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没落令嬢フランセットは、湖水地方へ下り立つ

 下り立ったのは、霧がかった村を見下ろすような小高い丘。

 鬱蒼うっそうとした森と湖、それから霧――それらで構成された土地だ。

 空気はしっとり湿り気を帯びていて、初夏だというのに吹く風はひんやりしていて肌寒い。

 ガブリエルが外套を着てきたほうがいいと言った意味を、身をもって理解する。


 地面に転がっていた鞄を、ガブリエルが拾ってくれる。着地するさいに、手放してしまったのだ。手を差し出しても、返してくれない。どうやら、家まで運んでくれるらしい。


「転移魔法酔いは、していませんか?」

「転移魔法酔い?」

「転移魔法に適応できない者が訴える症状です。気分が悪くなったり、頭痛がしたりするそうで」

「ああ、そうなの。大丈夫。何も感じないわ」

「よかったです」


 アレクサンドリーヌも、ぐったりしていない。興味津々とばかりに、周囲の様子を窺っている。

 ガブリエルが近づくと、ガアガア鳴いて足をばたつかせる。相変わらず、彼を敵視しているようだった。

 仲良くしてもらうのは不可能なのだろう。

 最近、アレクサンドリーヌ専用の布袋を作った。これに入れておくと、大人しくなるのだ。体に密着するような作りなので、巣穴にいるような安心感を覚えるのだろう。

 家から持参した布袋にアレクサンドリーヌを詰めて、肩からかけておいた。

 プルルンはいつも通り。故郷に帰ってきたからか、瞳が少しだけキラキラしているように見えた。


「ここが湖水地方スプリヌ、なのね」


 四方八方、深い霧で覆われている。霧の濃度はそれぞれで、遠くの景色が見えるところもあれば、まったく見えないところもある。そして、どこを見ても大小の湖があった。

 空を見上げると、曇天が広がっている。これでも、空は明るいほうらしい。いつもはもっと暗いようだ。


「寒くないですか?」

「ええ、平気」


 ガブリエルは背後を振り返り、指を差す。そこにあったのは、暗い森と霧をまとう古城。


「あれが、我が家です。不気味でしょう?」

「まあ……なんというか、雰囲気があるわね」


 一歩、二歩と歩く。地面の草花も湿気を帯びていて、歩く度に水滴がぽつぽつ舞う。


「フラン、水たまりには確実にスライムが潜んでいます。近づかないように」

「そうなの?」

「ええ。うっかり踏んだ者を狙って、襲いかかってくるのですよ」


 ちょうど近くに、小さな水たまりができていた。背伸びして覗き込んだが、ごくごく普通の、浅い窪みに雨水が溜まっているようにしか見えない。

 けれども、ガブリエルが近づき、手にしていたステッキで水たまりを叩く。すると、拳大のスライムが飛び出してきた。

 ガブリエルは即座にスライムを叩き落とす。潰れたスライムは息絶え、動かなくなった。


「このように、ちょっとした水たまりですら危険なんです。気を付けてください」

「わ、わかったわ」


 どんなに大きなスライムでも、ちょっとした水たまりがあるだけで中に溶け込むことが可能らしい。


「ということは、浴槽や洗面所とかも、要注意ってこと?」

「いえ、家の中は大丈夫です。スライム避けの結界を張っていますので」


 ガブリエルの話を聞いて、ホッと胸をなで下ろす。


「葉っぱに付いている、小さな水滴にスライムはいない?」

「いません。最低でも、手のひらで掬えるほどの水場が必要なので」

「そう、よかったわ」


 何はともあれ、警戒するに越したことはないだろう。


「もしものときは、その傘でスライムを殴打してください。おそらく、一撃で倒せるかと」

「護身用って、対スライム用だったのね」

「ええ。もしも出発前に教えて、ここに来るのが嫌だと言われたら困るので、説明しませんでした。その、すみません」


 黙って連れてくるのはどうかと思ったが、正直に打ち明け、謝罪したので許してあげよう。ただ、二回目はわからない。何かあるときは、事後承諾ではなく、その場で説明してくれと訴えた。


「次からは、そうします」

「お願いね」


 夫婦となる以上、歩み寄りは大事だ。

 自分の意見ばかり主張するのではなく、彼の気持ちも聞きながら、ゆっくり関係を深めていきたい。


「その傘は、フランのために作った特別製です。スライムと戦うさいに攻撃力が上がる魔法が付与されています」


 傘を広げてみると、裏側に魔法陣が描かれていた。対スライム戦に特化した、湖水地方スプリヌで暮らす女性のための武器らしい。


「この傘は、私がいただいてもいいってこと?」

「ええ。外を歩くときは、肌身離さず持ち歩いてください」

「ええ、わかったわ。素敵な傘ね。気に入ったわ。ありがとう」

「そう言っていただけると、贈ったかいがあるというものです」


 ガブリエルは眼鏡のブリッジを素早く押し上げながら、「しかしまあ、夫となる者として、当然のことです!」と早口で捲し立てていた。


 湿気を含む草原をしばらく歩いていると、木々に覆われた森へと入る。

 中へと進むにつれて、緑の匂いが濃くなっていく。きっと葉が湿気をまとっているからだろう。


「……ん?」


 パラパラと、水滴が落ちてきた。


「雨かしら?」

「いいえ、これは〝樹雨きさめ〟です」

「きさめ?」

「ええ」


 樹雨は雨ではないらしい。木々にまとわりついた霧が水滴となり、風と共に地上に降り注ぐ現象だという。


 ぽた、ぽたと雨のように降ってくるので傘を差した。

 湖水地方の人々は、樹雨程度では傘など差さないらしい。


「所持している外套のほとんどに撥水はっすい加工が施されているので、傘は必要ないのです」

「どちらかと言えば、傘はご夫人の護身用なのかしら?」

「そうですね」


 大雨のときは、さすがに傘を差すという。


「出先で傘がないときには、こうします」


 ガブリエルはプルルンを杖の先端に乗せ、ぽんぽんと軽く叩く。すると、プルルンが薄くなり、半球体に広がった。


「スライム傘です」

「さすが、スライム大公だわ」


 思わず、感心してしまった。

 そうこう話しているうちに、森を抜ける。

 先ほど見かけた、霧がかった古城の前に辿り着いた。


「立派だわ」

「無駄に大きいだけですよ」


 スプリヌの山で採石される粘板岩スレートを用いて建てた城らしい。

 大きく突き出た尖塔には巨大な魔石が収められており、夜間は月のように煌々と光るようだ。

 霧深いスプリヌでの、灯台の役割を果たしているという。

 堅牢な城門を潜る前に、ガブリエルが振り返って言った。


「あの、申し遅れたのですが、母は少々神経質でして……。無理して話を合わせなくてもいいので」


 どう返事をしていいのか、わからない注意事項であった。

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