ナルグの街でお買い物 2
昼食にはオスカーが選んだ店に入った。
ステンドグラスが嵌め込まれた木の扉を開けると、店内は薄暗かった。室内全体を照らし出すような証明は無く、赤煉瓦の壁に等間隔で設置された小さなランプが、年季の入った飴色のテーブルや、臙脂色の革張りの椅子を柔らかく浮かび上がらせている。
こぢんまりとした、けれどほっとするような空間だった。案内されたテーブルの上には、花のような形をした結晶石が生花のように小瓶に活けられ、仄かな青い光をじんわりと放っている。
「素敵なお店ですね…!」
「アリアが好きな感じかな?」
「たいへん好きな感じです!」
「じゃあ良かった。ここは魚介のスープパスタが有名な老舗で、来てみたかったんだ」
「思い切り期待します!」
ナルグは人気の観光地ではあるが、冬の真っ只中となると辿り着くのも一苦労の土地なので、仕事以外で訪れる客はほとんどいなくなるそうだ。
このお店も春夏秋は混み合い、並ばずに入れることはまず無いらしいが、今はアリアとオスカーの他にはぽつぽつと客が居る程度である。注文をすればすぐに、湯気を立てるお皿が運ばれてきた。
「お、美味しい…!」
「うん、驚いた。美味いね…」
魚や海老や貝の旨味が全て閉じ込められたようなスープパスタは、少し意識が遠くなる美味しさだった。
「でも、ディーリンジア北部でパスタって珍しいですね。南西部だと結構食べられてますけど」
「昔はスープにパンを添えて出してたんだけど、南西部から来た観光客が、これは絶対パスタの方が合うって言って、試しに作ってみたら美味しくて看板メニューになったらしいよ」
「パスタが旨味をぜんぶ吸いますもんね。名も知らぬ南西部のひと、感謝です…」
食後に出されたお茶はとうっすら青みがかっていて、こくんと飲むとローズマリーに似た香りがほのかに鼻を抜けた。
「この後は、食料の買い出しかな」
「はい!……お肉は充分過ぎるほどあるので、それ以外ですね」
「…シオドーラさんから、雪氷鹿の脚一本分の燻製と塩漬け肉の一樽分貰ってしまったもんね。ユノーグからは一年くらい足りそうな楓蜜…」
「オスカーの格納庫に入れていただいて助かりました。田舎のお土産の量は半端じゃないですね…。シオドーラもユノーグも、何でも手加減無いなぁ…」
「…ねぇアリア。話がずれるかもしれないけど」
「はい?」
「俺と話す時も、敬語やめるのはどうでしょう」
アリアは目を丸くした。オスカーが少し気まずそうに頬をかく。
「俺は職業柄、市民から敬語を使われがちで意識してなかったんだけど…、サーメイヘルガで君があの二人と平語で話しているのを見て、ハッとして。仕事で君に付いている訳じゃないから、君が俺に敬語を使う理由は無いなって」
「えっと…、無理に敬語を使っている訳じゃないので、気にしなくて大丈夫ですよ?」
「そっか、じゃあ俺のお願いとして。敬語を外してくれると嬉しい」
「で、でも…、オスカーは年上ですし」
「シオドーラさんとユノーグは?」
アリアはうっと詰まった。確かにシオドーラとユノーグにはすぐに敬語が外れたが、それは四年前に彼らと過ごした二週間、あまりに容赦皆無で問答無用な詰め込み授業を受けたからである。特に実施の方は、敬語なんて使っている余裕は全く無かったのだ。
「…か、家族ですし」
アリアはあの地獄の二週間について語る元気が湧いてこなくて、無難かつ嘘ではない答えを返したのだが、オスカーの表情が曇る。
「俺は他人かな」
オスカーが余りに寂しそうにそう言うのでアリアは慌てた。
「そ、そうじゃないです!仮にも婚約者ですし…!」
「そう仮にも、将来的に家族になる間柄だ」
「え」
オスカーがふっと笑う。
「だからね、少しずつで良いけど気軽に喋ってほしい」
「…善処します」
アリアは小さい声でそう答えて、残りのお茶をぐびっと呷るように飲み干した。
***
食料品に、靴やテントの手入れ用品、新しいロープやナイフの替刃など、予定していたおおよその買い出しが終わる頃には夕刻になっていた。
先刻ようやく昇った太陽が、すでにほとんど沈んでいる。明るい日の下で見るナルグの街も良かったけれど、再び暗闇に沈んだ街にランプの光が煌々と輝いて、暗闇と対比したその光は余りに鮮やかで綺麗で、いつか今日の日ことを思い出す時、目蓋に浮かぶのはきっとこの景色だろうとアリアは思った。
「夕食の支度を始めるにもまだ早いし、のんびり市場を見て回ろうか」
「そうですね!必要なものはみんな買いましたし、面白そうなものとか見ましょう」
この季節、飲食店はほとんど夜の営業をしていないそうだ。ほかの季節が忙しいので、腕がなまらない程度に昼に店を開けても、日が沈み始めたらさっさと店を閉めて、春に向けて新メニューの考案をしたり試作をしたり、もしくはひたすらのんびり骨を休めているらしい。
だからアリアとオスカーは市場で夕飯の材料も買い、宿に帰ったら自炊予定である。
屋台の温かい葡萄ジュースをオスカーが買ってくれたので、二人で飲みながらのんびり歩く。スパイスが効いていて、ほこほこしてくる。
「オスカー!これ見てください!呻く鍋だそうです」
「呻く…?」
「意外と実用品みたいですよ。鍋に入れた材料の組合せが良くなかったり、煮込み過ぎとか、逆に火から上げるのが早過ぎたりすると、呻いて教えてくれるそうです」
「呻く以外にも気付かせるやり方はあったと思うけどね…」
そんなこんなしていると、アリアはふとある商品に目が釘付けになった。それは色違いの対のティーカップで、一つは赤からオレンジ、淡いピンクにグラデーションになっている夕焼け色と、もう片方はウルの毛並みのようなエメラルドグリーンがかかった青で、どちらもアリアが凄く好きな色だった。無意識の内に足が引き寄せられる。
「それが気に入った?」
隣に並んだオスカーに声をかけられて、ハッと我に帰る。
「あっ、はい…」
「ウルみたいな色だね」
「そうですよね!」
「赤い方も夕日の色で綺麗だね。ペアになっているのかな」
店の主人が愛想よく言う。
「それ、良い色でしょう?釉薬に、大地の精霊の祝福を受けた結晶石を使っているのよ。素晴らしい発色を齎すけれど、気まぐれな素材だからね、同じ調合をしても、次に焼く時には全く違う色になってしまうの」
つまりこれを逃したら、同じものには出会えないということである。アリアはごくりと唾を飲み込む。こんなに好みの色が二色揃っていて、買わなかったら後悔するのが目に見えている。
(しかしペア…ペアか…)
自分用に買ってこの二種類を日替わりで使うのも良いかもしれないが、オスカーも既にこのティーカップがペアで売られているのを見ている訳で、その使い方はとても微妙な気がする。アリアはこぶしをぎゅっと握る。
「…オスカー、良ければ一緒に使いませんか」
意を決してそう言えば、オスカーは一瞬目を瞠った後、にこりと微笑んだ。アリアはなんか嫌な予感がした。
「アリア、善処は?」
「……!」
アリアは躊躇ったが、背に腹は変えられない。
頬が熱くなっている。下を向いてしまいそうになる目線をぐぐぐと上げて、オスカーに訴える。
「オスカーと、これ、一緒に使いたい…」
そうして出た声はか細く震えていて、しかも言い回しが舌ったらずな子供みたいで、アリアはどん底な気分になった。しかも対するオスカーの返事がこれである。
「…ごめん」
「そんな!」
アリアは悲痛な声を上げた。オスカーが慌てて否定するように手を振った。
「いや、違うんだ…。ちょっと待って、ごめん。……思った以上に来た」
「何がですか?!」
「……。すみません、このティーカップください」
「えっ えっ オスカー?」
戸惑うアリアを尻目に、オスカーがさっさとお金を払う。店主はくすくす笑って、「とびきり可愛くラッピングしておくわね!」と一度屋台の奥の方に引っ込んだ。
「オスカー、欲しがったのは私ですから、私が買いますよ?」
「一緒に使うんだろう?」
「それにしても割り勘…」
「良いから買わせて。善処してくれたお礼」
「ええ…?」
店主は宣言通り、とびきりのラッピングをしてくれた。ティーカップの工房のワンポイントが入った白い箱に、数種類のリボンが掛けられて、花のような凝った結び目で留めてある。
気の良い店主にお礼を言って店を後にし、アリアは思わず、ティーカップの箱が入った紙袋をぎゅっとした。
「嬉しいです…」
オスカーは黙って、アリアの頭を撫でる。そしてティーカップの入った紙袋を受け取り、格納庫に仕舞った。
「…楽しかったね」
「はい!」
二人は手を繋いで、宿へ戻る道を辿った。




