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没落令嬢フランセットは、喫茶店でひと息つく

 それから、何軒もの店を回り、想像を絶する物量の品々を買い集めた。 

 どれもすべて、ガブリエルが支払うというので、戦々恐々としてしまう。

 購入した品物は、一部を除いてスプリヌに直接送るらしい。

 家具まで見繕うというので、その辺は家具店の従業員のセンスにお任せしておいた。

 あれもこれもと自分で選んでいたら、日が暮れてしまうだろう。

 馬車に乗りこむと、座席の背もたれに全体重を預ける。ぐったりしてしまったが、モリエール夫人は元気だった。


「あの、こんなに購入して、よかったのでしょうか?」

「あら、これでも少ないくらいです。今は社交期真っ只中だからか、どこも品揃えが悪くて、目標の三分の一も集まりませんでしたわ」

「そ、そうだったのですね」


 社交期というのは春から夏にかけて、貴族がこぞって集まって社交を行う季節である。

 各地から貴族が王都に押し寄せるので、店はどこも大行列。街中は活気に溢れているのだ。


「うふふ、わたくし、社交期って大好き。こんなにたくさんの人がいて、楽しそうにしているの、わくわくしてしまいます」

「そうですか」

「王都育ちのフランセットさんにとっては、当たり前の光景でしょうが」


 たしかに、私にとってはごくごくありふれた、いつもの春の王都だ。

 モリエール夫人は故郷の春の景色と比べ、「楽しそう」だと言っているのかもしれない。


「どこかで、お茶を飲みましょうか」

「はい」


 向かった先は、モリエール夫人がお気に入りの喫茶店。

 開放感のあるテラスが人気のお店だが、魔石昇降機で三階まで上がる。すると、王都の景色が一望できる露台バルコニー席に案内された。


「ここには来たことはあって?」

「いいえ」

「さくらんぼのクラフティが絶品ですの」

「楽しみです」


 クラフティというのは、タルト生地にカスタードを流し込み、上からシロップ漬けの果物を並べて焼いたお菓子だ。


「わたくし、クラフティが世界で一番大好きなお菓子ですのよ」


 そう言って、少しだけ遠い目をしていた。


 注文してすぐに、香り高い紅茶と共に運ばれてくる。

 モリエール夫人は嬉しそうに、クラフティを頬張っていた。

 私も食べてみる。

 タルト生地はクッキーよりも硬く、ザクザクと歯ごたえがある。中の生地はプリンのように濃厚で、さくらんぼの甘酸っぱさがほどよいアクセントになっていた。


「やっぱりおいしいですわ」


 にこにこしていたモリエール夫人だったが、私のほうを心配そうに覗き込む。


「たくさん連れ回して、疲れさせてしまいましたね」

「いえ」

「屋敷に商人を招いて、品物を選べたらよかったのですが」


 通常、上流階級の貴族は店巡りをしない。商人を家に招き、品物を選ぶ。

 だが、一部例外もある。それは社交期。

 多くの貴族が王都に集まる期間は、邸別の訪問を断る商人がほとんどなのだ。


「あの、楽しかったです」

「そう言っていただけると、わたくしも嬉しい」


 モリエール夫人はクラフティをぺろりと食べ、追加でサンドイッチを注文していた。私はお腹いっぱいなので、辞退する。


「それにしても、フランセットさんは謙虚といいますか、たくさんの品物を買うのに慣れていない様子でしたが、公爵家ではあまりドレスなどを買っていなかったのですか?」

「いえ、人並みには買い与えられていたと思います。ただうちは、姉が王太子殿下の婚約者だったので、予算はどうしても姉に集中していたようです」

「まあ! お姉様ばかりずるいと、思いませんでしたの?」

「いいえ、まったく」


 姉は努力の人だった。外交に力を入れるため何カ国もの言葉をマスターしたり、慈善活動をするために各地を巡ったり、サロンを開いて多くの人達と交流したり。

 私にはとてもできない。

 両親が姉に投資するのは、当たり前だと思っていた。


「そうでしたのね。わたくしは、いつも姉をずるい、ずるいと羨ましがってばかりでした」


 モリエール夫人の姉――ガブリエルの母親である。

 未来のスライム大公となるための教育や礼儀作法、家柄と見目のよい婚約者など、モリエール夫人には与えられない特別なものばかり与えられていたらしい。


「けれど姉は、わたくしのほうが羨ましいとぼやいていましたわ」

「それは、どうしてですか?」

「自由だから」


 爵位を継承したら、スプリヌの地に住み続けなければならない。どこか余所の土地に行って、好き勝手暮らすことなど許されないのだ。


「大人になってから、姉がわたくしを羨ましがっていた理由を、正しく理解しましたの。今でもきっと、そう思っているはず」


 私が嫁ぎ、子どもでも産まれたら、ガブリエルの母親は自由になれる。


「もう、姉に気遣う必要なんて、なくなるのではと思っていたけれど――今度はあなたを、あのつまらない土地に閉じ込めておくことになるのは、胸が痛みます」


 モリエール夫人は結婚を機に、王都へ越してきた。

 もう何十年も、故郷には帰っていないという。


「故郷愛のない自分を、情けなく思うところがあるのですが」

「故郷愛は、あると思います」

「あら、どうして?」

「クラフティは、湖水地方スプリヌの郷土菓子です。もしも愛がないのならばクラフティではなく、王都で流行のお菓子を好んで召し上がるのではないのですか?」


 クラフティを口にしたとき、遠い目をしていた。きっと、故郷での記憶が甦り、懐かしく思っていたのかもしれない。


「ああ――そう、ですわね。そうかもしれません」


 なんでも、王都にやってきたばかりのとき、スプリヌの出身だというと「あの湖と霧とスライムしかない田舎の?」とバカにする人がいたらしい。

 そんな言葉を浴びているうちにモリエール夫人は、故郷はつまらない場所だと思い込むようになってしまったようだ。


「世界にはさまざまな土地があって、それぞれ良いところも悪いところもあります。悪いところばかり目が行く人達は、視野が狭いだけ、なのかもしれないですね」

「ええ、わたくしも、そう思います」


 私はモリエール夫人に約束する。

 スプリヌでお気に入りの場所を見つけたら、手紙を書くと。

 モリエール夫人は少女のような可憐な微笑みを浮かべ、「楽しみにしていますわ」と言ってくれた。

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