没落令嬢フランセットは、スライムを拾う
スライム――体の九割以上が水で構成された、最弱と名高い魔物である。
戦闘職でない一般人でも、足で踏み潰したら倒せるくらい弱い。
無色透明の体には、魔力を蓄積させる中核があった。泥まみれだったので、気づかなかったのだろう。
つぶらな目が、付着した泥の間から覗く。元気がないのか、目をショボショボさせていた。
スライムだと気づいた瞬間、投げようとした。けれども、目が合ったのでできなかった。
澄んだ瞳の持ち主だ。それにもしも、敵意があればすでに私は攻撃されている。
ここは街中。魔物は大魔導師の結界で入れないようになっているのだ。
つまり、このスライムは手懐けさせた状態なのだろう。
おそらく飼い主がどこかにいるはずだ。
しばしスライムと見つめ合っていたが、いつまでもそうしているわけにはいかないだろう。ダメもとで問いかけてみる。
「あの、あなたのご主人様は、どこ?」
『わからなあい』
「し、喋った!!」
腰を抜かしそうになるほど、驚いてしまう。叫ばなかった私を褒めてほしい。
『み、みず……』
「水?」
『ひからびるう』
「ええっ、干からびる? ちょっ、ちょっと待って、耐えて!!」
近くに養育院がある。お菓子が入っていたカゴにスライムを入れて、慌てて駆けていった。
子ども達に見つからないように、裏口からそっと入る。
井戸に向かい、水を汲んで引き上げた。
どうしようか迷ったが、カゴに入れたまま水をかけてあげた。
『はあー、いきかえるうー』
泥が落ち、プルプルツヤツヤのスライムに生まれ変わった。ホッと胸をなで下ろす。
まだ水を欲していたので、桶に水を満たしてそこにスライムを入れてみた。すると、鼻歌を歌いつつ、泳ぎ始めた。
こうして見ると、スライムは可愛い。
私が魔物について詳しいのは、養育院の子ども達が〝魔物大公〟の物語を好んでいるから。
物語というよりは、歴史の記録と言ったほうがいいのか。
ほんの少し脚色されているだけで、そのほとんどが実際に過去に起こった大事件だという。
もう百回以上は読んだので、しっかり暗記していた。
スイスイ泳ぐスライムを眺めながら、七大魔物大公の物語を記憶から掘り起こす。
――かつて世界は最強最悪の、七体の魔物に蹂躙されていた。
強力なブレスで、街を一瞬にして焼き尽くす〝ドラゴン〟。
船で勇ましく戦う者達を、歌声ひとつで溺れさせた〝セイレーン〟。
ワイバーンに跨がって戦う空騎士を、魔法で次々と墜落させた〝ハルピュイア〟。
人々を喰らい、知能と力を得る〝オーガ〟。
出口のない大森林に人々を誘う〝トレント〟。
群れを率いて襲いかかる〝フェンリル〟。
底なし沼のように人々を呑み込む〝スライム〟。
暗黒時代は長くは続かなかった。七体の魔物を屠る者達が現れたから。
国王は魔物を倒した者達を英雄とし、王族に次ぐ権力を持つ爵位を与えた。
ドラゴンを倒した王子には、ドラゴン大公。
セイレーンを倒した漁師には、セイレーン大公。
オーガを倒した冒険者には、オーガ大公。
トレントを倒した木樵には、トレント大公。
フェンリルを倒した騎士には、フェンリル大公。
ハルピュイアを倒した神官には、ハルピュイア大公。
スライムを倒した地方領主には、スライム大公。
千年経った今でも、魔物大公は存在する。
ドラゴン大公は王家の中でもっとも剣技が優れた者に贈られる、名目だけの爵位であった。
ドラゴン大公で思い出す。
現在のドラゴン大公である第二王子アクセル殿下は、真面目で謹厳実直、徳や品位があり、教養もある非常にすぐれた御方だ。
姉はアクセル殿下と結婚するほうがよかったのではないか、と思うくらいである。
アクセル殿下は私にもお優しかった。未来の義妹として、気に掛けてくださったのだろう。
実家が凋落の目に遭った時も、行く当てがないのであれば、身柄を引き取るとまでおっしゃってくれたのだ。
もちろん、アクセル殿下のお世話になるわけにはいかないので、丁重にお断りしたわけだが。
『はあー、いいみずだったあ』
スライムの満足した声で、ハッと我に返る。
スカートにハンカチを広げた状態でポンポンと膝を叩くと、スライムは跳び乗ってきた。
濡れた体を拭こうと思ったのだが、スライムなので不要だったようだ。
けれども、ハンカチを気に入ったようなので、そのまま包んでカゴに入れた。
ちょうど、院長が通りかかったので声をかける。
井戸を使ったことを伝えたら、いつでもどうぞと微笑みながら言ってくれた。
「すみません、今日は急いでいるので、また訪問します」
「はい、楽しみにしていますね」
院長と別れ、小走りで向かった先は騎士隊の派出所。
男女の騎士がいて、私に気づくと女性のほうがやってくる。
「いかがなさいましたか?」
「あの、テイムされているスライムを拾ったのですが、主人から届け出があるか、調べていただきたいのですが」
「スライム……?」
「こちらです」
「ああ、たしかに」
騎士は棚から、落とし物(※未解決)と書かれた冊子を抜き取り、スライムの所有者から連絡がないか調べる。
「残念ながら、届け出はないようです」
「そうですか」
「こちらの書類に、ご記入いただけますか?」
「あ、はい」
どこで拾ったかとか、どんな状態だったとか、詳細を記入する。
書類とともにスライムを差し出したが、受け取ったのは紙だけだった。
「申し訳ありません。騎士隊では、生体を預かることができないのです。所有者が名乗り出た場合、連絡しますので、その……」
「私が、このスライムの面倒を見るということですか?」
「はい」
どうやら私は、とんでもない存在を拾ってしまったようだ。