没落令嬢フランセットは、ドラゴン大公の訪問に目を剥く
すぐに扉を開く。
訪問者は――金髪碧眼の美丈夫。間違いなく、アクセル殿下だった。
驚くばかりの私に、アクセル殿下は優しく声をかけた。
「久しいな、フランセット嬢」
頭の中が真っ白になり、返す言葉が見つからない。ひとまず、跪礼を返しておく。
「ア、アクセル殿下におかれましては――」
「堅い挨拶は不要だ。私はそなたが元気か、見に来ただけだ」
なぜ? という疑問が表情に滲んでいたからか、アクセル殿下は理由を語る。
「メルクール公爵が行方不明らしいな。今日、部下から報告を聞いて、驚いた」
「あ――はい」
騎士隊が無頼漢の男達を連行したので、アクセル殿下のもとまで話が届いたのだろう。
「内部に問題があって、把握が遅れてしまった」
問題というのは、事件をもみ消すためにマクシム・マイヤールが大金を騎士に手渡したらしい。そのため、父の失踪も含めて、上層部にまで事件が伝わっていなかったようだ。
「マクシム・マイヤールはどうやら、妻に逃げられたのを恥だと思っていたらしい。事件が明るみに出ないよう、あれこれと手を尽くしていたようだ」
関係した騎士達が受け取った金額は、二十万フラン。
ガブリエルが渡したお金がそのまま、事件のもみ消しに使われたようだ。
それにしても、アクセル殿下直々に事件の調査に当たるなんて。何か、大きな事件でも絡んでいるのか。
「失踪前のメルクール公爵は、何か行動におかしな点はあっただろうか?」
「いいえ。いつも通り、愛人の邸宅で過ごし、あまり家には帰りませんでした」
「家に、帰らない? もしや、そなたはほとんどひとりで暮らしていたというのか?」
「ええ、まあ」
「使用人は?」
「おりません。あ、アヒルならおりますが」
「アヒル……?」
「庭におります。獰猛で、訪問者を襲うのです」
背伸びをして、庭を覗き込む。アレクサンドリーヌは大人しく、庭の隅で雑草を突いていた。やはり、彼女は襲う相手を選んでいるのだろう。悲鳴を上げるガブリエルが脳裏を過り、躾が必要だと改めて思った。
「やはり、そなたは私が面倒を見るべきだった。今からでも遅くない。後見人となってやる」
「あ、えっと、大丈夫なんです」
「そなたは以前もそう言って、私の申し出を断った。実際は、大丈夫ではなかったではないか」
「いや、そうなんですけれど、本当に今は大丈夫なんです」
「何がどう、大丈夫なのだ?」
「婚約したんです」
「婚約? どこの誰と?」
凄み顔で、問いかけられる。震える指先を握りしめ、質問に答えた。
「ガブリエル……スライム大公です」
「スライム大公だと!?」
「はい」
「彼と、どこで出会ったというのだ?」
「ここです。実は、無頼漢の男達がやってきたとき、助けてくれたのが彼だったんです」
「そうか……。彼が、そなたと婚約をしたのか」
どうやら、アクセル殿下とガブリエルは顔見知りらしい。魔物大公同士なので、交流があるのかもしれない。
「たしかに、彼ならば、そなたを守ってくれるだろう。生活も、安定するはずだ」
「ええ、だと、いいのですが」
立ち話もなんだ。家の中でお茶でもと声をかけたが、断られてしまう。
事件について、詳しい話をするならば、騎士隊の本部へ行ってもいい。そう申し出たが、それも断られてしまう。
「今日は、そなたの顔を見に来ただけだ」
「そ、そうだったのですね。呼び出していただけたら、いつでも参上しましたのに」
「それもそうだな。呼び出せばよかった」
頭をぽんぽんと叩かれる。ここで初めて、アクセル殿下は淡く微笑んだ。
まるで兄が妹にしてやるような、優しいスキンシップだ。
「もう、こうしてそなたと接することも、できなくなるな」
「アクセル殿下……。これまで、優しくしてくださり、ありがとうございました」
「いいや、そなたには、何もしてやれなかった」
「お立場もあるでしょうから」
「それでも、何かできたはずだった」
繋がりが薄い私をここまで気にかけてくれるなど、なんて温かな心の持ち主なのか。
今一度、感謝する。
「メルクール公爵については、騎士隊が責任を持って調査する。何かわかったら、スプリヌ地方に手紙を送ろう」
「はい、よろしくお願いいたします」
今度、スプリヌに遊びに行く。そう言って、アクセル殿下は帰っていった。
想定外の訪問者に、胸がバクバクと脈打つ。
二度とこういうことはないだろうけれど、訪問されるさいは事前に連絡してほしい。心の中でそっと抗議した。
◇◇◇
とうとう、スプリヌへ嫁入りする当日となった。
正確に言えば、嫁入りではないのだが……。
隣近所にはすでに挨拶を済ませている。
菓子店と養育院、市場の知り合いにも。王都が恋しくなったら、ガブリエルがいつでも転移魔法で連れてきてくれるという。だから、また会えると言葉を交わし、別れてきた。
荷物は鞄ひとつ、それからアヒルのアレクサンドリーヌを脇に抱える。
プルルンも、ポンポンと跳ねて私の肩に着地した。
下町の家はガブリエルが庭師を雇い、庭の管理を任せる。いつでも父が帰ってきてもいいように、手入れを頼んでくれた。
時間になり、ガブリエルがやってくる。魔法陣が浮かび上がり、そこから現れた。
「お待たせしました」
会って早々、これを持っておくようにと、傘が差し出される。フリルがついた、可愛らしい意匠だ。
「スプリヌは雨なの?」
「いいえ、護身用です」
「護身用?」
傘で何をどうするのか。
ガブリエルは何も答えず、代わりに手を差し出す。そこに、私はそっと指先を重ねた。
新しい土地での暮らしが始まる。
きっと悪いようにはならない。そんな気がしていた。
「行きましょう、フラン」
「ええ、お願い」
転移魔法が展開され、光に包まれる。
景色がくるりと回転し、一気に変わった。




