没落令嬢フランセットは、自らの感情に気づく
ガブリエルは右目に片眼鏡を装着していた。そういえば、先ほどニコが義母とのもみ合いで眼鏡を壊したと話していたような……。
私が質問するより早く、アクセル殿下が疑問を投げかける。
「スライム大公、いつもと眼鏡が違うようだが?」
「先ほど、壊してしまったのですよ」
ガブリエルは恨みがましいような視線を義母に向けていた。一方で、義母は顔半分を扇で隠し、明後日の方向を向いている。なんというか、強い。
「左目は矯正しなくてもいいのか?」
「ええ。もともと、悪いのは右目だけなんです」
なんでも幼少期にスライムに襲われ、右目に攻撃を受けてしまったらしい。スライムの液体が目に入り、視界がぼやけるようになってしまったのだとか。
「ではなぜ、片眼鏡ではなく、普通の眼鏡をかけていたのだ?」
「それはですね――!」
いつもの眼鏡のブリッジを押し上げる動作を取ったのだが、片眼鏡なので鼻で固定されている。それに彼自身も気づいたのか、若干恥ずかしそうにしていた。
「普段かけていた眼鏡は、スライムレンズを使ったもので、外で姿を隠すスライムをいち早く発見できる機能が付いているのです」
「なんだ、その発明は。そなたは天才か」
真顔で、アクセル殿下がガブリエルを褒める。思いがけない言葉だったからか、ガブリエルも目を丸くしていた。
「スライムレンズというのは、いかにして思いついた?」
「道ばたで干からびたスライムを発見し、拾ったんです」
干からびたスライムは厚いガラス状になっていて、透明度はかなり高い。透かしてみたところ、突然淡く光ったらしい。
「まだ生きているのかと思って驚きましたが、スライムは確実に死んでいました。ならばなぜ光るのか。それは、仲間に死骸を食べさせ、魔力を取り込ませるために光っているのだと、テイムしているスライムから教わったんです」
スライムは互いに食い合い、命を継続する本能があるらしい。死んだあとも、同じスライムに残存魔力を与えるため、自らの存在を主張するのだという。
光る方向を調べたところ、姿を隠したスライムを発見した。
「これを利用したら、スライムを発見できる探査眼鏡を開発できると気づいたわけです」
スライム同士が呼び合う波長を遮断し、眼鏡をかけた者が一方的に感知できるよう調整。こうして完成したのが、ガブリエルがいつもかけている眼鏡だったという。
「なるほど。その眼鏡は、他の魔物に応用できないのだろうか?」
「それに関しては、私も考えたことがあるんです」
魔法を使える者同士、何やら盛り上がり始めた。魔法が使えない私と義母は置き去りである。
あとは若いふたりで……。義母はそう宣言し、私を引き連れて客間から撤退した。
居間にお茶を用意してもらう。香り高い紅茶を飲んだあと、義母は「ふう」とため息をついた。
「緊張しましたわ。まさか、アクセル殿下がいらっしゃるなんて」
「ええ、本当に」
「フランセットさん、あなたに会いにきたとおっしゃっていたけれど、まさか、アクセル殿下とただならぬ関係ではありませんよね?」
「なんですか、ただならぬ関係とは」
「恋を秘めるような相手だったのかと、聞いているのです」
「恋!? アクセル殿下と?」
そんなの絶対にありえない。アクセル殿下に恋心を抱くなんて恐れ多い。そう言い切ると、義母は驚いたような表情を浮かべた。
「わたくしなんてアクセル殿下にお会いした瞬間、秒で恋したというのに、あなたは恋に落ちなかったのですか?」
「落ちません」
たしかに、アクセル殿下は美丈夫という言葉を擬人化させたような存在で、人格も立派。誰もが恋するような存在だろう。
「私はアクセル殿下を、最初から雲の上にいらっしゃるような御方だと思っていました。隣に並ぶのは、姉のような完璧な女性だとも」
「あら、フランセットさん。あなたも完璧な淑女ではなくって?」
「私が、ですか?」
「ええ。礼儀正しいし、誰にでも敬意を払っているし、誇り高い意識を常に持っているし」
「あの、過大評価なのでは?」
「まあ! わたくしの人を見る目を、疑っていますの?」
「いいえ、そういうわけではないのですが」
まさか、ここまで義母から評価されていたなんて、思いもしなかった。
ありがたいというか、恥ずかしいというか。実の親でさえ、私をここまで褒めなかったというのに。
「わたくしは親馬鹿なので、息子を高く評価しておりました。けれども、アクセル殿下と並ぶと、スプリヌ地方の朝霧と同じくらい、息子の姿が見えなくなるくらいに霞んで見えてしまい……。ショックでした」
「そ、そんなことないです。ガブリエルも、アクセル殿下に負けず劣らず、立派な御方ですよ」
「フランセットさん……。アクセル殿下を隣にしても、息子をそこまで褒めてくれる女性はあなたくらいですわ」
「大げさな」
義母は深く長いため息をついたあと、本音を口にする。
「正直、アクセル殿下にフランセットさんを取られるのではないかと、危惧していましたの」
「ありえないです」
「仮に、ですが、アクセル殿下があなたを望んでも、手を取らないと?」
「ええ」
義母はこれまでにないくらい、まんまるの瞳で私を見る。口もぽっかり空いていた。扇で口元を隠すのを忘れるくらい、驚いているのだろう。
「王族の、しかも明らかに立派なアクセル殿下の手を取らずに、息子を選ぶ女性なんて、世界中探してもフランセットさんしかいないでしょう」
「言い切りましたね」
「もちろんです。こういうのを聞くのもなんですが、なぜ、息子なのですか?」
「それは――」
最初は、利害の一致で結んだ関係が気楽だった、というのもある。
同情され、婚約を結んだ関係ならば、私の心は冷え切ったままだったかもしれない。
けれども、ガブリエルは私を対等な相手として見てくれた。
それが、どれだけ嬉しかったことか。
父はずっと私に、貴族女性らしくあれと言い続けていた。
貴族女性らしくというのは、夫となる男性を立てて、家を守るような存在である。
自らが前にでて、働くなんてありえない。
メルクール公爵家が凋落してからはさすがに言わなくなったものの、お菓子を作って売りに行くことをよく思っていないのは明らかだった。
父は愛人に貢がせたお金を生活費として渡してきたが、私は一度も受け取った覚えはない。見ず知らずの女性に養ってもらうよりは、自分の身は自分で立てたかったのだ。
そんな暮らしが続いていたからか、婚約しても私はガブリエルを頼らなかった。
「ガブリエルは、ずっと、私のやりたいことを応援してくれるんです。それだけではなくて、こうしたほうがいいって、助言もしてくれて。いつもいつでも、優しく私を見守る瞳が、好――」
ここでハッと気づく。私はガブリエルのことが好きなのだと。




