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雪の結晶と願い石

客間のドアがバアン!と開いた。アリアはびゃっと振り返る。


「よし、話がまとまったようだね!良かった良かった」


そう言いながらずんずん部屋に入ってきたのはシオドーラで、その後ろのドアの影では、ユノーグが真っ赤になって突っ立っている。


「…き、き…?!」

「うんうん、話は聞かせてもらったよ」

「俺は母さんに引きずられて来たんだよ…。お前ら本当何なの…」


シオドーラは満足気に、ユノーグは消え入りそうに答える。アリアは先程の間での自分とオスカーのやりとりを思い返し死にたくなった。林檎よりも赤くなってふるふると打ち震えていると、オスカーがひょいっと身をかがめて、アリアを覗き込む。


「聞かれたらまずかった?」

「……もしかして気付いてました?」

「気配があるなと思ったけど、アリアの家族だし問題ないかなって」


オスカーは何でも無いことのように言ってのけ、アリアはこの人の感覚は一体どうなっているのかと愕然とする。余程こちらの方が重症に見えるユノーグが「人が居るとわかっててあれかよ…」と頭を抱えながら、オスカーとアリアに尋ねた。


「あのさ、一応訊くけど…、名前の魔術の対策としての婚約なんだよな…」

「そうだよ!」


アリアは慌てて即答した。何故かオスカーは一瞬間を置いた後、「まあ、そうですね」と答える。


「それであのやり取りなのかよ…!」


ユノーグは耐えきれない事があったように、髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。就寝前だったので、いつも複雑に結い上げている髪を降ろしている。サーメイの髪は魔力を潤沢に宿すため美しいのだが、その髪をユノーグはあっという間に鳥の巣にしてしまった。そして目は死んでいる。


シオドーラがぽんと、息子の肩を叩く。


「はいはい、落ち着きなよユノーグ。妹に先越されて複雑なのはわかるけどね」

「先を越されたから荒れてるんじゃない!」

「はいはい」


くわっと反論するユノーグをとてもぞんざいにあしらいつつ、シオドーラはアリアとオスカーに言った。


「アリア、オスカー。婚約を決めたんなら、さっさと婚約の儀を済ませておこう。言葉を交わすだけでは、名前の魔術に抗うには弱いからね」

「婚約の…、儀?」


聞き慣れない言葉にアリアが聞き返し、シオドーラが頷く。


「ディーリンジアで正式な婚約をするには確か、住んでいる領へ申請が必要だったね。訳ありのアリアには無理だし、サーメイ式で行かせて貰うよ」


そう言ってシオドーラが取り出したのは、時代がかった飴色の小さな木箱だった。蓋を開けると中に収められていたのは二つの、雪の結晶を象った装飾品のような物だった。大きさは桜貝ほどで、ペンダントトップやブローチのように見えるが留め具はついていない。


材質は何なのだろう。結晶は、真珠のような光沢を持つ純白だった。そして結晶の中央には小さな石がはめ込まれている。石は澄んだ透明で、ダイヤモンドのように輝きを放っていた。


「綺麗だろう?」

「うん、綺麗…。これは?」

「これはサーメイが、婚約の際に交換する『婚約守り』さ。台座の部分は星や花を模したものや、意匠化した風とか人それぞれだけど、私達は雪の結晶にしたんだ」

「…私達?」

「ああ。これは昔、私が死んだ夫と婚約していた時のものだよ。これをあんたらにあげよう」

「えっ」


アリアは思わず声を上げた。オスカーも驚いたように目を瞠っている。


「そ、そんな大事なものを。ユノーグが継いだりするんじゃ」

「大概のサーメイは自分で作るんだよ。これも、私と夫がそれぞれ作って贈り合ったものさ。魔術の扱いがあんまり下手だったりすると、親のを継いだりするけど、ユノーグはこれでも、この集落の魔術師長の跡継ぎ候補だからね」


シオドーラの言葉に、少し落ち着いてきたらしいユノーグが腕を組んで頷く。


「俺が作る時は、台座は氷河鯨の牙にするかな。これの素材は雪氷鹿だっけ?」

「そうそう。雪の結晶部分は、雪氷鹿の角を守護の魔術に浸して結晶化させたものさ。低位のものに限るけど、邪な存在はこの石の魔力に当てられただけで弱るからね。ちょっとしたお守りになるよ」

「全然ちょっとしたじゃないような」

「効果はかなり期待できるぞ。父さんも存命時は魔術師長の跡継ぎだったし、母さんは魔術師長なんて面倒だからって、実力を絶妙に誤魔化してきた、父さんより凄腕の魔術師だからな」

「初耳だよ…。そんな凄いものを、貰ってしまって良いの…?お父さんの形見にもなるんじゃ」


ユノーグは手をひらひらと振る。


「貰っとけ貰っとけ。父さんだって、娘が貰ってくれるなんて嬉しいだろうしな」

「箪笥の肥やしになってるより活用された方が良いしね」


普通であれば婚約守りは、婚約期間を経て結婚後は、家の壁に埋め込み家の守護の魔術を強化するために使うそうだ。しかしシオドーラとその夫君で建てたこの家は、婚約守りでの補強が不要なくらいがちがちに守護の魔術を組み込んだらしく、婚約守りは箪笥に仕舞われていたらしい。


「だから、安心して貰っておくれ」

「…ありがとう」

「ありがたく、頂戴いたします」


アリアとオスカーの言葉に、満足そうにシオドーラが微笑む。


「サーメイ式の婚約は簡単さ。それをお互いの指に着けてやれば良い。相手の手を取って、人差し指の付け根のところにそっと置くのさ」

「わかりました。アリア、……いい?」


アリアはごくりと唾を飲み込み、頷く。


「よ、よろしくお願いします」


その返事にオスカーはふっと笑ってアリアの手を取り、ユノーグの父が作ったという婚約守りをアリアの指にそっと置いた。

途端にしゅわんと、婚約守りはアリアの指に馴染んだ。視覚的にはせいぜい、雪の結晶がアリアの指のカーブに合わせて形を変えた程度なのだが、感覚的にはまるで皮膚の一部になってしまって、何かを装着しているという違和感はまるで無かった。しかし驚いている暇は無く、オスカーがすっとアリアに手の甲を差し出した。


「じゃあ、次は俺だね。…よろしくお願いします」


アリアはこくこくと頷いて、震える手でオスカーの手を取る。あらためて、オスカーの手の感触や温度を意識してしまって、心臓が爆発しそうになる。つまんだ婚約守りをすべらさないように細心の注意をして、オスカーの指にそっと、婚約守りを置いた。すると、同じように雪の結晶が形を変えた。


「よし、これで婚約は交わされたね。ちなみに婚約守りは、嵌めた相手じゃないと外せないんだ」

「えっ…」

アリアは思わず上げてしまった声に、ハッとして自分の口を塞ぐ。オスカーがにっこりと笑ってアリアを見る。怖い。

「アリア。いつ外す必要があるのかな。この期に及んで、逃げようとしてないだろうね?」


笑顔のオスカーから滲む気迫に、アリアは首がもげそうなくらい横にぶんぶんと振った。「それなら良かった」とオスカーに撫でられて赤面する。シオドーラがやれやれとアリアに注意する。


「そうだよ、アリア。名前の魔術に抗う名目上、外さないようにすること。日常生活に支障は来さない魔術がかけられているから、ちゃんと着けたままでいるんだよ」

「はい…」


シオドーラに言い含められながら、アリアは不思議な気持ちになった。自分がまさか、名前の魔術に抗う暫定措置としてでも、婚約をするだなんて。緊張の糸が切れてぼんやりとそう思ってたら、急に手が握られた。見上げると、澄んだ緑の瞳がアリアを見詰めてくる。


「改めて、これからよろしく、俺の婚約者」

「よ、よろしくお願いします…。私の、婚約者さん?」


そう答えると、オスカーは一瞬目を瞠って、それからとても幸せそうに笑った。アリアはその表情に、息が止まりそうになった。


いつだってアリアの足元は不安定だ。いつ失われるとも知れないこの世界との結び付きを、まずシオドーラとユノーグが家族になって繋いでくれて、そして今日はオスカーが、婚約者として更に繋いでくれた。


婚約守りが着けられた手をそっとかざす。シオドーラから受け継ぎ、オスカーに着けて貰った婚約守りは、ランプの明かりしかない薄暗い部屋でも、きらきらと星のように輝いていた。婚約守りに見惚れるアリアを、シオドーラは微笑み、ユノーグは肩を竦めて、オスカーはただ見詰めていた。


アリアはふと、雪の結晶の中心に据えられた、石の由来をまだ聞いていないことに気付いた。


「この真ん中の石はどういう意味があるの? きっと、綺麗なばかりじゃないんでしょう」

「いや、この石には力は無いんだ。けれどサーメイの婚約守りには、必ずこの石が据えられる」

「へぇ…?」


不思議そうに石を見詰めるアリアに、ユノーグが説明する。


「俺たちはこの石を願い石と呼んでいる。魔力が無い代わりに、どんな魔力にも染まらず、影響を受けることが無い唯一の石だ。…どうか婚約を誓った時に願った事が、この石のように、何にも染まらず澄んだままでいられるようにと、俺たちはこの石を、婚約守りに据えるんだ」


シオドーラが「そうさ」と言って、アリアとオスカーの方を見る。


「オスカーはもう、願いは定まっているみたいだね」


その言葉に、アリアがちらりとオスカーを横目で見ると、彼は静かな目で頷いていた。


「アリア」


呼ばれて、アリアは再びシオドーラの方を見る。暖かな葡萄酒色の瞳に、まっすぐ見据えられる。心臓が、どくりと音を立てた。シオドーラは言った。


「…ちゃんと自分の願いを、見付けるんだよ」

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