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その頃、王城にて

ディーリンジア王都、レッドヴィーク。

その最も中心にそびえ立つのが、陽に照射され赤金色に輝く、美しくも堅牢なディーリンジア王城だ。


広大な王城の中の一室に、この王城の中でも片手に入る影響力を持つ一人の青年が、難しい顔である一通の手紙を眺めている。

父王や兄である王太子と同じ、赤い髪と青磁色の瞳を持つ彼は、この国の第二王子クレイドルフ・バタミア・エリク・ディーリンジア。


「クレイドルフ殿下、聖女様がいらっしゃいました」

「帰ったか。通せ」


使用人にそう答えて、彼は手紙を引き出しに仕舞った。しばらくして現れたのは金の髪と瞳の美しい娘だ。


「クレイド様、只今帰りました」

「おかえり、レティナ」


親しい者にだけ許した愛称で彼を呼ぶのは、クレイドの婚約者でもある、聖女レティナ・リュシャン。


「今日の任務は、汚染された湖の浄化だったな。恙無く進んだか?」

「はい。まだしばらく浄化を続ける必要はありますが、本日予定分としては遅れはございません」


そう答えるレティナは、表情からほほえみを絶やさない。誰もがその美しさにぼうっとしてしまいそうな完璧な微笑みであったが、クレイドは彼女は本来、もっと違う笑い方をすることを知っていた。いつかその太陽のように眩しい笑顔を取り戻したいと思うけれど、しかし今はただ、クレイドも貼り付けたような笑顔を返して会話を続ける。


「そうか、もし何か予想に反する事があった場合は、すぐにアーサーにでも相談するのだぞ。くれぐれも無茶はするな」


そう言えばレティナは苦笑いをした。さっきまでの微笑みよりは、クレイドはこの方が好ましかった。


「わかっております、クレイド様」

「そう返事をしておいて、お前が無茶をして倒れた回数は両手じゃきかないからな。次倒れてみろ。聖女の食事メニューを全てニンジン料理にするよう厨房に命じてやる」

「…いつの話をしているんです。ニンジンは今はちゃんと食べれますよ」

「得意ではないだろう」


クレイドはレティナより三つ年上で、聖女認定されたレティナが、王城に頻繁に訪れるようになった頃からの付き合いである。


聖女は通常、どれだけ美しくどれだけ気高くあろうとも、王族の妃として招かれることは無い。

何故ならば聖女は、例えば怪物の出現や、戦争の勃発時など、危険を顧みず前線に出る役割を持つからである。

しかし、レティナは誰からも好かれる快活さ、そして公爵家の娘という身分からしても、聖女でさえなければ王太子の妃にでもなり得る条件を持つ娘だった。


そして異例な話ではあるが、第二王子クレイドとの婚約が持ち上がったのだ。

年の近い二人は確かに、クレイドは面倒見が良く、レティナはいかにも末っ子な甘え気質で、兄妹のように仲が良かった。

しかし正直な所、クレイドはレティナを手のかかる妹としか思っていなかった。それはクレイドを姉と同じような、遠慮せずに甘えられる存在として認識しているレティナにとってもそうだっただろう。


婚約には、聖女を欲する他国を牽制する狙いもあるのだろうが、それならば第三王子である弟が相手でも良いだろう。その場合でもクレイドには手のかかる妹が増えるわけだが、伴侶くらい落ち着ける人を選ばせてくれと思った。


むしろそういう話であればクレイドは、レティナの姉、ナタリアを気に入っていた。ごく稀に彼女は、レティナの付き添いで王城に馳せ参じ、三人でお茶をする事もあった。レティナが太陽であれば、ナタリアは湖のようで、その静けさが好ましかった。


しかし全ては、四年前に失われた。


その事件が起きた切っ掛けは、ごく限られた人間にしか知らされていない。

彼女らの両親が下した決断について、起きてしまった事件を踏まえても、クレイドには誤った選択だったと断じることは出来ない。しかし同時に、ナタリアは全くの犠牲者だった。


事件以来、レティナは人前で笑顔を崩すことは無かった。甘えることも我儘をいうことも無くなって、まるで完璧な聖女のようだった。けれど、例えば雨の日の王城で、ひとり窓の外を眺めていたレティナの後ろ姿こそが、今の彼女の心の在り様だとクレイドは感じた。


静かに己の中に沈んでいく彼女は、まるでナタリアを彷彿させたが、とてもクレイドはその変化を歓迎することは出来なかった。


クレイドはその時初めて、この国の短い夏が見せる新緑のような、その輝かんばかりのレティナの快活さを、確かに愛していたのだと気付いた。


クレイドは婚約を受け入れた。過ぎてしまった日のレティナの笑顔を取り戻したいと思った。


王はナタリアを発見次第殺害するよう命令を出し、兄もそれを支持している。

クレイドも表面的には賛同しているが、ナタリアを見つけ次第保護するように命じた秘密裏の追手を放っている。


しかしナタリアは見付からない。

もはや彼女は、もう誰の手も届かない場所へ行ってしまったのでは無いかと考える日もある。けれど一縷の希望がある限り、諦める事は出来ない。


だからクレイドはレティナが退室した後の執務室で、ひとり呟いたのだ。


「あの馬鹿騎士め…」


かつての近衛騎士から届いた、騎士団退職の申し出と、それに伴い任務の継続は難しいという旨の手紙を、クレイドはぐしゃりと握りつぶした。


(……これは女だな)


クレイドは幾度も、優秀だが好色である兄の女関係の後始末をしてきたので、何となくピンときた。

この手紙を送ってきたあの男は、常に笑みを浮かべた容姿と立ち居振る舞いから勘違いされがちだが、あれは優しいのではなく、責務に忠実なだけである。

あの男の騎士としての行動に勘違いした女がどれだけ、個人的な領域に踏み込もうとして、冷酷に拒絶されたことだろうか。


更に言えば、あの男の柔和さは決して、元々持つ気質ではないだろう。聞いた話では、母親が長く病気で寝付いていたため、体に障りが無いように身に着けた穏やかさらしい。あの男の元来の気質としては、むしろ戦場で見せる、血も涙も無い冷酷さこそが本性なのだろうとクレイドは思っている。


だからその騎士、オスカーが責務より女を優先しようとしている事実は中々愉快なものだった。その責務が自分が下したものでさえなければ。


四年前、彼はナタリア逃亡の責任を取らされ、騎士団から事実上の追放を言い渡された。

優秀な人材に何を勝手なことをするのかと、クレイドが追放を撤回してやる事は容易かったが、機会に乗じクレイドは彼に密命を与えた。

オスカーを秘密裏に呼び出した時、どうしても同席するとレティナは聞かなかった。


(王族の命令と、聖女の涙ながらの願いさえ蹴って、お前は何を選んだんだよ…)


クレイドの手の者はオスカーひとりでは無いが、ナタリアを見つけるとしたらオスカーだとクレイドは思っていた。半端な所で辞められたら困るのだ。


彼は深々と溜息をつきながらペンを持ち、さらさらと返事を書き始めた。









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