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没落令嬢フランセットの、日々の労働

 台所に立ち、おろしたてのエプロンをかける。

 今日作るひと品目のお菓子は、〝サクリスタン〟というスティック型のアーモンドパイだ。

 昨日の夜作っていたパイ生地を伸ばし、フォークを使ってまんべんなく穴を空ける。

 伸ばした生地に卵黄を刷毛はけで塗り、砕いたアーモンドを振りかけた。これに生地を重ね、ズレないようにしっかりめん棒で圧力をかける。

 生地の表面にも卵黄を塗り、アーモンドとグラニュー糖を振りかけた。スティック状にカットした生地をしばし乾燥させたあと、生地をねじる。これを、温めておいたオーブンで焼くのだ。

 焼けるのを待つ間、余った卵白で〝ラングドシャ〟というクッキーを作る。

 魔導保冷庫から一時間前に出して室温にしたバターをクリーム状にし、粉砂糖、卵白、バニラビーンズを入れて混ぜ合わせる。これに小麦粉を加え、生地になじませた。

 この生地を絞り袋に詰めて、油を塗った鉄板にスティック状に絞っていく。あとは、焼くだけ。


 そうこうしている間に、サクリスタンがいい感じに焼き上がる。

 オーブンの蓋を開くと、アーモンドのいい匂いが台所に漂う。 

 こんがりキツネ色に焼けていた。

 このサクリスタンというお菓子は、なんとも不思議な響きだ。

 名前の由来は、教会にある。

 儀礼で使用する装飾品や杖を管理する人を、サクリスタンと呼んでいるらしい。そのサクリスタンが持つねじれた杖に、このお菓子が似ているところから名付けられたようだ。


 ひとつ、味見してみる。

 層になった生地はサクサクと口当たりが軽く、ふわりとアーモンドが香る。

 グラニュー糖のザクサクとした食感も、いいアクセントになっていた。

 うん、おいしく焼けている。


 今日はサクリスタンとラングドシャの他に、サブレとフィナンシェを焼いた。

 完成したお菓子はバスケットに崩れないよう丁寧に詰めていく。

 納品はいつも、お昼前だ。今日も、いい感じの時間に届けられそうだ。


 麦わら帽子を被り、裏口から外に出る。

 正面玄関からだと、アヒルに付きまとわれてしまうのだ。

 ご近所さんもアヒルを警戒し、訪問するときは裏口からである。


 てくてくと、下町の通りを歩いて行く。

 この辺りは王都とは思えないほど、のどかだ。

 街路樹はリンゴである。可憐な白い花が、ちらほら咲いていた。あと十日も経てば、満開だろう。

 秋は下町の子ども達と鳥が、リンゴの争奪戦をする。

 硬くて酸味が強い品種だが、ジャムにするとおいしいらしい。下町に住み始めて二年だが、私はまだ口にしていない。争奪戦に勝てる気がしないから。

 いつか、勝利を味わいたい。密かな野望である。


 お菓子を納品しているのは、庶民御用達の菓子店。

 ここに、以前我が家に勤めていた菓子職人パティシエが働いているのだ。

 文無し、財なし、仕事なしとなった私を見かねて、作ったお菓子を買い取ってくれるよう、店主にかけあってくれた。命の恩人と言っても過言ではない。


 赤レンガに緑の屋根が可愛らしい、菓子店。古くから王都の人々に愛されるお店だ。

 扉を開くと、カランカランと音が鳴った。


「いらしゃい――って、フランセットじゃない」

「ごきげんよう、ソリン」

「ごきげんよう~」


 笑顔を向けてくれる女性の名はソリン。菓子店の看板娘だ。仲良くさせてもらっている。

 ここへお菓子を納品するのは、二日から三日に一度。

 没落した私を気の毒に思い、手数料なしで委託してくれるのだ。


「今日の分は、これ」

「はいはい、受け取りました。こっちは売り上げ」

「ありがとう」


 先日納品したお菓子は、無事完売したようだ。

 なんでも、私のお菓子を好む風変わりな常連さんがいるらしい。

 お菓子がひとつでも売れていると、酷く悔しがっているようだ。

 二年間、毎日ここに通い、私が作るお菓子が納品されていないか調べにくるのだという。

 毎回、頭巾を深く被ってやってくるので、正体は不明。


「相変わらず、あなたの常連さん、怪しかったわー」

「話を聞く限りは、否定できないわね」


 訛りのないきれいな発音だが、信じられないくらい早口らしい。ひょろりと背が高く、まとう外套はぜいが尽くされたもの。

 ソリンは二十代半ばから三十代半ばくらいの金持ちだろうと推測している。


「なんか、ごめんなさいね。変な常連がいて」

「いいのよー。いつもチップを弾んでくれるから」

「だったらよかった」


 お礼を言って帰ろうとしたら、ソリンが引き留める。朝焼いたパンを分けてくれた。


「フランセット、ジャガイモばかり食べていたら、力がでないからね。きちんとパンを食べなさいよ」

「わかっているわ。パン、ありがとう」


 ソリンに手を振って別れる。

 小麦のいい匂いをかいでいたら、お腹がぐうっと鳴った。

 ジャガイモだけでは、腹持ちが悪いのだろう。ソリンの言う通り、パンを食べなければ。

 けれども、小麦粉があったらパンよりお菓子を作って売りたい。そんな気持ちが湧き出てくるので、パンはいつも後回しになってしまう。


 焼きたてのパンと、野菜を濃厚に煮込んだポタージュ、分厚く切られたベーコンに、半熟ゆで卵、温野菜のサラダ――没落する前の朝食は、今振り返ってみると豪華だった。


 あの暮らしに戻りたいと強く思わないが、食事だけは、少し贅沢をしたいと考えてしまう。


 お菓子作りの他に、何か仕事を始めようか。

 以前、姉が教えてくれた占いを商売にしてみるとか。

 水晶に魔力を流し、相手の運勢をみるのだ。

 ただ、占い用の水晶を買うお金がない。

 がっくりと肩を下ろしていたら、道ばたにつるりとした球体を発見する。

 あれは、もしかして水晶!?

 道ばたに転がっているなんて、こんな偶然などあるのだろうか?

 ただ、落とし物には持ち主がいる。まずは、騎士隊の詰め所に届けるのが先決だろう。

 一年間、持ち主が見つからなかったら、拾い主に権利が譲渡されるのだ。


 すぐに駆け寄って、拳大の水晶を拾い上げる。

 土が付着して汚れた水晶は、私が手にするとぐにゃりと歪んだ。


「え――うわ!!」


 ここで気づく。

 道ばたに転がっていたのは水晶ではなく、スライムだったことに。 

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