吹雪の中でひと休み 1
サーメイヘルガ。
それはこの大陸の北部に住む先住民族、サーメイの言葉で「我らの歩く場所」という意味だ。
転じて彼ら、サーメイ人が暮らすディーリンジア最北部から、その北端に接する隣国クシュカ最南部の呼び名として用いられる。
サーメイは雪氷鹿というトナカイに良く似た家畜を放牧し、森に暮らす人々だ。
国に籍を持たぬ彼らは、税を収めず、その代わり保証も受けず、自治を貫いている。
自然と交歓し、今ではほとんど扱える者が居なくなった精霊の魔術を扱う古の民。
そう聞くと彼らはとても取っ付き辛そうだが、ザルツストラーダ伯爵が一時期ホームステイをしていたと言うように、彼らはサーメイ人以外の人種とも交流を活発に行う。拒絶ではなく交流で自治を守ってきた彼らの人懐っこさは、ある種のしたたかさでもあるだろう。
***
地面を覆う薄い雪をさくさくと踏みしめ、白い息を吐きながら、アリアは歩く。
ザルツストラーダの伯爵邸を発ってから五日。あっという間に季節は、秋から冬に移り変わってしまったようだ。まだ雪は薄く、地面にもまだ所々に地肌が見えているけれど、いずれ全てが白く覆われるのだろう。
雲間から時折太陽が覗くけれど、雪片混じりの風は冷たい。
アリアはマフラーで首元をぐるぐる巻きにして、毛糸の帽子までかぶっていた。
こそっと、隣に立つオスカーを見る。自分のようにもこもこ着膨れることは無いけれど、内側に毛皮が打たれた、フード付きの濃紺のコートを着ている。すらりと伸びた背筋で詰め襟のそのコートをまとうオスカーは、凛としていて見惚れてしまう。フードが少しだけ魔術師のような雰囲気を醸しまた良しで、アリアは衣装チェンジしたオスカーを堪能していた。
ちなみにウルはというと、森狼は寒さに強いのでむしろ雪にじゃれまわって嬉しそうだ。しかし雪まみれになった体で更にアリアにじゃれつこうとするのは勘弁して欲しいところである。とはいえ、最近は夜になると優秀な湯たんぽとなるウルだ。この数日アリアは、この子をザルツストラーダの森で手放さなくて良かったと密かに思い始めている。
ごぉっと、一段と風が強くなる。分厚い雪雲に日差しが覆われ、風に交じる雪片の大きさが一回り大きくなり、量も増えたのか急激に視界が悪くなる。
「吹雪いてきましたね…」
「勾配の厳しい道でこのまま進むのは危険だろう。一旦テントを張って、休もうか」
オスカーの提案に頷き、森と道の境目に林立する、背の高い針葉樹の側にテントを立てた。
国の騎士様が与えられる優秀なテントは、一度地面に打ち付けてしまえばどれだけの風が吹こうともびくともしない、固定の魔術が付与された安心設計のテントである。
二人と一匹は転がり込むようにテントの中に入り、雪が吹き込む前に扉を急いで締めた。アリアはほっと息をついた。
「はぁ、冬の始まりの方が天気が荒れますよね」
「そうだね。本格的な冬が訪れてしまいさえすれば、案外静かなものだけれど」
そう言いながらオスカーは、アリアに床に置かれたふわふわのクッションを勧めた。収納の魔術が施されたテントは、外観からは普通の一人用テントにしか見えないけれど、中は四、五人入る広々とした仕様だ。幸運の迷い路で寝落ちした時はそんな余裕は無かったけれど、居心地が良いテントだ。
季節が移ろい、食事を外ではなくテント内で取ることが多くなり、アリアも少しずつこのテントに慣れてきた。
オスカーがさっと淹れてくれた湯気の立つカフィルを受け取り、アリアはほわっと表情をほころばせた。オスカーの淹れるカフィルは美味しいのだ。自分で淹れたものやお店で出されたものも含め、今まで飲んできた中で一番だとアリアは思う。
「ありがとうございます。オスカーの淹れるカフィル、美味しくて好きなんです」
そう言えばオスカーは目を瞠って、少し照れた様に笑った。
「…どういたしまして。カフィルくらいならいつでも、淹れてあげるよ」
「ではこちらも、お礼の品を献上しましょう。木苺味と紅茶味、どっちが良いですか?」
アリアがトランクから取り出したのは小さな缶で、その中にはキャラメルがたくさん詰まっていた。以前自炊の出来る宿に泊まった時に作り置きしたもので、どちらの味も中々だと自負する逸品である。
「これは…とても厳しい二択だな…」
とても強い国の騎士様が、二種類のキャラメルを前に切実な調子でそう言うから、アリアは笑ってしまう。オスカーは案外甘党なのだ。
「どっちもどうぞ。何となくどちらが良いか聞いてしまいましたが、オスカー甘いもの好きですもんね」
「…良いのかな?」
「もちろんです!」
オスカーはまず木苺味に手を伸ばし、蝋引き紙から剥がして口に入れた。木苺味なら、キャラメルの中から甘酸っぱい木苺のソースがとろりと出てくる仕様だ。アリアは、さてどんな反応が返ってくるかなとオスカーを観察し、結果彼は一瞬驚いたような表情をした後、アリアにとびきりの笑顔を向けてきて、心臓を撃ち抜かれる運びとなった。
アリアは瀕死になった心を蘇らせるために、カフィルをひとくち飲む。苦味の中にほんのりとした甘みがあって、ナッツのような香ばしさが鼻に抜ける。やはりオスカーの淹れるカフィルは美味しい。
テントの中にのんびりとした空気が流れる。
機嫌良さそうにキャラメルを頬張る騎士をちらりと見ながら、アリアは考える。
(…本当に、何も聞いてこないな)
ザルツストラーダの屋敷を出発してからのこの五日間。
オスカーがアリアに聞いてきたことと言えば、「疲れてない?」「辛いものは大丈夫?」くらいである。ちなみに辛いものについての質問は、二日前に凍るような風が吹いた日、オスカーが体があったまる少し辛いスープを作ってくれた時のことだ。
入院ばかりの身な有沙に辛いものへの耐性はなかった。けれどこの世界で、自分の体がまったくの健康であることを知り、それまで出来なかったことを結構無謀にチャレンジしてきたアリアである。
ディーリンジア全体としては余り辛いものを食べる習慣はないが、以前南部を訪れた際は、必ずその地域では前菜で出るという唐辛子のような野菜の漬物にも果敢に挑み、惨敗したものだ。もうあの土地には二度と行くものかと思っているが、それでもぴりぴりしたソーセージなど、程よい辛さであれば好きになったメニューもあった。
そしてオスカーが作ってくれたスープは、少しだけ辛いけれど、旨味を引き立てる素晴らしいバランスでとても美味しく、そして体がぽかぽかになった。また作って欲しいと伝えてある。
ちなみに食事当番は一日置きでアリアとオスカーが交代で担当する事になった。なんだかもう、本当に旅の相棒になってしまったようで、アリアは戸惑っている。
(オスカーは、薄々私の正体について、察していたりするのだろうか…)
それでも、何も聞かないというのだろうか。
彼を疑っている訳はなかった。オスカーがあんな風に誓って、裏切ることは無いと思う。
けれどそれでは、彼はずっと帰ることは出来ないのだ。本当にそれで良いのかと、問い詰めたくなってしまう。
しかしアリアとて捕まる気はなく、どのみちオスカーのためにしてあげられることは何もない。
だったら今はそんなに深く考えずこのままで良いか…と、思考の袋小路が行き着くのは、思考停止の現状維持だった。




