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その頃、王城にて 2

この季節は陽が沈むのが早いのでと、本日の任務先が早めに帰してくれたのを良いことに、レティナは帰城後、ずっと書庫に籠もっていた。


本棚近くに引きずってきた椅子に座り込んで、本を一心不乱にめくっていると、頭上から「こら」と聞き慣れた声が降ってきた。見上げれば、青磁色の瞳と目が合う。


「…クレイド様」


呆れたような顔でレティナを見下ろすのは、この国の第二王子であり、婚約者でもあるクレイドルフだった。


「レティナ、また食事をすっぽかしたそうだな。学ばないやつめ。お前の部屋の壁紙を人参柄にしてやるぞ?」

「ご、ごめんなさい…!」


恐ろしい提案にレティナは震えた。有言実行のこの王子であればやりかねない。このあいだ、とうとう夕食に人参のフルコースを味わう羽目になったばかりである。しかしあの時は、料理長が物凄く頑張ってくれたらしく、レティナでも美味しく味わえるように工夫され、人参自体への忌避感も薄れたのだが、それにしたって壁紙の模様は無いだろう。


「ほら、休憩室に行くぞ。すぐに食べられるものを用意させた」

「…ありがとうございます」

「俺を給餌係に使うのはお前くらいだ。高くつくぞ」


クレイドに腕を取られ、のろのろとレティナは立ち上がる。連行されるような気分で、書庫の隣に設けられている休憩室に向かった。


クレイドが慣れた手付きで料理をテーブルに並べる。


赤紫の玉ねぎの酢漬けと、鮮やかな橙色が綺麗な燻製鱒のスライスを和えたもの。ローストチキンのサンドイッチ。色とりどりの野菜をとろりと煮込んだスープ。海老と濃厚なチーズソースを焼き込んだ一口タルト。


レティナの好物ばかりだった。おそらく好みを良く知る専属侍女が、料理人にあれこれ伝えてくれたのだろう。心に温かいものが広がり…ーレティナはそれをすぐに打ち消した。


レティナが無言で食事を口に運ぶその様子を、テーブルの向かい側から、クレイドが同じように黙って、頬杖をついて眺めている。一通り食べ終わったのを見届けると、クレイドはポットからコポポポ…とカップにお茶を注ぎ、レティナに渡した。


「ありがとございます」


香りから、そのお茶がレティナの好きなマルル草のお茶であることがわかったけれど、そのことには触れずにただお礼を言った。クレイドは自分の分も注ぎ一口飲んで、レティナに尋ねた。


「何を調べていたんだ?」

「……怪物のことです」

「やっぱりか」

「私はまだ、怪物討伐に行かせて貰えないんですか?」

「相変わらず、怪物による被害はほとんど出ていないし、そもそも怪物自体の発現率が低い。斃す対象も居ない状態で、どうやって討伐しに行くんだ」


それは、何度も交わされたやりとりだった。


「出現が観測されても、すぐに姿を消してしまう理由もまだわからないんですか?」

「……すまない。現在は土地と生物の結び付きに詳しいザルツストラーダ卿に調査依頼を出しているんだが、はかばかしい返事はない」

「…いいえ。けれど、何の根拠もありませんが、お姉さまが関わっているんじゃないかって、思ってしまうんです」

「……そうか」


クレイドは、否定も肯定もしなかった。その代わり、腕を伸ばしてレティナの頭をくしゃっと撫でる。


「……後日正式に、お前に伝令を下す予定だったが、今伝えておこう。お前に遠征許可が出た。ギルロアだ」

「ギルロア…、三年くらい前に怪物の出現が確認された?」

「ああ。かつて怪物が出現した地域の中では、一番王都に近い。いくら今、怪物の問題は穏やかに膠着しているとしても、その原因もわからぬ以上、いつそれが崩れるともわからない。いつまでも籠の鳥にしておく訳には行かないと、父君も兄上もわかっている。お前は実際に怪物が出た環境で聖なる力の訓練をしてこい」

「…クレイド様が、陛下と王太子殿下を説得くださったのでしょうか」


クレイドはニヤリと笑って、何も答えなかった。仕方ないのでレティナは別の質問をする。


「…いつになりますか?」

「二ヶ月後だ。少し先ですまないが、警護編成の見直しや、城からギルロアまでの道程に危険は無いか調査が必要でな」

「…籠が大きくなっただけのような?」

「たとえそうだろうと、動き回れる範囲が増えて運動になるだろう?そうすれば、余計な事を考えて夜を明かす心配は無くなるかもな」


クレイドはそう言って、レティナの目元の隈に触れた。


「お前はもっと寝ろ。それにちゃんと食え。いつかナタリアが戻ってきた時に、お前があんまり不健康だったら心配するだろうが」


レティナは目を見開いて、少し笑って、「はい」と答えた。クレイドは満足そうにレティナの頭を再びぐしゃぐしゃと撫で回したが、すっと笑みを消して、低い声で言った。


「わかっていると思うが、遠征に乗じて姿を晦まそうなんて思うなよ?」

「……私は、そんなことは」

「ほほう。何度お前が、城から脱走しかけたことを揉み消してやったと思っている?」

「…ここ二年はしてないはずです」

「そうだな、一年と八ヶ月はな。気がはやるのはわかるが、俺の手下が見付けられないでいるのに、お前が行って見付けられるとは思わない」


その言葉に、レティナは一瞬悔しそうな色を目に滲ませたが、すぐに表情を拭い頷く。

クレイドはやれやれと思いながら、空になった皿をてきぱきとバスケットに戻し、レティナに言う。


「俺が部屋まで送っていってやりたい所だが、まだ仕事が残っていてな。部屋の外に騎士を待たせてあるから送って貰え」

「…まだお仕事が残っているのに、私に時間を取ってもらってすみません」

「その通りだな、食事くらい自分でさっさと取るようにしろ」

「う…」

「まあ仕事はすぐに片付くさ。オスカーからの手紙への返信だ」

「オスカーは元気なんですか?」

「ああ。…あいつには全く呆れた。任務は滞っているくせに、どうも旅先で恋人が出来たらしい」

「ええ?」


思わぬ言葉に、レティナはつい声が笑ってしまった。二、三度くらいしか顔を合わせたことがない、クレイドの部下である騎士オスカーだが、クレイドはいつも彼のことを、『優男の見てくれを持つ冷血漢』と呼んでいた。

そんな彼が恋人を得たのか。レティナの我儘で途方も無い任務に就かせてしまっている負い目があり、勝手ながらそれはむしろ喜ばしいことだと思った。しかし、少し考えて俯く。


「……任務は、続けてくれるのでしょうか」

「色ボケやがって一度、辞めさせて欲しいという申し出があったな。しかし心境が変わったのか、それとも俺が、辞めるなら女も連れて城に挨拶に来いと言ったせいか、任務を続けさせてくれと新しい手紙が来た」


レティナは複雑な心境になりながらもほっとした。オスカーはクレイドが一番信頼している騎士で、もしナタリア捜索から彼が抜けるのは痛いと思ったからだ。


「好きな女を優先したい気持ちは良く分かるが、分かるからこそ俺も引けないな」

「え」


何が起きたのか気付いた時には、額からクレイドの唇は離れていた。


「おやすみ、レティナ」

「…おやすみなさい、クレイド様」


レティナはクレイドの背中を見送り、一度その場にしゃがみこんだ。


***


レティナは私室に戻った。

四年前、住まいを王城に移した時に与えられた、広く豪奢なこの部屋。すっかり慣れたけれど、未だに愛着は湧いてこない。


ではリュシャン家に戻りたいかというと、そうではない。姉のいないあの城に、戻りたいとは思わない。

月に一度、両親が王城を訪れ、共に食事を取る。その時、レティナはとてもそつなく振る舞う。その振る舞いは、『娘』のものではなく、『聖女』としての完璧な振る舞いだということを、彼らは気付かない。満足気に帰っていく両親を笑顔で見送り、その姿が見えなくなると拭い去ったように笑顔の仮面が剥がれる。


レティナは寝台に横になり、目をつむった。何度も、何度でも、思い出すのは四年前の姉と別れた日のこと。


広間でナタリアと二人きりになった時、彼女は風もないのに髪をなびかせ、爛々とした目で、明らかに魔力が暴走していた。あの時、ナタリアはレティナを、魔術の茨で拘束した後、何かを呟いたのだ。一言ではなかったそれは、衝動的な言葉ではない、冷静な言葉の連なりに聞こえた。


『 _____ 』


『おねえさま…?』


(…あれは、きっと詠唱だった)


レティナは魔術を学んだことは無かったが、聖女に同行する王室付き魔術師の詠唱する様は幾度となく見てきた。

それに近い感覚を、あの日のナタリアの呟きから感じた。


あれは何の詠唱だったのか。目に見える範囲では魔術らしい反応は、何も起きなかった。


直後、ナタリアはナイフを振りかざした。咄嗟にレティナは目をぎゅっとつぶった。しかし、いくら待てど冷たい刃物がこの身に降ろされる感触はしなかった。


目を開ければ、ナタリアはナイフを高くに振りかざしたまま、石になってしまったように固まっていた。その目はレティナを映していて、驚愕に見開かれていた。そして彼女が口にした言葉を、レティナは未だに誰にも、クレイドにも伝えていない。


『聖女レティナ……?』


あの日まで、決してナタリアはレティナを聖女と呼ぶことはなかった。聖女扱いすることもなかった。

それは姉が指名手配犯になってから世間が言い出したような、レティナを聖女として認めていなかったからでは無い。


ナタリアは、レティナのことをただレティナとして、手のかかる妹として見ていてくれたのだ。

しかしあの時、ナタリアは目を見開いて、まるで他人のように『聖女レティナ』と呼んだ。そして、その直前まで、信じたくない事実ではあったが、確かにレティナに向けられていた殺意が、一切消えていることにも気付いた。


直後、王城からの騎士団の到着に、ナタリアは広間の窓から去っていった。茨に絡め取られたままのレティナは、為す術もなくそれを見送った。


ナタリアがいなくなって、急にクレイドはレティナとの婚約を決めた。昔から、クレイドに自分との婚約が幾度も打診されていたことは知っている。その度にクレイドが上手くかわしていたことも。クレイドが自分へ向ける眼差しとは異なる、熱を孕んだ視線を姉に送っていたことも。


ナタリアがいないのならもう誰でも良いのか、それとも姉を失ったレティナを、代わりに自分が支えようと思ったのか。

クレイドとの婚約が決まったという報せを受けた瞬間、この胸に感じた歓喜は、一瞬で自己嫌悪に変わって、その黒い染みは今もここにある。


聖女なんて讃えられて、本当に大切にしたい人達からは、自分は奪うばかりでは無いか。


絶対にナタリアを見付けなくてはいけない。

そして自分が奪ったものすべてを、返さなくてはならない。


『聖女レティナ……?』


また、あの戸惑ったような声が呼び起こされる。あの時、一体ナタリアは何をしたのか。

しかし全ては彼女を見付け出し、保護してからの話だ。


「……だからその日まで、どうか…ご無事でいてください」


レティナは祈る神を持っていない。

自分のような人間を聖女と呼ぶ宗教を、その聖女を己の化身と呼ぶ神だなんて、信じられる訳が無い。


だからレティナは、きっとこの同じ空の下にいるはずの、ナタリアに向けて願った。

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