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魔封じの脚輪と調伏の首輪

オスカーが森を出た後、アリアは木の根元に座り込み、ふうっと息をついた。森狼が寄ってきてアリアに頭をぐりぐり押し付ける。


わかったわかったと、森狼の頭を撫でた。

戦闘態勢に入っていない森狼の毛は、さらさらと指通りが滑らかで気持ち良い。


アリアは森狼の頭を引き寄せ、古い呪文を唱えながら自分の額を森狼の額にくっつけた。これは異種族間で意思を共有するための古い古い魔術だった。まず生活魔術とは言えないので、オスカーの前では出来なかった。


ぴたりと合わせた額から、森狼の思念が流れてくる。彼らは言葉を持たないから、その思念が言葉の輪郭を持つことは無いけれど、アリアへ向ける目一杯の好意が伝わってきて、さすがにアリアも胸が暖かくなった。


この森狼はおそらく、自分より強い魔力の匂いを嗅ぎつけて、自分の苦しみを取り除いてくれるのではないかとアリアの前に現れた。魔力変異の獣は、たいてい若い内に侵食に耐えきれず死んでしまう。


「あなたを助けられて、良かった」


最初の魂胆は、とっ捕まえて捌いて売り払ってしまうつもりだったことは、墓まで持っていくとしよう。


***


「おお…、本当に魔力変異種なのだな…」


アリアの隣に立つ森狼を見て、驚いたようにそう呟いたのは、オスカーに連れられてやってきたキヌカ酪農協会の協会長だった。


陽が傾むき、木々の間から夕日が差し込んで、森の中は日中よりも明るくなっていた。そこでわかった事は、森狼は結晶化した左目のほかにも魔力変異が起きていて、深い青の毛皮に、うっすらとエメラルドグリーンの艶がかかっていた。


「…美しいものですな」


家畜に被害を出した恐ろしい獣にそう呟く酪農協会長は、まさしく古き獣を敬う、昔気質のディーリンジア人という感じがして、アリアは小さく微笑んだ。


オスカーにアリアは長剣を返した。自分討伐用の剣を預かっているのは大変複雑な心境だったのでホッとした。いやむしろ返すほうが危ないのか。アリアは深く考えるのはやめる事にして、教会長に向き合い説明を始めた。


「…侵食で酷い痛みがあったであろう左目は摘出しました。隻眼ではありますが、通常の森狼より膨大な魔力量を持つので、そのコントロールが出来るようになればむしろ、群れを率いる王にもなれるかと思います。なのでもう家畜を襲う心配はない…と、言いたいのですが」


アリアは言葉を切って森狼を見る。


「この森狼は、子供の領域から抜け切っていない若い個体です。まだしばらくは、…おそらく2年程は、魔力が不安定な時期が続くと思います。その間、再び魔力侵食や、暴走が起きないとも限りません」


この森狼は侵食による痛みのせいで、普通の狩りが行えず家畜を襲ったのだろうが、しかしそれは、本当の魔力の暴走がもたらす被害を考えれば、全く些細なことだったのだ。アリアの魔力が暴走した時の惨状から、それがわかるだろう。


酪農協会長はふむ、と口元の手を添えた


「ではやはり、通例に則り魔術師連合に連絡を付け、専門の魔術師を派遣して貰う必要があるのでしょうが…、今の季節、いつ最初の雪が降るとも知れません。特に王都からこのキヌカまで来るには山越えが必要になります。間に合うだろうか…」

「難しいかもしれません。だから、私がこの森狼を連れて行きます」


「何?」「何ですと?」


オスカーと協会長の声が重なった。


「本当は、私が冬の間キヌカに滞在して、春に連合の魔術師が到着するまで森狼を見ていられたら一番良いと思うのですが、生憎私も急ぐ旅でして。だったら、私が連れて行くしか無いかなと」

「魔力が落ち着くまでの2年間、君が森狼を連れ歩くと?」

オスカーが眉間に皺を寄せて尋ねる。アリアは首を横に振った。

「それはちょっと、しがない旅人には荷が重いです…。私はキヌカを出発したら北上する予定でして、その道中にひとつ、魔力変異の森狼を任せられそうな当てがあるので、そこを訪ねようと思います」


頭に浮かぶその人と、アリアは直接の対面はない。自分がナタリアになってしまったこの世界で、あの人を訪れるつもりはなかった。しかしこうなった以上、他に頼れそうな当ても思いつかない。


協会長が戸惑うような表情でアリアに問う。

「あなたがそこまでする責任などないでしょうに、なぜ…」

「まぁ、縁があったので」

アリアは頬をかいて少し苦笑いしながら、そう答えた。


『聖国物語』の中で、キヌカが登場するのはもう少し季節が深まった冬の初めだ。


聖女レティナやその仲間が怪物討伐で訪れるのだけれど、その少し前にキヌカは、突発的な竜巻が起き大きな被害が出ていたそうだ。その竜巻は、群青とエメラルドグリーンの色をした、美しく恐ろしい前例のない竜巻だったという。

しかしその章の中で、魔力変異の森狼だなんて出てこなかった。


竜巻の色彩は、森狼のものに重なる。おそらく森狼は、魔力の暴走で竜巻を起こしながら死んでしまったのだと思う。アリアは、昨日今日ですっかりキヌカの町が気に入っていたし、この森狼にも情が生まれてしまった。その悲劇は、起きなくて良い悲劇だと思った。


だからこれは、起きるべきことを握りつぶしてしまいたいというアリアの我儘なのだ。

なので協会長から何度も何度もお礼と共に頭を下げられ、アリアはとても恐縮した。


「そしてこちらが、頼まれていたものです。まさか旅に連れて行くために必要とされたとは思い付きませんでしたが…」

「ありがとうございます!どこの町でも用意があるものじゃないですが、キヌカは種族的に魔力量が高い、固有種の羊や山羊も飼育されているので、あるんじゃないかと思っていました」


協会長がアリアに渡してくれたのは、不思議な装飾がされた脚輪と首輪だった。


「脚輪が魔封じ、首輪が調伏になります。この二つを装着していれば、どんな危険な獣であっても制御可能と判断されますので、森狼を連れ歩く事も可能でしょう」


協会長の説明を受け、アリアはそれらを森狼に装着させた。


「…大人しいですね。大抵は装着する際抵抗されるのですが。すっかりアリアさんを主だと認識しているのですかな」

「さて、どうでしょうね」


本当は先程、こっそり行った意思の共有で、もし一緒に行きたいのであれば不快に思うだろうけれど、枷を付けねばならない事を伝えておいたのだ。それでも森狼は、アリアと一緒に行きたいと望んでくれた。

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