表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

50/52

元要塞のノルヴァイン邸

ディレイ・ノルヴァインの後見人である貿易商カリフ・ノルヴァイン氏の邸宅は、海に面した岸壁に築かれた、数十年程前までは使用されていた、かつての要塞である。


昔日の緊張感を今尚偲ばせる、がっしりとした石造りの外壁は僅かに青みがかった暗い灰色で、雪がちらつく灰色の空、そして灰色の海と相まって大変陰気に感じられた。旧要塞だけあって砲台跡まである事にアリアは気付いた。


「物々しいですね…。こんな建物を自宅にするなんて、お金持ちの考えることはわかりません」

「ノルヴァイン氏の先祖は海賊だったそうだからね、案外落ち着くのかも知れない」

「え、海賊…?」

「知らない?結構有名な話だよ、ノルヴァイン氏の一族はかつて、国に仕えた海賊だった」


海賊が国に仕えるという言葉は耳に慣れないけれど、その辺りの歴史はアリアも少し知っていた。


物語には描かれていなかった歴史だが、四年前にシオドーラ達に保護された時に、自分が把握しているこの国の知識が正しいものなのか擦り合わせして貰った。その結果、物語で得ていた知識はすべて正しかったけれど、国民としては十分な知識量ではなく、ユノーグが基本的な歴史や風習を、補足で説明してくれたのだ。


かつてこの北限の大陸は、海側にもっと多くの国があった。その国の多くは近隣諸国への略奪を持って生計を得ていた。国が己の兵として海賊を率いていた時代があったのだ。


「けど、いくら航海技術が優れて戦いに秀でていたとしても、育むことなく奪うばかりで得る富なんて、そう長くは続かない」

「強奪を受けていた国々が同盟を結んで、夜襲をかけて海賊船に火を放ったんですよね」

「そう。絵物語では沢山の船が燃えて、海面が火の海になったと描かれてるね。さすがにそれは脚色してると思うけれど」


糧を得る手段が無くなった国々はあっという間に落ちぶれた。そんな中、大陸内で一番大きい土地を有していたディーリンジアがそれらの国に、ディーリンジアとの併合を呼びかけた。ほかに道の無かった国々はその提案を受けた。海賊は廃止になったが、ディーリンジアがかつての海賊を迫害することは無く、その優れた航海技術を貿易や国防に活かした。


「色んな歴史がありますね…」

「戦いにこそ重きを置いた海賊は、本当の賊としての海賊になってしまったり、別の国に流れたりしてしまったけれどね」

「オルグスブーケとかですか?」

「まさしく。あの国は未だに、国家の海賊がいるよ」

「ノルヴァイン氏の先祖は、じゃあそちら側では無かったんですね」

「ああ、彼の一族はディーリンジア黎明の貿易において、多大な貢献をしている。三代前から、国仕えではなく独立した商人になってるけどね」


ふむ、とアリアは思った。ノルヴァイン氏のことは、ディレイとの関係を説明するエピソードしか物語には描かれていなかったが、彼にもいろいろな背景があるようだ。アリアが知っていたノルヴァイン氏の話は、これだけだった。


十年前、ノルヴァイン氏がかつて貿易商としてオルグスブーケ入りしていた。多民族国家であるオルグスブーケには、民族ごとに多種多様な陶器や織物があり、その買い付けのための入国だった。

その際、オルグスブーケの軍部から密偵容疑をかけられ、強引に拘束されそうになった所を、ノルヴァイン氏の取引先であるディレイの一族が上手く逃してくれたのだそうだ。


それから何年もしない内に、ディレイの一族は滅ぼされた。一族は、サーメイのような自治を望んでいた。そして、幾度ものオルグスブーケ国家との衝突ののち、滅ぼされてしまったのだ。

ただ一人生き残り逃亡中であった一族の王子を、ノルヴァイン氏は己の持つ手札すべてで保護し、養子縁組を行った。


アリアはそのことは物語で読んだけれど、この話も世間でよく知られている話である。


「彼は商人だから、恩だけで一つの国を敵に回すようなことはしなかっただろうけど、商人だからこそ、叡智が失われる損失を憂いたんだろうね」

「古い魔術師の一族だったんですものね。せめて一人でも繋がって、良かった…」


アリアは自分を家族と呼んでくれた、サーメイヘルガのシオドーラとユノーグを思った。少しの間滞在したあの村に満ちた受け継がれる叡智や文化は、そのどれもがかけがえがないものだった。ウルが何か察したように、アリアの手に頭を擦り付ける。アリアは微笑んで、優しい森狼の頭を撫でた。


「本当に、その通りだね。…まあ、ザルツストラーダ伯爵の親友だというくらいだから、殺しても死なないような御仁だと思われる」

「それは間違いないですね…。どれほど癖が強い御仁であろうと、遠くにいてくれるなら幸せを願うばかりですが、これから対面しなくてはならないのでした…」


しんみりした気持ちが吹き飛びアリアはむんと気合いを入れて、ノルヴァイン邸の門番に面会を申し入れる。

現れた家令に、ザルツストラーダ伯爵が書いてくれた紹介状を見せれば、思ったよりもあっさりと門を通される。ザルツストラーダ伯爵が事前に連絡を入れておいてくれたらしい。随分親切な仕様だが、裏がありそうで怖い。


家令が言うに、ノルヴァイン氏は仕事で出払っているらしい。海賊の末裔である豪商を見てみたい気もしたが、偉い人との面通しをしなくて済んでほっとした気持ちの方が大きい。


しばらくこちらでお待ちくださいと通されたのは控室だ。深みのある臙脂色のソファーにオスカーと並んで座っていると、すぐに給仕が現れて、良い匂いが立ち昇るお茶とお茶菓子を運んできてくれた。そつなく、ウル用のお肉まで用意してくれている。


お茶とお茶菓子はさすが貿易商の家で、異国の花がブレンドされているというお茶に、ココナッツフレークのような食材が混ぜ込まれたクリームがたっぷり塗られたスポンジ生地のケーキは、鮮やかなオレンジ色の果実のシロップ煮が鎮座している。


「ディーリンジアから遥か遠く、南洋の島々で旦那様が買い付けていらしたお茶と、果実を使用したケーキでございます。どうぞご堪能くださいませ」


にっこり微笑んで給仕は下がって行った。こんな時だけれど、食い道楽の気かあるアリアとオスカーははしゃいだ。


「うわ…、このお茶ひとくち飲むごと体の中にお花畑が広がるようです」

「この国ではちょっとお目にかかれない芳香だね」

「ケーキに載ってる果物も、太陽みたいで眩しいですね…」

「ディーリンジアが雪の国なら、南洋の島々は太陽の国だね。太陽の国から来た果実だ」


オスカーの言葉に、アリアは頷く。


「この国の雪景色は大好きですが、長い冬を過ごしていると、一年中あったかい国って少しだけ憧れます…」


かつての有沙の憧れの地ディーリンジアだが、やはり寒いものは寒い。噛めばシロップがじゅわっと溢れ出る果肉を味わいながら、アリアはふっと考える。雪降りしきる道をせっせと歩く怪物退治の旅が、今のアリアの日常である。それは全然嫌じゃなかった。オスカーとウルと共に旅を続ける、その一瞬一瞬が夢みたいなのだ。


けれど、なぜ自分がここに居るのかわからない以上、この日々はいつまで続くか決してわからない。少しの展望を望むことも、約束を結ぶことも出来ない。いつ覚めるとも知れぬ夢のような世界であれば、いっそ思うままに振り切ってしまえたら。そう思ったことも幾度もある。


しかし無責任になるには、目の前の景色は、目の前の人は、遠くで想ってくれている人達は、あまりにも本物だった。本物で、かけがえが無かった。


だからずっとアリアは、歩き続けながら、行き止まり続けている。だから少し、考えてしまったのだ。

南方の降り注ぐ日射しを浴びて、水しぶきの煌めきをのんびり眺めながら船に揺られる旅はどんな気持ちだろう。


(何のしがらみもなくそんな旅が出来たら、どんなに素敵だろう)


そんな願望は、冬の灰色の雲間から差し込むすぐ消えてしまいそうな光より弱々しい。きっと叶うことはない。そう思うのに。


「いつか行こう、南洋の国に。一緒に」


当たり前のようにそう言って、オスカーがアリアの顔を覗き込む。彼のその笑顔には、何やら有無を言わせない迫力があった。


「私はー…」


アリアが返事をする前にノックの音が響き、家令が戻ってきた。満腹で床に伏していたウルがぴょこんと立ち上がる。


「お待たせ致しました。では、ディレイ様がいらっしゃる別棟へご案内致します」

「は、はい。よろしくおねがいします」


家令の後に続いて、アリア達が続く。

その時、くんっとアリアは右手を引かれた。驚いてアリアが振り向くと、オスカーはアリアの小指と、自分の小指を絡めた。


それは懐かしい行為だった。そういえばシオドーラから教わったこの国の風習に、自分の故郷とまったく同じで、驚いたものが一つあった。


オスカーがアリアの瞳を見据えて、口の動きだけで「約束」と言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ