没落令嬢フランセットの、いつもの朝
※ファンタジー世界における湖水地方の物語です。実在する湖水地方とは環境が異なりますので、ご了承ください。
婚約破棄され、国外追放された。姉アデルが。
王太子マエル殿下から、衆目の前で糾弾されたのだ。
姉は真面目な性格で、辛い花嫁修業も文句ひとつ言わずにやりとげた。
それなのに、奔放な振る舞いをするマエル殿下を諫め、愛人に目立たないよう注意しただけでこの仕打ちである。
罰の対象は、姉本人だけに止まらなかった。
実家である公爵家の財産はすべて没収。一晩にして没落した。
隣国の皇女であった母は、国外追放された姉に付き添って家を出る。
今は隣国で、親子共々元気に暮らしているらしい。
婚約破棄事件から二年後、喜ばしい話が飛び込んできた。
なんでも、姉は隣国の皇太子と婚約が決まったらしい。
めでたし、めでたしである。
幸せを勝ち取った姉の妹である私はというと――国に残った父と共に、下町にある平屋建てでひっそり貧乏暮らしをしていた。
なぜ、母についていかなかったのかというと、社交界での付き合いにうんざりしていたから。
別に、父が心配なわけではない。
ちなみに父は、毎晩愛人と遊び歩いている。
財産は失ったものの、社交界いちの遊び人と言われた父は女性達に放っておかれなかったわけである。
父の世話は愛人達がしてくれるので、私は私の生活を守るばかりであった。
現在、私は中央街にある菓子店にお菓子を納品し、生活費を稼いでいる。
慈善活動に参加するために、お菓子の作り方を菓子職人からいくつか習っていたのだ。
誰かを助けるための技術が、まさか自分を助けるものになるとは。人生、何が起こるかわからないものである。
今日も朝から、アヒルの鳴き声で目を覚ました。
起き上がって、ぐっと背伸びする。
窓から外を覗くと、新聞配達のおじさんに向かってガアガア鳴いているようだった。
息を大きく吸い込んで、注意する。
「こらーー! 新聞配達のおじさんに、喧嘩を売ったらダメーー!」
すると、アヒルは鳴き止んだ。
我が家にはアヒルがいる。名前はない。ただ、アヒルと呼んでいる。
近所の公園で、人を襲うアヒルとして騎士達に追われているところを保護したのだ。
貴族のペットか、どこかの養鴨場から逃げ出したのだろう。飼い主を探したが見つからず、結局私が引き取ることとなった。
父が購入したこの平屋建ての古い家には、アヒルが泳いだり水浴びしたりできる池があった。飼育するには、ちょうどいい環境だったわけである。
あの通り、アヒルは獰猛な性格だ。敷地内に入ろうとする人を、容赦なく威嚇し、時には攻撃を仕掛ける。
いささか過激であったが、父がほとんど帰らない家に相応しい、番犬ならぬ、番鴨なのだろう。
ちなみに出入り口となる門には、暴力的なアヒルがいます、注意! という看板を立てている。けれども、アヒルだから大丈夫だろうと思って、うっかり足を踏み入れてしまう人がいるのだ。
アヒルは新聞配達のおじさんから強奪した新聞を、持ってきてくれた。
「ありがとうね」
窓から手を伸ばすと、すり寄ってくる。私にとっては、懐っこい可愛いアヒルであった。
「さてと。今日も一日頑張りますか!」
没落する前は、侍女に優しく起こされ、優雅に紅茶を飲むところから一日が始まっていた。
財産を没収されてからは、使用人を置く余裕なんて欠片もなかった。
そのため、今はなんでも自分ひとりで行っている。
着替えや炊事洗濯、掃除など、すべて養育院で習っていたので、なんとか暮らしていけていた。
フリルやレースたっぷりのドレスは、一枚も持っていない。今は、下働きのメイドが着ているような、エプロンドレスを毎日着ている。動きやすくて、案外気に入っていた。
昨日洗濯し、アイロンをかけたシャツに袖を通す。これまで着ていたものに比べて、肌触りが悪い。こればかりは、いつまで経っても慣れないものだ。
洗面所にいき、いくら磨いてもきれいにならない曇った鏡を覗き込む。
ありきたりな茶色い髪を前に、「はあ」とため息をついた。
姉は母譲りの、美しい黒髪であった。私は残念ながら、父譲りの地味な髪色だ。
ただ、母と同じ藤色の瞳は少しだけ自慢である。
と、こんなことをしている場合ではない。
髪を丁寧に梳ったあと、三つ編みのおさげにして後頭部でひとつにまとめた。
樽に溜めていた水で顔を洗い、歯を磨く。
これまでだったら、ここで化粧の時間である。今は、化粧品なんて持っていないし、化粧をする暇なんてなかった。
「よし!」
気合いを入れて、庭に出る。
春の庭は、緑が鮮やかに輝いていた。アザミやデイジー、スカーレット・ピンパーネルなど、自生している草花が風に揺れている。
春とはいえ、まだ外は肌寒い。用事は手早く済ませなければ。
一歩踏み出すと、アヒルがバサバサと翼をばたつかせてやってくる。餌をねだっているのだろう。
八百屋で処分される野菜の皮や、鮮魚店で売れなかった魚などを貰い、餌として与えている。アヒルの分だけではなく、私が食べられる食材まで譲ってくれるときもある。
市場の人達は私がドが付く貧乏なのを知っているため、皆親切にしてくれるのだ。
マエル殿下から諸悪の根源として断罪された私達一家であったが、世間的には同情を集めている。そのおかげで、この通りなんとか暮らしていた。
ちなみに、アヒルは害虫も食べてくれる。家庭菜園で育てた野菜を食らうバッタやコオロギを食べる姿を見たときは、頼もしいと思った。
しかしながら、アヒルは野菜も大好物。虫を食べ尽くしたあとは、野菜の葉もつまみ食いする時があるので勘弁してほしい。
アヒルが餌を食べている間、寝泊まりしている藁の巣を覗き込む。
「あ、あった!」
あの凶暴なアヒルは雌で、卵をもたらしてくれる。鶏のように毎日というわけではないものの、けっこうな頻度で産んでくれるのだ。
鶏の卵と比べると、ひとまわりほど大きい。オムレツにすると、お腹いっぱい食べられる。今日もありがたいと思いつつ、卵をいただいた。
家庭菜園からは、ジャガイモとホウレンソウを収穫。ホウレンソウは若干、アヒルが突いたあとがある。分けっこしたと思えばいい。
朝食はオーブンで焼いたジャガイモと、ホウレンソウのオムレツ。それから庭で摘んだカモミールのフレッシュハーブティー。
ジャガイモには、贅沢にバターをひと欠片落とした。オムレツには、手作りのトマトソースをかける。
新聞を読みながら、いただく。
アヒルの卵は、鶏より若干濃厚に感じた。牛乳やバターを混ぜなくとも、クリーミーに仕上がっているのだ。
丹精込めて育てたジャガイモは、ホクホクでおいしかった。
カモミールティーは甘い香りがたまらない。春を凝縮させたような、さわやかなお茶である。
以前、これを飲んだ父が「雑草茶だな」と呟いていたのを思い出し、若干腹立たしくなる。
そう。父といえば、今日も帰らないというカードが届いていたが、それはさっさと処分した。
朝食が終わったら、お菓子作りを開始する。