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祭りの日の朝

アリアとオスカーが婚約を交わした翌日。


(今日は、冬迎えの祭りの日だ…)


アリアは随分早くに目を覚ましてしまった。もう一度眠ろうと寝返りを打つが、騒がしい心音が眠らせてはくれなさそうだった。少し早いけれど、もう起きてしまうことにして、アリアはシオドーラを起こさぬようにと、慎重に起き上がる。


ふと、剥いだ布団を掴んだ手の辺りに、ちかっと光るものが目に入った。窓から差し込む月明かりに右手をかざせば、そこには純白の雪の結晶と、光彩を放つ石が輝いていた。左手でそうっと婚約守りに触れる。


(夢じゃ、ないんだな)


心を一層騒がしくしながら、身支度を済ませ、足音を忍ばせてシオドーラの寝室を出る。居間へ向かえばそこには先客が居て、アリアは息を呑んだ。


「…オスカー?」

「アリア。早いね」


居間で椅子に座って頬杖をついていたのは、緑の目の騎士だった。オスカーは驚いたように、けれど笑って、アリアを見上げる。

昨晩急展開で婚約してしまったばかりの相手に、心の準備もなく遭遇してしまったアリアは内心大慌てだが、動揺を押し殺して言った。


「…オスカーも、起きてしまったんですか?」

「ああ、目が冴えてしまって、寝付けなくて」

「…もしや寝てないのでは」


オスカーが苦笑する。どうやら肯定のようなので、アリアはうむむと眉間に皺を寄せた。


「今からでも横になったらどうですか?まだ数時間は眠れる筈です」

「うーん、どうかな」


顔色の確認をしようと、アリアはオスカーに近付く。すると、オスカーに右手を掴まれた。


「…ああ、ちゃんとあるね」


そう言って、オスカーはアリアの人差し指にはまっている婚約守りを撫でた。


「…?もちろん、ありますよ」

「そっか、…そうだよね。婚約を交わしたのは実は夢で、現実のアリアは俺から今にも逃げ出そうとしていないかとか、ちょっと考えてしまったんだ」


オスカーは笑ってそう言った。アリアは、渡りの精霊に襲われた時のオスカーの、苦しそうな表情を思い出す。冗談めかしたその言葉は、もしかしたらオスカーの本心なのかもしれない。


だから、オスカーがアリアの手をふっと離した時、今度はアリアが、躊躇いがちにオスカーの手を握った。オスカーが微かに息を飲む音がしたが、構わずに握り続ける。オスカーの手は剣を握る手らしく、古い傷がたくさんあって、皮は厚く固くて、骨ばってごつごつしている。アリアは、自分よりわずかに温度が低いオスカーの手のひらが、自分と同じになるまで握って、静かに口を開いた。


「夢じゃないでしょう?」

「…うん」

「それにこの婚約守りは、オスカーじゃないと外せないんですから、私はもう勝手に逃げられないんですよ」

「そう、だね…」


オスカーは一瞬瞠目した後、ふわりと笑った。その笑顔は屈託なく子供のようで、アリアは心臓がぎゅうっとして痛い。


「じゃ、じゃあ、気がかりは無くなったということで、オスカー寝てきてください」

「うーん、寝るよりこのまま、アリアと話していたいかな」

「…眠くなったら言ってくださいよ?」


それからアリアとオスカーはこれからの旅の行程について話した。なぜかわからないが手は繋いだままである。一度アリアが離そうとしたら、逆に指を絡め直されてしまってアリアは内心悲鳴を上げたが、オスカーがあまりににこにこしているので突っ込むことは出来ず、シオドーラとユノーグが起きてきてアリアがバッと手を引き抜くまでそのままだった。


シオドーラとユノーグが起きてきたのは、比較的いつもより早い時間だった。「早いね」というアリアの言葉に、ユノーグはあくびを噛み殺しながら答える。


「打ち合わせがあるんだ。俺は一応、クラン・セザルの上位魔術師だからな。前出て詠唱しなきゃいけないんだよ」

「へぇー、学芸会みたい」

「…学芸会が何かは知らんが、アリア。多分違うぞ」


シオドーラがテーブルにほかほかの朝ごはんを並べてくれる。


サーメイヘルガに来たのは、シオドーラとユノーグが自分を覚えているのか確かめるためだった。そして時期が合い、ユノーグがアリアに見せたかったという冬迎えの祭りの見物もすることになった。なので今日が終わったら、そろそろサーメイヘルガを立つ予定だとシオドーラ達には伝えてある。


シオドーラのごはんが食べられるのもあと少しだと思うと、胸の奥に隙間風が吹き込むようにすーすーするので、アリアはむんと気合いを入れ直し、もちもちのパンケーキを味わうことに集中する。生地を発酵させているので、ふんわりとヨーグルトのような香りと酸味があるこのパンケーキは、この数日ですっかり大好物になってしまった。


食後、あまりサーメイヘルガでは飲む習慣が無いというカフィルを、オスカーが淹れて、眠気覚ましに一気飲みしたユノーグはいくらかシャキッとした顔で出発していった。


残った三人は、カフィルをゆっくりと飲んだ。冬迎えの祭りが始まるのは、日没の一刻ほど前。アリアとオスカーは昨日は雪祭りの準備に駆り出されて忙しかったが、会場の準備はすでに完了しているので、今日はもう開始を待つばかりである。


「アリア、次に行く場所は決まっているのかい?」

「うん、まずナルグに寄って買い出しとかして、その後南下してアウランに行く予定」


ナルグはサーメイヘルガから一番近い、ディーリンジアの都市である。オスカーが王城に伝言を送るというので、まずナルグの通信局に行く必要があるのだ。そしてアウランは、元々アリアが行くつもりだった渓谷の狭間にある街で、サーメイヘルガから五日程歩いた場所にある。


アリアの返事に、シオドーラは何か思案するような顔をする。


「じゃあ丁度いい。アウランに行ったら、その後はローフォール島へ寄りなさい」

「えっ?」


アリアはぽかんとした。オスカーが考えるように口元に手を当てて言う。


「孤島ローフォールは確か、古代聖教を祀る、現存する唯一の教会がある島では…?」

「そう、結構有名な島だろう?まず常人が辿り着けない絶海の孤島だから、お伽噺のように伝わっているかもしれないけれどね」

「常人が辿り着けないとは」

「その教会にはローフォール唯一の島民である神父が住んでいる。そいつを尋ねるんだ。クラン・セザルのシオドーラに、ここを訪ねるように言われたと伝えれば通してくれるだろう」

「ローフォールの神父で思い出した…。人不老不死で人の生き血を啜るって噂を聞いたことがあるよ…」


げんなりした顔のアリアに、シオドーラは苦笑して、「無い無い」と首を横に振る。


「もし本当に人の生き血が必要なら、あんな誰も寄せ付けないような孤島に、一人で住んでいたりしないよ。まあ確かに、見た目の割に年寄りだけど」

「…神父の噂はともかく、ローフォール島までの航路には複数の難所があり、その難所を越えても、島の周りは切り立つ崖ばかりで、船をつけるのも難しいと聞きます」

「何でそんなとこに行かせるの…」

「もしかしたら、あの神父だったらあんたの知りたいことを知っているかもしれないからさ」

「知りたい、こと?」


瞠目して呟いたアリアに、シオドーラが赤葡萄酒色の瞳を細めて、頷く。


「アリア、私の娘。あんたには、この世界でしっかりと生きていって欲しいんだ。そのためには、知らなくてはいけないことがあるだろう?」


アリアの脳裏にちかちかと過るのは、有沙としての記憶。

そして記憶の呼霊である墓守りや、渡りの精霊に言われた言葉を思い出す。


(この世に、在らざる者…)


アリアはシオドーラに何と言って返事をすれば良いかわからず、黙って頷いた。シオドーラは優しい目をして、アリアを撫でる。そして良いことを思いついたように笑った。


「そうだ、久しぶりにあんたの淹れるお茶を飲みたいね。四年前のちょっとあり得ない下手くそさから、上達したかねぇ」

「……!」

「え、下手だったの?」

「あの時は慣れてなかったから仕方なかったの!ちょっと待ってて、淹れてくるから!」


オスカーの前で四年前の醜態をバラされて、直前に胸に過ぎった不安についてはひとまず棚に上げておき、アリアはバタバタと台所へ立った。


居間に残ったのはシオドーラとオスカーだ。シオドーラは、テーブルの木目を指でなぞりながら、独り言のようにぽつりと言った。


「…正直、アリアが婚約を本当に受け入れるとは思わなかったんだ。あんたがどうとかではなくて、誰に対しても、あの子が自ら繋がりを持とうとするとは思わなかった」

「……」


オスカーは、いつもアリアから感じる危うさのことを思った。いつでも独りで、すっと自ら闇に消えてしまいそうな危うさを。


「私とユノーグではまだ弱かったんだ。…オスカー、あんたならあの子を、繋ぎ止められるかもしれないね」


オスカーは目を瞑った。そして心に浮かべたのは、旅の間に見てきたアリアのくるくる変わる表情や、見ていてハラハラする予想のつかない動き。


「…逃がすつもりはありません」

「ふふっ。アリアはおっかない男に捕まっちゃったみたいだね」


しばらくしてアリアが戻ってきた。彼女が淹れたお茶は、いつも通りちゃんと美味しかったけれど、その四年前の下手くそなお茶というのも飲んでみたかったなと、オスカーは思った。

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