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求婚の献上品

ぎゅうときつく抱き締められて、息が苦しいくらいだった。アリアは押し出すようにして声をあげる。


「ユノーグ…、私のこと、覚えてるの……?」


自分の声は、みっともなく震えていた。ユノーグが「馬鹿か」ともう一度アリアを罵る。


「当たり前だろ、家族だろうが」

「……ッ」

「ま、お前みたいな意地っ張りの怖がりが、家族の元にちゃんと帰ってきただけでも良しとしてやるか」


アリアはユノーグの肩に顔をうずめた。すると、彼は耳元で無声音で呟いた。


「それに、母さんが何の手立てもなくお前を送り出したと思うか?」


アリアは目を見開いてユノーグを見た。ユノーグはニッと笑って、アリアの頭をぽんとひとつ叩いた後、体を離した。


体の向きを変え、傍らでぽかんと立っていた、宿の主に声をかける。


「ディディ、彼女達は我が家の客人だ。連れてくよ」

「お前の家の…?」


ディディはしばらく考えるようにした後、ハッとしたようにした顔をして破顔した。


「そうか、彼女だったのか。お前たち親子がずっと待っていたのは。良かったなぁ!」

「ああ、そうなんだ。全く待ちくたびれたよ!」


ユノーグはそう言って笑って、再びアリアの方を向き、それからオスカーを見た。


「という訳だ。アリアに、そのお連れさん。…おっと、森狼もか。サーメイヘルガに滞在する間は、うちに泊まっていってくれ」

「ちょ、ちょっとユノーグ」

「…俺もあなた方の家に、泊まらせて貰って良いんですか?」

「ああ、歓迎するよ」


オスカーの問いに答えた後、ユノーグは横目でちろりとアリアを見た。


「…色々聞かなきゃいけないこともあるしな。やれやれ、やっと来たと思ったらこれだ。水臭い」

「…?」

「ほら、さっさと行くぞ。母さんが待ってる」


ユノーグの言葉の意味がわからなかったが、急かされるままに宿を出る。


風にきらきらと雪片が舞う中、アリア達はクラン・セザルを歩いた。柵に囲われた放牧場の横を通り過ぎた時には、トナカイに良く似た、数十頭の雪氷鹿がこちらを振り向く。雪氷鹿は、白い毛皮と澄んだ青い目を持つ鹿で、アリアはほぅっと見惚れた。


「まあ、冬迎えの祭りを前に帰ってきたのは褒めてやるかな。美しい祭りで、お前に見せたいと思っていた」

「冬迎えの祭り?」

「もうすぐ極夜の日々が訪れる。大地が健やかな眠りに付けるよう、歌い踊って、土地の穢れを払う儀式だ」


そんな事を話しながら歩いていると、やがて村の一番端と思われる、森の脇に佇む一軒の家の前に辿り着いた。ユノーグは扉を開け、中へ入って行く。


アリアはオスカーと顔を見合わせた後、少し躊躇いながら後に続いた。


「母さん!不良娘が帰って来たぞ!」


ユノーグの言葉に、台所に立ちスープ鍋をぐるぐるかき回していた女性が振り向いた。女性は、ユノーグによく似た面差しをしていた。複雑に結われた黒い髪に、葡萄酒のような赤紫の瞳。


彼女は魔術の火を弱くして、エプロンで手を拭きながら、アリアの方へ歩いてきた。笑みを湛え、低く良く響く声で言った。


「随分遅かったじゃないか。道に迷ったのかい?」


アリアより少し背が低い彼女は、少し手を伸ばして、アリアの頭にぽんと手のひらを乗せた。


「アリア、おかえり。あんたがこの家に来るのは初めてだけれどね」

「シオドーラ…」


アリアはシオドーラに抱きついた。ユノーグの母、シオドーラは笑ってアリアの背中をバンバン叩いた。

彼女は小柄だがかなり力が強いので、アリアは結構痛かったが、それもまた懐かしかった。シオドーラの肩に顔をうずめ、溢れてくる涙をごまかす。


「アリアが少し落ち着いたら、食事にしようかね。ユノーグ、スープを見ておいてくれるかい?」


そしてシオドーラはオスカーに、声をかけた。


「アリアのお連れさん。初めまして、よく来たね」

「…オスカー・フォードと申します。初めまして」

「オスカー。どんな経緯かはこれから聞かせて貰うとして、この子と一緒に居てくれてありがとう。意地っ張りだけど、寂しがり屋だからね」


泣いていたアリアはその言葉で我に帰った。バッと顔を上げて、シオドーラに噛み付くように叫ぶ。


「シオドーラ!」

「おや、私が何か間違ったことを言ったかい?もう落ち着いたんなら、晩御飯としようじゃないか」


***


先程見た美しい姿のことは思い出さないようにしつつ啜る、雪氷鹿のスープは美味しかった。体が芯から温まるようだった。


秋に収穫して乾燥させていたキノコと森ニラを戻して雪氷鹿の脂身で炒めたものや、酢で締めた鰊を香草で和えたもの、木苺のソースが添えられた雪氷鹿のステーキなどがテーブルに並べられた。


森で採れる様々な果実を漬け込んだというお酒は、一口飲めば沢山の花が体の中で咲くような良い香りがした。


ウルには今朝獲れたという兎と、雪の中に埋めて保存していた林檎が振る舞われて上機嫌そうである。


アリアはしばらく滞在させて貰うお礼にと、ハルフェのシロップといくつかの薬草、キヌカのチーズを渡そうとした。しかしその名目ではシオドーラは受け取ってくれず、じゃあ里帰りのお土産だと主張して押し付ける。


オスカーはアリアと出会う前の旅で手に入れたという、火熊という凄い名前のお酒を渡していた。火熊は、ディーリンジア最南部の地、火山を有する街アーギーで作られている強い強いお酒だ。


人が飲むには不向きだが、火の系譜の精霊の力を高める効力があるそうで、火の力が弱いサーメイヘルガの地で、このお酒があるといざと言う時に助かることが沢山あるのだそうだ。


だが火熊はまず流通に出回らないらしく、シオドーラはとても喜んでいた。

ではそんな希少なお酒をオスカーはがどうやって手に入れたかというと、アリアと出会う前の旅の途中、アーギーで起きていた厄介事を騎士として対処し、解決の御礼として火熊を貰ったそうだ。


「へぇ!オスカーは優秀な騎士なんだな。その腕っぷしと顔面に、王宮付き騎士なんて身分があればかなりモテるだろ」


アリアはうんうんと頷いた。一緒に旅をする中でひしひしと感じるが、オスカーは優しくて、そして守るということに躊躇いがない。あんな風に接せられてしまえば誰だって恋に落ちてしまうだろう。


それがオスカーにとって騎士として当たり前に行うだけのものだったとしても。


「いくらでも相手を選べだろうに、何でアリアみたいな変な奴を選んだんだ?」


その言葉に、固まったのはアリアの方だ。ユノーグの口が悪いのは昔からなので、罵られた部分については流すとして、聞き逃せない何かがあったような。アリアは、恐る恐る聞き返した。


「…今なんて?」

「何で、こんなへんちくりんで面倒ごとの固まりみたいなアリアを選んだんだのかって聞いたんだよ。今日二人がサーメイヘルガに来たのは、結婚の報告だろう?」

「ごふっ」


咽せてげほげほと咳き込んでいたら、隣に座るオスカーが、アリアの背中を擦ってくれた。優しいけれど、咽ている顔をあんまり間近に見られるのは乙女心が死ぬので止めてほしかった。


アリアの様子に、ユノーグが不思議そうに首をひねる。


「アリアが今つけてる、その白い耳飾り。求婚の献上品だろ。オスカーから貰ったんだろう?」


とんでもない勘違いが進行しているらしく、アリアは泡を食いながら叫ぶ。


「ち、違う!オスカーに貰ったんじゃない」


シオドーラとユノーグは目を丸くする。


「……じゃあ、別の男から?アリアお前、ちょっと見ない間に悪い女に」

「それも違うから!こ、これは、少し前に会った人が、…強い魔力を持つ石だからって、お守りみたいな感じでくれた物なの。それに求婚の献上品であれば、指輪でしょ?!」


アリアの言葉に、ユノーグがいやいやと首を横に振る。


「指輪かどうかは、あの作法に本来関係ないんだよ。どう見てもそれ、求婚の献上品だぞ。母さんもそう思うだろ?」


シオドーラが頷きながら答える。


「そうだねぇ、確かに石に籠もる魔力は多いが、それだけじゃない。ちゃんと求婚の結びがされてるよ。アリアがそれを身に着けているってことはつまり、検討中ってことになるね」

「検討してない…!」


アリアは真っ赤になって叫ぶ。


『求婚の献上品』とはその名の通り、求婚の際に相手に捧げる品である。ディーリンジア含むこの大陸の古い習わしだ。今は実際に行う人は少ないが、物語などで良く登場するため、この大陸で育った人間なら誰でも知っている。


通例であれば、献上品は小指に付けるタイプの指輪である。


求婚に対して、承諾であればまずその意向を伝え、正式な婚約指輪の用意が出来るまで、献上品を身に着ける。ちなみに婚約指輪だと嵌める指は人差し指だ。


返答保留の場合には、答えが出るまでの間、献上品を身に付け、断るなら返品、承諾であれば流れは前述の通りである。


つまり、その献上品を身に付けている間は、婚約中もしくは検討期間であることを示す。


「その耳飾りを受け取る前、求婚の言葉か、それに近いことを言われなかったか?」

「……あ」


そういえば伯爵は、軽さを極めたような口調で「婚約しない?」とアリアに訊ねていたでは無いか。あの時アリアは、はっきり断りの言葉を返しておらず、また伯爵もその提案を特に取り消していなかった。


「それだな。その男が魔術師ということであれば、まず意図的だな。相手に悟らせないように求婚の献上品の作法を成立させるのって難しいんだけどな。そいつもやり手だな〜」


ユノーグが感心しているような、呆れているような口調で言う。シオドーラも苦笑しているので事態はそこまで重くないようだが、冷え冷えとした声で口を挟んだのはオスカーだった。


「…アリア、君の意にそぐわない物であれば、それは外しておこうか」

「う……」


しかし、そう簡単に耳飾りを外す訳にも行かないのだ。


ザルツストラーダ伯爵は、この耳飾りを付けている間はアリアを覚えていられると言っていた。あの伯爵は少々性格に難点はあれど、いざという時に助力を乞えるなら頼もしい人物だ。


アリアは思わず身を引いてしまい、オスカーの目がますます剣呑な光を帯びる。


(な、何でこんなに怒ってるんだろう…?)


「うわぁ、修羅場だ」


ユノーグは無責任ににやにや笑っているが、シオドーラはアリアの様子に何かピンと来たらしい。


「ははぁ。もしかしてその男の意図は、私があんたに姓をやったのと同じかね」


その言葉に、アリアが口をぱくぱくとさせた。

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