没落令嬢フランセットは、ニオイスミレの可能性について話す
ニオイスミレとブルーベリーのケーキは、夕食のデザートに出してもらうこととなった。ガブリエルと義母がどんな反応を示すのか、楽しみである。
ひとまず先に、ガブリエルに成果を報告しなければならないだろう。
執務室で仕事をしているというので、少しの間だけお邪魔する。リコ、プルルンと共に、彼のもとへと向かった。
ニオイスミレの砂糖漬けはリコが運ぶ銀盆に置かれていたが、なぜかプルルンも一緒に載っていた。移動が面倒なのかもしれない。
ガブリエルの執務室は、私の私室からふた部屋進んだ先にある。
リコが扉を叩いたら、「どうぞ」とすぐに返事があった。
執務室は応接間も兼ねているようで、執務机の前に長椅子とテーブルが鎮座していた。 ガブリエルは私のほうを見て、眼鏡のブリッジを指先で押し上げる。
「ガブリエル、ごめんなさい。お仕事の邪魔だったかしら?」
「いえ、そろそろ休もうと思っていたんです」
「私と話をしたら、休憩にならないでしょう」
「なります!!」
執務机をバン! と叩き、勢いよく立ちながら訴える。目が血走っているように見えたのは気のせいだろうか。
メイドが紅茶を運んでくる。ここで、本来の目的を思い出した。
ガブリエルが長椅子に腰を下ろしたのと同時に、話しかける。
「さっき摘んだニオイスミレなんだけれど、早速砂糖漬けにしてみたの」
「仕事が早いですね」
リコがニオイスミレの砂糖漬けとプルルンをテーブルの上に置く。
ガブリエルがプルルンに手を伸ばしたが、素早く避けた。テーブルの上をぽんぽん跳ね、最終的に私の膝の上に落ち着く。
「プルルン、迷惑でしょう!」
「私は構わないけれど」
『ガブリエル、かまわない、だってえ』
「私が構います!」
ガブリエルは立ち上がり、再びプルルンへと手を伸ばす。
だが、摘まもうとする寸前で、プルルンは避けてしまった。
人は急には止まれない。
ガブリエルは私の太ももを、むぎゅっと握る。
「きゃあ!」
「あ、うわ、すみません!!」
ドレス越しとはいえ、驚く。必要以上に大きな声をあげてしまった。
「な、なんと謝罪していいものか」
「わざとではないから、気にしないで」
「気にします」
プルルンはぽんぽん跳ね、部屋の外へと逃げていく。リコに捕獲を命じた。
落ち込むガブリエルに、隣に座るよう勧める。
「お隣はちょっと……」
「嫌なの?」
「嫌ではないのですが、近すぎるような気がしまして」
「あら、馬に乗っていたときはあんなに密着していたのに?」
「言われてみれば、そうですね」
納得してくれたのか、ガブリエルは私の隣に腰を下ろす。
「なんと言いますか、プルルンがご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「迷惑だなんて、まったく思っていないわ。むしろ、助かっているの」
「あなたは以前も、そうおっしゃってくれましたね」
「ええ。プルルンは良い子だし、よく働いてくれるわ」
今日も、ケーキ作りを補助してくれた。私ひとりだったら、もっと時間がかかっていただろう。
「プルルンほど賢いスライムはいないと思うの」
ただ、驚いたのは、スプリヌの人達はスライムを使役していない点について。
「お掃除も上手だし、料理も手伝ってくれる、それから体を洗うのだってメイドより器用にしてくれるし。髪はサラサラ、肌はツヤツヤになって、助かっているの」
「ちょ、ちょっと待ってください。体を洗うというのは、どういうことなのですか!?」
「お風呂で、体を洗ってくれるのよ。ガブリエルは、スライム達と一緒に入らないの?」
「入りませんし、体を洗う方法なんて、教えていません!」
「ま、まあ、そうだったのね」
ガブリエルは頭を抱え、「ぐぬぬ」と声をあげている。
「なんて羨まし……ではなくて!! 体の調子が悪くなるとか、肌が痒くなるとか、そういった症状は?」
「ないわ」
「いったい、どこで覚えてきたというのか。本当に、平気なのですね?」
「ええ」
ガブリエルに肌を触らせるのは抵抗があるが、髪くらいならばいいだろう。
「ねえ、触ってみて。サラサラなの」
「か、髪を!?」
「ええ」
断られたものの、いいからと言って早く触るように言った。ガブリエルは遠慮がちに手を伸ばし、軽く触れる。指先が頬に触れた瞬間、どきん、と胸が大きく跳ねた。
「――っ!」
触れるのは髪だけだと思っていたので、心の準備ができていなかった。必要以上にドキドキしてしまう。
「えっと、サラサラでしょう?」
「はい。大変触り心地のいい、美しい髪です。ただ」
「ただ?」
「以前のフランの髪質を知らないので、比べようがないなと思いまして」
「あ! そ、そうよね。ごめんなさい」
「いえ。これは役得――いいえ、なんでもありません」
いたたまれないような、恥ずかしいような。穴があったら隠れたい気持ちが押し寄せる。
羞恥心を誤魔化すために、話題を変えた。
「あ、そう! ニオイスミレの砂糖漬けはいかが?」
「せっかくなので、いただきます」
ガブリエルはニオイスミレの砂糖漬けをひとつ摘まみ、口に含む。
「これは――すごい。ニオイスミレの匂いを、完全に閉じ込めているのですね」
「ええ。クリスタリゼという、古くから菓子職人の間に伝わる技法なの」
「クリスタリゼ、ですか。なるほど。たしかに、女性が好みそうです」
「お味は?」
「発言を控えさせていただきます」
眉間に皺を寄せつつ言うので、感想は敢えて聞かずともわかる。予想通りの反応だったので、笑ってしまった。
「私は紅茶に落として飲むのが好きなの」
お喋りをするあまり、すっかり冷え切った紅茶にニオイスミレの砂糖漬けを浮かべる。
「ほら、可愛いでしょう?」
「可愛いと思いながら飲むのを、楽しむというわけですね」
「そうなの」
ここで、ニオイスミレの砂糖漬けの保存について相談してみる。このままだと、大量に生産できたとしても、品質面が心配になるから。
「保存でしたら、問題ありません。我が領には、魔法をかけて保存期間を延ばすことを可能とする瓶や缶がありますから」
あっさりと、保存問題は解決した。
◇◇◇
夕食は今日も三人で囲む。
メインは子羊の暖炉焼きと、マスのムニエル。どちらも、スプリヌ産らしい。
とてもおいしくいただいた。
デザートはニオイスミレとブルーベリーのケーキ。
まだ、私が作ったとは言っていない。
食卓に運ばれた瞬間、義母が瞳を輝かせる。
「まあ! 可愛らしいケーキですこと! お花が飾ってありますのね。初めて見るケーキですわ」
「私が作りました」
「フランセットさんが?」
「はい。お口に合うといいのですが」
食べるのがもったいないという義母に、食用花について説明する。
「ケーキの上に載っているのは、ニオイスミレなんです」
「ニオイスミレって、その辺に生えているあのニオイスミレ?」
「ええ」
途端に、義母は眉間に皺を寄せる。こういう表情は、ガブリエルそっくりだ。
「ニオイスミレは食用花で、食べても問題ありません。古くは、咳を止めたり、口内炎をよくしたりと、薬として服用されていたそうです」
「そうですのね。今日は少し咳き込むときがあったので、ちょうどいいかもしれません」
そう言って、義母はニオイスミレの砂糖漬けごとフォークで生地を掬い、ぱくりと食べた。
「あら、おいしい! それに、いい香りですわ」
どうやら、ケーキと一緒に食べることにより、ニオイスミレの味は気にならなくなるようだ。ホッと胸をなで下ろす。
「母上、フランはこのニオイスミレの砂糖漬けを、スプリヌの新たな名産にしようと考えているようです」
「ニオイスミレが名産ですって?」
「ええ。王都では、ニオイスミレを使った製品が、貴婦人の間で流行っているようで」
「王都で……? ふうん、そうでしたの」
「ニオイスミレの砂糖漬けを、王都で売る計画がありまして。母上はどう思いますか?」
義母のまとう空気が、少しだけピリッと震える。王都の話を聞いて、不快に思ったのかもしれない。
祈るような気持ちで、義母の反応を待つ。
「よろしいのでは? ケーキは美しいし、ニオイスミレなんてうんざりするほどありますから、利用価値があるのであれば、使ったほうが賢いでしょう」
「それでは、フランと話し合って計画を進めますね」
「ええ、どうぞご自由に」
ガブリエルのほうを見ると、向こうも同じようにこちらを見ていた。
自然と、笑顔になる。ガブリエルも、微笑んでいた。
そんなわけで、ニオイスミレを使った計画が一歩前に踏み出す。
夕食後、ココの描いたニオイスミレを見せてもらったが、想像以上の出来だった。
「ココ、すばらしいわ!」
「あの、その、もったいない……お言葉です」
彼女の描くニオイスミレは、今まで見たどのニオイスミレの絵よりも美しかった。
これがパッケージに載ったら、誰もが手に取りたくなるだろう。
「これからは、夜に絵を描くのは禁止よ」
「え!?」
「その代わり、昼間に絵を描きなさい。それが、あなたのお仕事よ。夜はきっちり眠ること」
「フランセット様……よろしいのですか!?」
「ええ」
パッケージの絵の他に、もう一枚依頼する。
それは、ニオイスミレが咲くスプリヌの風景。
「ありのままのニオイスミレの花畑を描いてくれるかしら?」
「青空ではなく、いつもの霧がかった、曇り空でいい……ということですか?」
「そう」
絵が完成したら、ソリンが働く王都の菓子店に貼ってもらいたい。
景色を見て、ひとりでも多くの人達がスプリヌに興味を持ってもらうきっかけになれば儲けものである。
「それでは、ココ、お願いね」
「はい!」
あとは上手くいきますようにと、祈るばかりだ。




