騎士とチーズタルト
なぜこんな事になっているのか。
下げていた視線をちろりと上げてみれば、向かい合って座るその人もちょうどアリアを見ていたらしく、ばちっと目が合い、にこりと微笑まれた。
(ぎあああああっ!眩い…!)
心の鼻血噴出中のアリアと騎士オスカーが現在居るのは、キヌカの町の1軒のカフェである。掲示板前で思わぬ会話を交わしてしまった後、オスカーに「話を聞かせてくれるかい?」とあれよあれよと連れてこられてしまったのだ。
美しい内装のカフェに、銀髪の騎士が映えること映えること。
様々な懸案事項をいったん頭の隅に押しやって、アリアはこっそりオスカーに見惚れた。だって有沙だった頃、病室で本の頁をめくりながら、ハートをぎゅんぎゅんにときめかせてはベッドでごろごろ転がりもだえていた騎士様が目の前にいるのだ。
そういえば、とふと気付く。
(『聖国物語』は読者のイメージを尊重してか、人物を描いた挿絵は一切無かった。でも、騎士オスカーも、聖女レティナもナタリアも、文章に描写された特徴を照らし合わたりする以前に、ひと目ですっとああこの人はと理解った。魂レベルでの『聖国物語』への愛ゆえ…?)
そしてもう一点気になってしょうがないのが、この豪奢なカフェはたしか、宿のおかみさんが言っていたキヌカ随一のカフェではないか。値段もそれなりにするけれど、森苺のソースをふんだんに混ぜ込んだチーズタルトが絶品なので、キヌカの食事に憧れていたのならぜひ食べてみなさいと勧められていた。
そんな訳で、そんな場合では全く無いのに、アリアはおすすめとしてメニューの一番最初に書かれていたチーズタルトを凝視してしまう。オスカーはアリアのその様子を見て、アリアが辞する間もなくチーズタルトと、ディーリンジア国特有の飲み物で、珈琲に似た風味のカフィルを二人分注文してしまった。
カフィルは注文を受けてから豆を挽くので少し時間がかかるということで、飲み物食べ物が来る前に、二人は話し始める事にした。
「つまり君は聖域研鑽の旅の途中で、旅を続ける資金を得るために森狼討伐の依頼を受けたいということだね」
「はい!……けれど騎士さんがこの依頼を受けたいのでいらしたら、先に貼り紙を剥がしたのは騎士さんですしもちろん身を引きます…。この町はほかにも、求人が結構あるみたいですしね」
騎士は笑って首を振った。
「俺は一応任務で旅をしていて給与も出ているから、討伐で得られる報酬については必要としていないんだ。森狼であれば太刀打ち出来る人間は少ないだろうから、通りかかって縁があった俺が引き受けようかと思っただけで」
さすがオスカー、優しくて責任感あるなぁと惚れ直しつつ、『任務の旅』という言葉に口の周りの筋肉がひくりと痙攣した。何だか嫌な予感がする。
『聖国物語』では、聖女レティアはナタリアの事件で本当の力が目覚めた後、仲間達と共に旅をする。騎士オスカーもその仲間の一人だった。だからアリアも何となく、自分がトンズラをこいて話の流れが変わってしまった後も、オスカーは王城のレティナの側に居るのだと思っていた。
しかしそれはどうやら違うようだ。
「騎士さんにも旅の任務というものがあるんですね…?」
そう問いかけてみれば、オスカーは苦笑した。
「とある事件で取り逃した人物がいてね。捕縛するまでは元の勤務地には戻れない事になっている。けれど中々難しくてね、気付けば旅に出てからもう4年だ」
(その人物って絶対ナタリアだー!!逃げたい…!!)
頭の隅に押しやっていた生命的な危機感が警鐘をがんがん鳴らし戻ってきた。テーブルの下のアリアの足は、生まれたての小鹿のようにガクガクブルブルである。しかしオスカーはあっさり話を戻した。
「だから森狼の討伐は君に譲って問題ないのだけれど、君は魔力持ちではあっても魔術師ではないし、しかも聖域巡礼者ということであれば、生活魔術の魔力コントロールもまだ手にしていないのだろう?森狼を相手に戦うのは、厳しいと思う」
オスカーは諭すように言った。聖地研鑽の身を名乗る以上、それはまったくその通りだった。しかし森狼討伐はとてもよろしい資金調達であり、魔術薬の素材確保になるので出来れば引きたくなかった。ここでアリアは、温めていた例の設定を持ち出すことにした。
「…本当は、聖域研鑽はもう済んでいるんです」
「そうなのかい?ならば何故」
「楽しく旅をしてる内に婚期を逃し、研鑽出来た後もそのままずるずる旅をしているんです…!だからそれなりに魔力はコントロール出来ます…!!」
オスカーは少し呆気に取られたような顔をしたが、くすっと笑った。
「もし君が婚期を逃したと考えていて、帰りたくても家に帰れないと思っているなら、そんな事はないと思うけれど」
「いえ、そうだったとしても、私は旅の生活をとても気に入っていて、婚期を逃すの上等なんです!叶うならずっと旅を続けたいんです!森狼狩りたいです!」
思わず拳を掲げて力説してしまい、アリアははっと我に返った。憧れの人に私は一体何を言っているのだ。オスカーは、ふるふると震えながら苦しそうに笑っている。
「そう…。であれば、君に森狼討伐は譲ろう」
「本当ですか!」
「しかし、研鑽が済んでいるとしても、魔術師ではない魔力持ちの魔術だけでは、やはり森狼討伐は難しいと思うんだ。そこで」
「そこで…?」
「俺も討伐を手伝おう」
アリアは慌てて顔の前で手のひらをぶんぶんと振った。
「そんなそんな、申し訳ないですよ…!」
「言いそびれていたけれど、俺はこれでも国の騎士なんだ。目の前で国民に危険が生じる可能性があるならば、守らなくてはね」
騎士として、とそう言われてしまうとアリアも断れなかった。
「俺はオスカー・フォード。君は?」
「……アリアです。アリア・マクベイ」
「アリアだね。短い間だとは思うけれど、よろしく」
オスカーは善意でそう言ってくれているのだとは思うが、交わした握手にアリアは手錠を掛けられたような気分になった。
しかし話がまとまった所で出てきた森苺ソースのチーズタルトは本当に絶品で、全力で味わうためにアリアは再び、生命的な危機感はどこかに追いやる事にした。
アリアのお財布事情ではちょっと出来ない贅沢だったから、味わっている間はおごってくれた騎士には感謝しかなかった。
口の中からチーズタルトの余韻が消えた頃、追いやられていた不憫な生命的危機感が戻ってきて、ガンガン鳴らす警鐘にハッとなった。