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少しだけ明かした秘密

「アリア、あんたにマクベイと云う姓をやったのは、あんたが、道中名乗る名字に困ってたからだけじゃ無いんだよ」

「シ、シオドーラ?!」


どうやらアリアが知らなかった何かが明かされているようだが、オスカーの前でアリアの名字が借り物だと宣言されてしまった事に意識が持っていかれる。アリアは真っ青になった。


「母さん、ちょっと」


珍しく焦ったような顔でユノーグが母親の手を引く。


「その話は今しなくて良いんじゃないか。ほら、飯の間だし難しいことは無しでさ」

「じゃあ食事の後に、お茶でも飲みながらかい?」


敏い彼女には珍しい、シオドーラのユノーグの意図を読まない返答に、ユノーグは途方に暮れたような顔をした。かたん、と静かに立ち上がったのはオスカーだった。


「…俺が聞いてはいけない話であれば、席を外します」

「何だいアリア、あんたはオスカーに何も話していないのかい?」


シオドーラが驚いたようにアリアに言うが、多分確信犯だ。


「オスカー、座りなさい」


オスカーは少し躊躇うようにした後、再び席についた。そしてアリアの方を向き、真剣な声で言った。


「…アリア、ごめん。君が話したくないことは訊かないし、…もし知ってしまったことがあっても、絶対に秘密にすると誓うから」

「おいおい。それは王室付きの騎士が口にする言葉にしちゃ無責任じゃねぇの?お前らのトップは王家で、そいつらに問い質されたら答えないわけには行かないだろ」


ユノーグが軽い調子で、しかし眼差しは鋭くそう言った。オスカーは「…そうですね」と頷き、しかし言葉を続けた。


「先日、俺は騎士団に退団願いを送りました」

「ごほっ」

「へ」


咽せたのはアリア、間抜けな声を出したのはユノーグである。


「アリア、大丈夫か?」

咳き込むアリアにオスカーが尋ねるが、それどころではない。

「い、今なんて…」

「退団願いを出したんだ、騎士団に。……けれどまだ、正式には受理されていないから、確かに絶対という言葉を使うのは無責任だったね」


オスカーはそう言って苦笑しているが、ユノーグは目を丸くし、アリアはしばらく固まっていたが、ハッと我に帰った。


「聞いてませんよ!」

「驚かせたかな?ごめん」

「一体何で」

「君に言っただろう?何も聞かないから、一緒に行かせてくれって。そのためには俺の肩書きは邪魔だったから」


何でも無いことのようにオスカーは言うけれど、何でも無いはず無いのだ。確かに、騎士団にはもう執着が無いと聞いていた、けれど。アリアは震える声で言う。


「……だって、約束があるって言っていたじゃないですか」


彼は、守らなくてはならない約束があると言っていたではないか。『美しいひと』と交わした約束が。オスカーは少し目を瞠った後に、苦笑いをした。


「そうだね。自分でも無責任だと思うけど、何より優先したいことが出来たから」


そう言ってオスカーはアリアの手を取った。澄んだ緑の瞳で見据えられて思い出すのは、純白の森での夜のこと。

まさか聖女との約束よりも、アリアと共に行くことを選んだと言うのだろうか。アリアが目を瞠って何も言えないでいると、向かい側からぼやくような呟きが聞こえた。


「…母さん。俺ら何を見せられてるんだ…?」

「そうねぇ、家族のこういうシーンを見るのはちょっと照れるね」


アリアはバッとオスカーの手から自分の手を引き抜いた。一瞬ユノーグとシオドーラの存在を忘れて、意識上ではアリアとオスカーの二人きりだった。恥ずかしすぎて顔から湯気が出そうだった。対してオスカーは平然としていて、何か不公平だとアリアは思った。


「アリア。オスカーはあんたを随分大事に思っているみたいだ。少しはあんたが抱える秘密を打ち明けてやっても良いんじゃないかい」

「それは…」

「…退団は俺が勝手にしたことです。アリアが俺に何かを返す必要はありません」

「オスカー。その誠実さは立派だが、この娘に限っては、多少強引にでも聞き出しておいたほうが良い。あんたが後悔しないためにね」

「後悔…?」


怪訝そうに呟いたオスカーにシオドーラはこくりと頷き、そして今度はアリアに顔を向けた。


「アリア。あんただって本当は、とっくにオスカーを信頼しているんだろう?信頼が無い関係であれば、あんたは逃げるためのやりようがいくらでもあった筈さ。そうしなかったのは、それだけの理由があるってことだろう」


シオドーラの指摘は全て図星で、アリアはどんどん視線が下がってしまう。とても、隣の騎士の顔を見る勇気はなかった。シオドーラは話を続ける。


「確かに、どこまで話すかは難しいかもしれないけれど、せめてもし、オスカーがあんたと離れたら、あんたの記憶を失ってしまうことくらいは話しておいたらどうだい?」

「…は?」


騎士の氷のようなその声に、魔術火で温かいはずの室内の温度が、急にぐんっと下がった気がした。


***


決してオスカーに明かすつもりは無かった秘密の一部が、シオドーラによって呆気なく暴露された。


「…アリア」

「はい…」

「どういうことか、聞かせてくれるかな」


シオドーラは晩餐のお皿の片付けと、食後のお茶の準備のために台所に立ってしまったし、ユノーグに視線で助けを求めれば、さっと目を逸らされる。


オスカーの目は鋭く、顔つきも険しい。


「君に何も訊かないと言ったけど」


オスカーは再びアリアの手を取った。だけれど先程のような、優しく掬い上げるような手の取り方ではなかった。隙無く捕まえられて、拘束されるように握られる。


「それは君と共に行く為に誓ったことだ。そうでないなら、前言を撤回しなくてはならない」


オスカーの口調からだんだん柔らかさが抜けている。旅をしながら、本当はこちらの方がオスカーの喋り方の素なのかもしれないとアリアは感じるようになっていて、たまに見せるそのぶっきらぼうな感じもかっこいいなと思っていたが、こうしてその状態のオスカーと向き合うと、かなり怖かった。怖い七割、かっこいい三割の心境である。


というのは現実逃避の思考である。オスカーの質問に一体どう答えれば良いのか。


「…あなたに余計なものを背負わせたくは無いんです」

「余計なものじゃない。何より優先したいと言っただろう」


アリアは泣きそうになった。そして、少しだけ、笑ってしまったかも知れない。オスカーが目を瞠った。


本当はずっと、彼に何もかも知ってほしかった。何もかも打ち明けるのは、きっと最後まで難しいだろうと思う。けれど、オスカーに今日まで嘘ばかりついてきた。本当のことを、オスカーに聞いてもらえるのだろうか。


「アリア・マクベイは、私の本当の名前ではありません」

「…そっか」


一世一代の告白なのに、オスカーの返事はそんな呆気ないものだった。目を剥くアリアに、オスカーは言葉を続ける。


「そうかもしれないなと思う時があった。…けれど名前の魔術は、問題ないのか?」

「…完全に本当の名前じゃない、というのともまた違っていて。……すみません、この辺りの事情については言えません。けれど私は、アリアの名を名乗っても苦痛を感じませんし、シオドーラが視るに、魂も削れていないそうなんです」

「…それなら良かった」


オスカーがホッとしたように息をつきながらそう言うから、アリアはまた泣きたくなってしまう。


「で、君の存在を忘れてしまうというのは?」

「…旅をしながら、色んな人に出会いました。まれに、もう一度同じ人に出会う時もあります。その時、例外なく誰もが、私のことを覚えていませんでした。……名前の魔術が、この点だけ作用するみたいです」


ここで湯気の立つお茶を運んで戻ってきたシオドーラが、口を挟んだ。


「四年前、アリアと別れた後に名前の魔術の動きを見ていたけれどね。丸二日も離れていれば、アリアという存在が、意識から漂白され始めた。徐々に注意が向かなくなって、自覚出来ないまま、五日で完全に忘却されるようだ。私達は対策をしていたから、その作用とは別の働きが動いて、忘れずに済んだけどね」


本来であれば人は知覚出来ない魔術の動きを、時折読み取ることが出来る人間がいる。それは、例えばエルカンやユノーグがにおいで感じるように、シオドーラは目で視ることが出来るのだ。


「…なぜあなた達は、その忘却が無いんですか?」


オスカーの問いに、アリアもこくこくと頷く。シオドーラが笑う。


「アリアにやったマクベイという姓。これは、ディーリンジア人であった父の姓だ。知っての通りサーメイは名字を持たないが、商いで王都に出る時はその名字を私は名乗ってるんだ」


その名字を、四年前アリアは貰った。アリアという偽名は決めていたけれど、うっかり適当に付けて、どこかの家と繋がってしまう名字だと困ると迷っていた。それならと、シオドーラがくれたのだ。


「名前の魔術は、その本人に対して付けられた名前にだけ有効だ。名字とは結びつかない。けれどね、名字が魔術的に重要ではないという意味ではないんだよ」

「もしかして、」


アリアは思い当たる魔術が一つ在った。


「そう、養い子の魔術さ。サーメイに於ける養い子の魔術を行うには、色々足りなかったから、マクベイという名字を使って魔術を結んだ。養い子の魔術は、名前の魔術に拮抗する古い魔術だ。あんたを私とユノーグに結びつけて、いずれ現れるかも知れない、名前の魔術の影響への対策としたんだ」

「初耳だけど…?」

「あんたに言ったら、色々めんどくさそうだったからね。変に考え過ぎて逃げ出しそうだ」


シオドーラは悪びれもせずしれっと言った。アリアはぐぬぬとなり、反論出来なかった。


「だからまぁ、騙し討ちであんたに求婚の献上品を受け取らせたっていう男の気持ちはわかるねぇ」


その言葉にユノーグは首をかしげた。


「でもさ、求婚の献上品って名前の魔術にあらがう程の結び付きは出来なかったと思うんだけど」

「そうだね。だからその分、石自体が持つ魔力で魔術を底上げしているんだろう」


ユノーグは改めて、アリアの耳飾りをしげしげと見た。


「確かに、馬鹿みたいな魔力量を含んでいるな。そんな石は見たことないけど、その男は何者だ?」

「……蹂躙の森の、ザルツストラーダ伯爵…」


再び持ち出された求婚の献上品の話に、オスカーから冷え冷えとした空気が放たれている気がしてアリアは慄きつつ、そう答えた。ユノーグは一瞬ぽかんとした後、吹き出した。


「ははっ、納得した。ザルツストラーダの三男坊か。随分昔だけど、エルカンのとこに滞在してた奴じゃん。あ、エルカンってうちの集落の魔術師長な」

「あ〜、あんた見に行ってたね」

「確かにあいつの真っ白な髪と同じ魔力質だ。それに、短い間でもエルカンに師事していたんなら、魔術の扱いの上手さにも納得出来る」

「そうだね…。うん、上手い具合に、求婚の献上品が象る紐付けの部分だけ利用しているよ。あわよくばっていう下心は全然無いみたいだから、オスカーあんまり妬かなくて良いと思うよ」


シオドーラが相変わらず何かを勘違いしていうようなので、アリアは慌ててオスカーを見た。オスカーは何かを考えるような顔をしている。


「忘却を防ぐために魔術を結ぶ必要があるなら、俺もアリアに求婚すれば良いのでしょうか」

「……ッ!!」


アリアは一瞬愕然としたが、すぐにオスカーが言っているのは、あくまで名前の魔術への対策としてのことだと思い直す。しかし一瞬にして沸騰して火照った頬を鎮めるのは難しかった。


「それは難しいね。名前の魔術に対抗できるような、その石みたいな馬鹿げた魔力量を持つ素材はそうそう無い」


アリアはシオドーラの返事にホッとした。いくら目的が別にあると頭でわかっていても、オスカーから求婚などされたら、色んな意味で心臓が止まってしまいそうだ。


しかしシオドーラは、ニィッと笑った。いつもなら温かみのある色彩に感じる、彼女の赤紫の瞳が妖しく光る。嫌な予感がした。後々アリアは、あの笑顔は悪魔の笑顔であったと振り返る。


「もっと手っ取り早くて、確実な紐付きが生まれる魔術の作法があるよ。婚約してしまえば良いのさ」

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