没落令嬢フランセットは、スライムとお風呂に入る
念のため、スライムに問いかける。
「あの、ご主人様が見つかるまで、うちに滞在してもらうけれど、いい?」
『いいよう』
いいらしい。そんなわけで、人生で初めてスライム同伴で帰宅する。
自宅の門を開くと、アヒルが飛んできた。
「う、うわ!」
門が超えられるくらいの高い飛行である。アヒルは飛べないと聞いていたのだが……。
というか、あれだけ飛べるのであれば、いつでも脱走できる。
おそらく、できるけれどしないのだろう。
近所迷惑になるので、ここを気に入って定住地にしてくれてよかったと思う。
ガアガア鳴いて私の足下に付きまとうアヒルを、優しく撫でる。畑からニンジンを間引いたものを与えると、喜んで食べていた。
昼食はチーズグラタンでも作ろう。
その前に、スライムをどこに置いておけばいいものか。
「ねえ、あなた――あ。名前、聞いていなかったわね」
スライムというのは、種類名である。人に対して「人間」と呼びかけるようなものだ。
意思の疎通ができる以上、名前を聞いておいたほうがいいだろう。
カゴの中のスライムを覗き込む。つんつんと突いたら、パチッと瞼を開いた。
「あなたの名前を聞いてもいい?」
『なまえは、プルルン、だよお』
「プルルン……。わりと見た目そのままの名前ね」
一方的に名乗らせるのも悪い。私も名乗っておく。
「私は、フランセット」
『フラン』
「フランセット!」
『フラ!』
長い名前は覚えられないようだ。まあ、いい。
名前がわかったところで、質問を投げかける。
「プルルンは、落ち着く場所とか、のんびりできる場所とか、あるの?」
『おふろー!』
「ああ、なるほど、お風呂ね」
さっそく、浴室に連れて行く。魔石水道を捻って浴槽に水を満たす。
プルルンは喜んで、水に飛び込んでいった。
『はー、ごくらく、ごくらく』
「ごくらくって何?」
『わかんない』
「あ、そう」
ひとまず、プルルンはここに置いておいて。
朝に収穫したジャガイモを使って、チーズグラタンを作る。
これも、養育院で作っていた定番メニューである。
まず、ジャガイモを薄切りにしてバターで炒める。次に鍋にバターと小麦粉を入れて、牛乳を加えつつぐつぐつ煮込んだ。とろみがついてきたら、ホワイトソースのできあがり。
ジャガイモをグラタン皿に並べ、黒コショウをパッパと振る。上からホワイトソースを被せ、チーズをたっぷりとふりかけてオーブンで焼く。
表面にこんがり焼き色が付いたら、チーズグラタンの完成だ。
実家で食べていたチーズグラタンにはトリュフが入っていたが、これはこれでシンプルでおいしい。
庭で間引きしたニンジンで作ったサラダと、ソリンから貰った白パンを添えたら、立派なごちそうである。
グラタンはアツアツのうちに食べる。フォークでジャガイモを掬うと、チーズがみょーんと伸びた。ホワイトソースが絡んだジャガイモは、クリーミーな味わいになる。文句なくおいしい。口の中ではふはふ冷ましつつ、どんどん食べ進めていく。
途中から、ホワイトソースをパンの上に載せて食べる。小麦粉に小麦粉を合わせる食べ方だが、これが信じられないくらいおいしいのだ。
お腹いっぱいになったところで、しばし休憩する。
その前に、プルルンを確認しなければ。『きゃー』という声が聞こえ、ギョッとする。
浴室を覗き込むと、プルルンは満面の笑みを浮かべ、浴槽の中で沈んだり、浮かんだりを繰り返しているようだった。楽しそうだったので、そのまま放置しておく。
しばし休憩し、午後からは養育院へ持って行くお菓子を作る。
子ども達の大好物、〝修道女のため息〟だ。
簡単に言うと、一口大の揚げドーナツである。
子ども達が大好きなあまり、修道女がため息をつくほど作らされた――という由来は後付けらしい。
本当の名前は、〝修道女の屁〟。
詳しい話は存じないが、修道女の屁がきっかけでできたおやつなのだ。
鍋に牛乳、水、溶かしバター、塩、砂糖を入れて加熱する。沸騰したら火を止め、強力粉と薄力粉を加えて混ぜる。
生地がまとまってきたら、溶き卵を入れて練るように木べらを動かす。
生地がスライムみたいにとろーんと粘着質になったら、絞り袋へ詰めた。
温めた油に、生地を絞っていく。急いでいるときは、ナイフでどんどん削ぐように落としていくのだ。
生地はシュワシュワ音を立てて揚がっていく。
キツネ色になり、油にぷかぷか浮かんできたら掬い上げる。
油をしっかり切ったあと砂糖をまぶしたら――〝修道女の屁〟ではなく、〝修道女のため息〟の完成だ。
ひとつ、味見をしてみる。
表面はサクサク、中の生地はむっちり。素朴なおいしさがあるお菓子だ。
明日、渡そうと思っていたが、これはやはり揚げたてがおいしいだろう。
これから養育院へ持って行くことにした。
一応、プルルンに声をかける。
「プルルン、これから出かけてくるけれど、どうする?」
『んー、るすばん、してるう』
「そう。よろしくね」
『はあい』
留守番ができるスライム、優秀過ぎるだろう。
裏口から出て、養育院を目指す。門にシスターがいたので、手渡した。
「まあ! 〝修道女の屁〟! おいしそうですわ」
「シスター、それは〝修道女のため息〟よ」
「そうでしたわ。子ども達が使うものだから、つい」
子ども達の顔を見ていこうと思ったが、シスターに止められる。
「早く帰ったほうがよろしいかと。ガラの悪い男達が、誰かを探しているようで」
「まあ、怖い」
「なんでも、豪商の奥方に手を出した不届き者がいるとかで」
「まあ、酷い。天罰ね」
「本当に」
子ども達と遊ぶのはまた今度だ。こういうときは、さっさと帰って、お風呂に入って、早めに眠ったほうがいいのだろう。
「シスター、それではまた、ごきげんよう」
「ええ、ごきげんよう」
急ぎ足で帰宅する。
プルルンはお利口にお留守番をしていたようだ。
「あ、プルルン、お風呂借りていい? またあとで、水を張ってあげるから」
『おふろ、はいる?』
「ええ」
『あたたかい、ざぶーん、ごしごし?』
「そうよ」
『プルルン、できるよお』
「できる?」
プルルンの色が、透明から赤に変わっていく。水の表面に魔法陣が浮かび上がり――水が一瞬でお湯となった。
『ゆかげん、どー?』
「あ、いい感じ」
『やったあ』
お湯を沸かせるスライムなんて、天才の発想だろう。
プルルンのご主人様が教え込んだのか。
『みずはー、じょうか、して、きれいだよう』
「あ、そっか。ありがとう」
スライムが入っていたお風呂に、なんの疑問も持たずに入ろうとしていた。
魔物は雑菌の温床である。ついつい、失念していた。
きれいにしたという言葉を信じ、入浴させていただく。
脱衣所に水を張った桶を置いたが、プルルンは浴槽に浸かったままだ。
「えーっと、プルルン、一緒に入ってもいいの?」
『いいよう』
「で、では、お邪魔します」
服を脱いで、浴室に入る。まずは体を洗ってから。
石鹸に手を伸ばした瞬間、目の前からなくなった。
「え!?」
『ぶくぶくー』
声がしたほうを見ると、プルルンが石鹸を猛烈に泡立てているではないか。
『あらいますー』
「なっ、えっ、嘘ーーーー!!」
泡を纏ったプルルンが、私の体を洗い始める。
「あ、あはははは、あははは、くすぐった、あははっは!」
『かゆいところは、ないですかー』
「いや、な、ないけど、あはははは!」
古い角質が剥がれ落ち、全身ツルツルぴかぴかになった。




