下が操る竿の先端が強くしなった。
ディアーヌとリリアーヌは手を叩き、応援する。
そして――カエルが地上へ姿を現す。
アクセル殿下の拳より一回り以上も大きな、立派なカエルであった。
カエルを目にしたディアーヌとリリアーヌは、悲鳴をあげる。
「きゃーーーーーーー!!」
「なんですのーーーー!!」
手にしていた扇や傘を投げ出し、回れ右をして、必死の形相で駆けてくる。
「やだやだやだやだ!!」
「気持ち悪い、最悪!!」
文句を言いたいのか、怒りの形相でこちらに向かって走ってきた。義母に飛びかからないよう、一歩前に出る。
取っ組み合いの喧嘩になったらどうしようか。
一応、社交界デビューする前に護身術は一通り習った。だが、股間を狙った打撃や、目潰しは女性相手に行うものではないだろう。
どうすればいいものか。考えている間に、まさかの展開となる。
ディアーヌとリリアーヌは同時に地面のぬかるみに足を取られ、転んでしまった。
「へぶっ!!」
「どわっ!!」
地面は雨と霧でひたひただった。起き上がった彼女らのドレスは、一瞬にして泥だらけとなった。
「ひ……酷い、わ!!」
「あ……悪夢、よ!!」
こちらを見ながら、責めるように言う。まるで私がすべて悪いと訴えているようなものだった。
「ぜんぶぜんぶ、フランセット、あなたが諸悪の根源ですわ!!」
「父親と同じように、アクセル殿下に色目を使って、私達を陥れようとしていたのでしょう!?」
義母が立ち上がり、怒りの形相で物申そうとする。私はそれを制した。
朝から叫び続けたせいで、義母の声は嗄れていたのだ。これ以上、喉に負担をかけさせるわけにはいかない。
意を汲んでくれたのか、義母は立ち上がる。事情を説明するため、アクセル殿下のもとへと向かったようだ。
このままであれば、アクセル殿下がやってきて彼女らに手を差し伸べるだろう。それを阻止するためでもあるのかもしれない。
ディアーヌとリリアーヌは、顔まで泥だらけだった。美しく結い上げていた髪も崩れ、見るも無惨な状態である。
どうにもならない鬱憤を、目の前にいた私で晴らそうとしているのだろう。
ふたりの非難するような視線を前にする中で、ふと思い出す。姉が婚約破棄されたとき、これまで傍にいた人達がいっせいに離れていったのを。
皆、責めるような視線を向けていたのだ。
悲しかった。辛かった。
あのとき、ひとりでもいいから、手を差し伸べて欲しかったのだが、難しい話だったのだろう。
皆、長いものに巻かれて生きるほうが、楽だと知っているのだ。
ディアーヌとリリアーヌの怒りと共に発せられた主張は的外れで、見当違いだ。
ただ、同じ熱量で指摘するのはよくないだろう。
まずは、ハンカチをそれぞれ差し出す。奪い取るように、手から消えていった。
一枚では足りないだろう。
姉妹を放置し、ガブリエルのほうへ頼み事をしにいく。
「あの、ガブリエル、ちょっといい?」
「なんでしょうか?」
「あなたの再従姉妹が、転んで泥だらけになってしまったの。スライムの力を借りて、きれいにしてあげたいのだけれど」
「放っておいていいのでは? 自業自得ですよ」
「いじわるを言わないで。お願い」
ガブリエルは釣り竿を置き、立ち上がってディアーヌとリリアーヌの様子を見る。はーー、と深く長いため息をついた。
「フラン、お人好しが過ぎます。あなたがあの姉妹に助けの手を差し伸べても、感謝のひとつもしないと思いますよ」
「別に、それでいいわ」
「は?」
「感謝されたくて、するわけではないから」
「では、なぜ助けてほしいと訴えるのですか?」
「同じような目に、私も遭ったことがあるから」
姉が婚約破棄と国外追放をされた場で、私までも罪人のような扱いを受けた。
「当時を思い出すと、泥を被ったような気分だったと、泣きたくなるわ。彼女達は実際に、泥だらけになっている。あの時の私よりも、辛い思いをしているはず。だからお願い。ディアーヌとリリアーヌを、助けてあげて」
「フラン……」
ちらりと、ディアーヌとリリアーヌを見る。
気合いを入れてめかしこんだ姿が、一瞬にして泥だらけになってしまった。
始めこそ強気でいたものの、今は泣きそうな表情を浮かべている。
正直な気持ち、「ほら見たことか」という気持ちはある。けれども、目の前で泥だらけになった姉妹を、見て見ぬふりをすることはできなかった。
「わかりました。あなたの優しい心に免じて、彼女達を助けて差し上げましょう」
「ガブリエル、ありがとう!」
義母と話をしていたアクセル殿下も、姉妹を気にしているようだった。ガブリエルが助ける旨を説明すると、ホッとした表情を見せる。
やってきたガブリエルに対し、ディアーヌとリリアーヌは噛みつくような発言を投げかけた。
「ガブリエルお兄様、私達を、笑いにきましたの!?」
「ざまあみろって、思っているのでしょう?」
「違いますよ。フランがあなた方のドレスをきれいにするように懇願してきたので、仕方がなくやってきただけです」
「きれいに、なりますの?」
「ほ、本当に?」
「ええ。私の使役するスライムならば、それを可能とします」
ガブリエルが召喚の呪文を唱えると、赤、青、緑と三色のスライムが姿を現す。
『わー、どろだらけ』
『どうして、どうして?』
『みごとに、よごれている』
「お喋りはいいので、彼女達をきれいにしてください」
『りょうかい』
『はーい』
『わかった』
まず、その場でポンポン跳ね上がったのは、青いスライム。口から、水を発射させる。
「き、きゃあ!」
「な、なんですの!?」
「動かないでください。泥を落としているんです」
瞬く間に、顔やドレスの泥は落ちていった。続いて、緑のスライムが口から爽やかな風を吹きかける。森林の中にいるような、いい香りがした。消臭しているらしい。泥は独特の臭いを放っていたので、大事な工程だろう。
最後に、赤いスライムが熱風を吹きかける。ここでも、ディアーヌとリリアーヌは熱いだの苦しいだの、苦情を入れていた。ガブリエルは無視して、スライムに続けるよう命令する。
最後に、ディアーヌとリリアーヌの侍女が髪型を直してくれた。
あっという間に、泥を被った姿はきれいになった。




