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攫われた先で

気付けば、アリアは暗い森の中に居た。ゾッとして辺りを見回すが、雪氷鹿を囲む柵もオスカーの姿もどこにも無かった。かろうじて土地の魔力から、今自分が立つ場所がサーメイヘルガの中だとわかる。


それにサーメイヘルガの集落は、鯨の骨で出来た正門からでないと人の出入りは出来ない。だからこの場所はクラン・セザルの中には違いなく、先程まで自分が居た場所から、そう離れていない筈だった。だから焦るなと、痛いくらいにバクバク鳴る心臓に言い聞かす。


(…私をここに引き込んだのは、人じゃない)


この世界では、転移や召喚といった、移動を短縮する魔術は人の手に使えないのだ。


そしてあの瞬間、確かにアリアは手足を何かに掴まれたような感触があり、この場所に引き込まれた。今だ手足に、あの冷たいような温かいような温度感が残っている気がする。あれは、人の持つ温度ではない。


その時、辺りにクスクスという笑い声が響いた。世にも美しい、鈴の鳴るような声だというのに、身の毛がよだつような悍ましさを感じる。

シュッと目の前に、アリアと同じくらいの背丈の何かが現れた。その相手が一人でなかったことに、アリアは再びゾッとする。


それは三人の娘だった。いや人間に近い姿形をしているが、まぶたが無く、髪と瞳は虹色に煌めいている。


(…精霊、だ)


美しい乙女の姿をした精霊は、アリアを取り囲むようにして口々に言う。


『こんにちは、愛らしい子』

『こんにちは、不思議な子』

『こんにちは、可哀想な子』


(…言葉を交わしてはいけない)


『あら、怖がっているの?』

『怖がることは何もないのよ』

『あなたを助けてあげたいの』


彼女らはそう言って、にっこりと優しげに笑う。


『ひとつの体に、三つの名前だなんて』

『重たいでしょう。潰れてしまいそうでしょう』

『私達なら楽にしてあげるわ』

『悲しいこと、怖いこと、辛いこと』

『全て忘れさせてあげる』

『楽しい事ばかり』


言葉は耳から注がれる毒のようだった。目を覗き込んでこようとする精霊に決して目を合わせない様にしながら、アリアは精霊払いの印を切ろうとした。しかしその次に耳に入ってきた言葉に、印を切る動きを一瞬止めてしまった。


『あなたはこの世界に在らざる者』

『在らざる者は、どんな災いを呼ぶかしら』

『近しい者を、どんな災いに巻き込むかしら』


(聞いちゃいけない…!)


我に返ったアリアは再び印を切ろうとした。しかし、先程一瞬見せた隙が命取りだったようだ。アリアは自分の手に、足に、首に、虹色の糸が絡みついている事に気付いた。その糸の先を辿れば、これが精霊の髪の毛だということがわかった。


『だから食べてあげる』

『だから食べてあげる』

『だから食べてあげる』


精霊は三日月のようにニィッと笑い、歯を剥き出しにした。ナイフのような鋭い歯がぎっしり並んでいる。アリアは表情を歪めた。


飛びかかってきた精霊に、アリアは攻撃の呪文を唱えようとしたが、精霊の毛が首を締め上げ、声が出ない。苦しさに滲む涙でぼやける視界に、涎を撒き散らしてアリアに手を伸ばす精霊が映った。


「アリア!」


自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

それは確かに偽物の名前だけれど、四年間、ずっと一緒に歩いてきた名前だった。


初めて誰かと旅路を共にした。あの人が『アリア』と呼んでくれる時、その名前はとても上等な、かけがえないもののように思えた。


呼ばれる度に心に温かい雫が落ちて、ぬくもりが広がるようだった。今も、また。


ザッ


風を切るような音がした。その瞬間、アリアは塞がれていた気道が開放されて、新鮮な空気がどっと流れ込んでくるのを感じた。


地面に倒れ込み咳込んでいると、アリアの耳に、恐ろしい断末魔のような叫びが届き、やがて止まった。


「やれやれ、俺らが出る幕も無かったな」

「うむ、客人に仕事を取られてしまったの。暴れ損なったのぅ」


そんな声が近くて聞こえ、誰かに抱え起こされた。温かい手で、背中をぽんぽんと叩かれる。夜明け色の瞳と目が合った。


「ユノーグ…」

「アリア、怖かったな。でも怖いやつらは、もっと怖いお前の騎士が始末したからな」

「客人を危ない目に遭わせて済まなかったのぅ」


ユノーグに抱えられたアリアを、ひょこりと覗き込んでそう言ったのは、昨日宿にて遭遇した、クラン・セザルの魔術師長エルカンだった。


「あやつらは渡りの精霊での、魔力の高い人間が大好物でな。今朝方風に、やつらのいやぁな匂いが混じって来てな。村の民であれば渡りの精霊を退ける術を知っているが、客人に問題はないだろうかとユノーグを訪ねたのじゃ」

「いやぁ慌てたよ。急いで雪氷鹿の飼育場まで行ったんだけど、オスカーが血相変えて、お前が消えたって」


説明を聞きながら、徐々に意識がハッキリしてきたアリアは、もう大丈夫とユノーグに言って離してもらい、辺りを見回した。


「この場所は…?」

「クラン・セザルの一番端にある森だ。精霊のにおいを辿ったらここに行き着いたんだけど、お前かなり危なかったな。捕食一歩手前」

「うう、もう少し言葉を選んでくれる…?」

「美味しく頂かれる一歩手前?あんまりな絵面に、俺は思わず固まっちゃったんだけど、オスカーは間髪入れずに踏み込んだな」

「ほんにあの騎士…、まさか我々より早く飛び出して精霊の始末をするとはの…」


エルカンがしみじみ呆れたように言う。


「なぁ、見たかユノーグ。あやつわしがやった封印の組紐、普通に解けばいいのに引きちぎっていたぞ…?」

「それだけ焦ってたんだろ。勘弁してやってくれ」

「それは構わぬのじゃが、馬鹿力過ぎんか…?」

「……オスカーに喧嘩は売らないようにするかな」

「うむむ。…お、騎士殿が戻ってきたぞ」


その言葉に、アリアはバッと顔を上げた。澄んだ若葉色の瞳と目が合った。


「…アリア、怪我はない?」

「はい!オスカー、ありがとうございました」


そう答えると、オスカーは険しい表情を少しだけ緩めた。


「ふむ、精霊は怨嗟も残らぬくらい、騎士殿の手によってみじん切りになったようじゃの」


その言葉に、アリアはエルカンの視線の先は辿らないことにした。


「オスカー、アリア。一応これ飲んでおけ。精霊の障りの解毒薬だ。後になって熱や影響が出たりするから、今のうちに飲んでおくと良い」


ユノーグがそう言って二人に渡したのは、緑がかった黒の丸薬だった。飲み込むと、一瞬体の中をふわりと風が吹き込んだような心地がし、体が軽くなったような気がした。


「俺らは念のため村の見回りをしておく。オスカー、道はわかるな?」

「大丈夫です」

「よし。雪氷鹿の給餌は母さんが済ましておいてくれてるから、気を付けてうちまで帰れよ」


そう言ってユノーグは、エルカンと連れたって立ち去った。森にはオスカーとアリアが残された。アリアはハッとした。心配をかけた謝罪をしていなかった。


「…オスカー、心配かけてごめんなさっ…?!」


話している途中で、アリアはオスカーにぐいっと引き寄せられ、抱き締められた。首元に顔をうずめられて、アリアは内心ヒィッとなる。


「オ、オスカー…」

「……」


返事はなく、丸々五分くらい黙ってその体勢で居たように思う。アリアには気が遠くなりそうなくらい長い五分だった。


「……無事で、良かった」


やっとオスカーが言ったその言葉に、アリアは目が熱くなった。おずおずと腕を上げて、オスカーの背中に回す。


「オスカーのおかげで、無事でした。…心配かけてごめんなさい。助けてくれてありがとう」


抱きしめられる力が、少し強まったように思った。


「…君の手を掴むことが出来なくて、ごめん」

「オスカーは何も悪くないでしょう。私の注意が足りていなくて」


そう言いながらアリアは、オスカーがかすかに震えている事に気付いた。


「…怖かった。君と離れている間にもし、忘却が始まってしまったら、どうしようと。助けに行くどころか、…失っても喪失にすら気付かず」


アリアは返す言葉が見付からず、オスカーの腕の中で途方に暮れた。


スッと、ようやく体が離れた。アリアはほっとしたが、すぐにまたドキリとした。オスカーが今まで見たことの無いくらい、真剣な表情をしていた。


「オスカー…?」

「…ごめん、アリア。これは俺の我儘だ。けれどどうか」


オスカーの瞳が、苦しそうに歪む。


「俺と、婚約してほしい」







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