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入り江の町アウラン

海に面するディーリンジア北西部の海岸線は、氷河の侵食が大地を削り生まれた谷があり、その谷に海水が侵入して出来上がった入り江が連なり、複雑に入り組んだ独特の地形を持つ。


アウランも、そんな峡谷の谷間にある入り江の町のひとつだ。


「海風が物凄く冷たいです…」

「氷河の間を通り抜けて来た風だからね。サーメイヘルガとはまた違う寒さだ」


シリア湖を発ったその翌日の昼近く、アリアとオスカーとウルはアウランに辿り着いた。


湖のような静かな湾に、ナイフで削り取られたような岸壁がそびえ立つ光景は荘厳だが、今のアリアにはそんな風景に思いを馳せる余裕は無く、想像以上に冷たい海風に首を縮こめるばかりであった。


そして主人を温めようとしてくれているのか、ウルがアリアに体を擦り付けてくれているが、肌が露出している部分にあたる風が恐ろしく冷たい訳なので、可愛いだけであった。


オスカーが笑ってアリアに両手を伸ばし、彼女のマフラーを顔の半分まで覆うように引き上げた。


「むぐ」

「とりあえず店に入ろうか。お昼を食べてお腹いっぱいになれば、きっと暖まるよ」


アリアはこくこくと頷き、二人と一匹は歩き出した。いつも通りの表情をしているオスカーに、アリアは尋ねる。


「オスカーはこの風も平気そうですね」

「俺は体温が高いからね。鍛えているからかな、アリアも今度一緒に鍛錬してみる?」

「…遠慮します…」


オスカーの鍛錬をアリアは何度か見たことがあるが、あんなのをアリアがやったら筋肉痛なんでものじゃ済ます、一瞬で潰れそうである。


(そりゃあれだけ鋼みたいに硬い筋肉があれば、体温も高くなるよね…)


そう考えている己に気付き、アリアは頭を抱えたくなった。昨日アリアが少し寝ぼけ眼で起きた時のことを思い出したのだ。


温かいけどなんか固いと思って目を開けた時、目の前にあったのはオスカーの顔である。そして自分が乗り上げていたのは、薄いシャツ一枚だけを着たオスカーの上半身に乗り上がっていたのだ。一発で目が覚め、アリアは飛び起きた。


オスカーが苦笑いをして、ウルを間に設置していたんだけど、夜の内にでも移動したみたいだねと言っていた。その言葉に答えるように、ベッドの足元の方からウルが顔を出す。


自分が乗り上げていたことについてはオスカーは言及しなかった。気を使って言わないでくれているのだろう。とてもいたたまれないが、しかし言及されたら更に困る。


アリアは今朝の記憶を遠くへ投げやり、アウランの街並みを見渡した。煉瓦造りの頑丈そうな建物が多い。動物連れ可の看板が出ている店に足を踏み入れる。


森狼の登場にお店の人は驚いた顔をしながらも、この一帯の店は商売のための旅をしている客が多く、魔獣の家畜連れも多いとのことで、魔封じの腕輪と調伏の首輪をしているのであれば問題ないと、快く入れてくれた。


ウルはテーブルの下に潜ってくつろいだように体を丸めている。獣用のメニューは特に無いので、持ち込みのものを与えて良いとのことだったので、林檎と干し肉を与えておく。


こじんまりとした店内だが、暖炉の火で室内はとっぷりと温かい空気に満ちていて、アリアはほっと息をついた。


メニューには様々な煮込み料理が並んでいて、アリアは悩みに悩んだが、珍しいところで鯨肉のブラウンシチューを選んだ。


「俺は羊肉とキャベツのトマト煮込みを」


オスカーの注文に、アリアは少し目を瞠る。羊肉とキャベツの煮込みはディーリンジアの定番料理で、アリアが鯨のシチューと最後まで決めかねていたメニューだった。オスカーはアリアににこっと笑った。


「途中で交換しよう」


その二択で悩んでいたことを、口には出していなかったはずなのだが、どうやらバレバレだったらしい。


「…オスカー、ちゃんと自分の食べたいものを選んでくださいよ」

「はて?俺は食べたいものを選んだけど、それがたまたま君が食べたかったものと同じだったのなら、嬉しいね」

「ぐぬぬ…」


そんなやり取りをしてる間にサッと運ばれてきた、湯気を立てる料理は、鯨のシチューも羊肉とキャベツの煮込みも、とても美味しかった。


「…生き返りました。美味しかったですねぇ」

「うん、良い味だったし、体がほかほかする」


皿はすっかり空になり、二人は満足のため息をついた。

しかし、いつまでものんびり余韻に浸っている訳には行かないのである。


アリアは少し目を伏せて言った。


「…さてこの後ですが、例の人に面会を取り付けるために、まず町の中心にある、例の人の後見人の屋敷を尋ねます」


例の人、とまどろっこしい呼び方をしている人物は、もちろんアウランへの訪問の目的であるディレイ・ノルヴァインである。彼は有名人なので、周囲の人が耳に留めないよう名前を伏せた。


「あとは紹介状を提示して通してもらい、例の人に面会してサクッとウルの義眼を作ってもらえれば終わりですが、何となくそうスムーズに行かない気がしています」

「うん、俺もそんな気がするよ…。あの伯爵の友達だし…」


暗い予感と共に、二人は後ろ髪引かれつつ、森狼と共に居心地の良い店を発った。

彼らを待ち受けているのは、予想通り、いや予想以上の波乱である。

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