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夜の森と出立の朝

「…せっかくなので、外で話しませんか?卿が言っていた、夜の蹂躙の森を見てみたいです」


晩餐の時に、伯爵はアリアとオスカーにこう言ったのだ。

『特に夜だからといって危険だという事は無いから、時間があったら夜の蹂躙の森も見てごらん。美しいから』


しかしアリアの誘いに、オスカーは何だか怖いような笑みを浮かべた。


「外の方が逃げやすいと思ってそう言っている訳では無いのなら、良いよ」

「ち、違います!」


汗をかきながらアリアは首をぶんぶんと横に振れば、オスカーの微笑みがいつもの柔らかいものに変わった。二人は夜の森へ出た。


蹂躙の森を取り囲む外周側の森は昼間でも暗かったのに、蹂躙の森は、こんな月の無い夜でさえも誇るようにきらきらと輝いていた。

しばらく二人は無言で歩いた。外周の森を歩いた時は、その暗さに二人は身を寄せ合ったけれど、今はすべてが明るくて、二人の間には行儀の良い距離がある。


「…あの、さ」

「…はい」


歩くのを止めたのはオスカーで、アリアもそれに合わせて止まった。オスカーはアリアに向き合って、その形の良い唇を、何度か開いては、躊躇うように閉じた。しかし意を決したように、彼は言った。


「今朝、ザルツストラーダ卿に求婚されていたよね…?」

「…へ?」


思わぬ問いかけに、アリアは間抜けな声が出た。そういえば今朝、オスカーが部屋に飛び込んできた時ちょうど、伯爵はそんなことを言っていた。

伯爵のあの提案は、アリアを忘れないようにするための対策として婚約の申し出で、決してアリアへの求婚ではない。しかしその事実を言うわけにもいかず、アリアは言いよどんだ。


「あれは、………卿のたちの悪い冗談です」

「彼は貴族だろう。こういう話について、悪ふざけは言わないんじゃないか」

「あの伯爵に、貴族の常識があると思いますか…?」

「…思わないけれど」


そうでしょうそうでしょうと、アリアは頷く。けれどオスカーは暗い顔のままだ。


「…けれど、君はどう思ったんだ?彼は身分もあるし研究者としても名が知れている。君とも話が合うようだった」

「私の好みで言って良いのでしたら、ちょっとあの方は好奇心のままに動き過ぎで引きます……。うん…婚姻とか無理ですね…」


脳裏によぎるには、ナタリアをおびき寄せたくて怪物を出現させてみたと、軽ーく笑う伯爵の顔である。悪夢に出てきそうだった。


「…そっか」


アリアのその言葉に、オスカーは少し息をついた。


「それなら、良いんだ。彼は厄介そうだから心配したんだ。もし君が、それでも彼に惹かれているなら、俺がどうこう言うことじゃないけれど…」

「惹かれてないですね!!」


食い気味でそう言えば、オスカーは安堵したように笑った。


「わかった。答えてくれてありがとう。…それと俺からはもうひとつ、言いたいことがあるんだ」

「はい…」


いよいよ本題が来ると、アリアは慄いた。逃げないとオスカーには言ったけれど、話の内容によっては走ってでも逃げなくてはならない。ウルは後日回収しに来るとする。


しかしまたもや、彼が告げた言葉は、アリアの予想の斜め上を行くものだった。


「君は旅人で、森狼を連れ歩くのは難しく、ザルツストラーダ卿に預けに来るつもりでいたね」

「え。…は、はい。そうですね」

「それなのに、俺が森狼に呼び名をつけないかと提案したことで、君とウルとの間で名前の魔術が結ばれしまった」

「そうですが、私もうかつだったので」

「俺に責任を取らせて欲しい」

「…え」

「二年後のウルの巣立ちまで、君の旅に同行させてくれないか」


アリアは目をぱちくりとさせた。オスカーはそんなアリアを見て、少し焦ったように言う。


「護衛として使って欲しいし、森狼を連れ歩く事で厄介な手続きが必要な時は俺が対応する。金銭的な部分ももちろん請け負うし、あと知っているだろうけど料理や狩りも出来るから、連れて行って損は無いと思うんだ、うん」


オスカーが怒涛のように始めた自己アピールを、アリアは軽くパニックになりながら止める。


「ちょっと、ちょっと待ってください。オスカーが私に言いたいことって、それなんですか?」

「? そうだけど」

「…ほかに、私に聞きたい事があるんじゃないですか…?」


聞かれたら困るのに、アリアはそう言わずにはいわれなかった。

魔術師でもない、ただの魔力持ちだと名乗る旅人であるアリアが、怪物を消し去る光景を確かに、オスカーは見ていたのだ。彼は国を守る騎士なのだ。アリアはどこから見ても怪しく、彼にとって捕縛するべき存在ではないのか。アリアは顔がくしゃりと歪むのを感じた。


「…だってそれを聞いたら、きっと君は、共に行かせてはくれないだろう」


静かな言葉に、アリアは俯いていた顔を上げる。オスカーが優しく、そしてどこか苦くアリアに笑いかけた。


「共に行かせてくれるなら、俺は何も聞かない。君の旅の目的も、…君が誰であるかも」

「それで、良いんですか」

「国の騎士としては駄目だろうね。でも俺は、それで良い」


彼の決意が本物で、翌日には騎士団へ退職申請の手紙を出していたことをアリアが知るのは、しばらく後のことだ。


今はただ、美しい澄んだ緑の瞳に見据えられて、捕らえられたように動けなかった。


「俺は、君が何者かは知らない。でも少しの間だけど旅を共にして、君がどんな人間か少しは知ったと思う。…もっと、知りたいと思う」


すっとオスカーは一歩踏み出し、アリアに近付きその手を取る。


「…だから、共に行かせてくれないだろうか」


そう言って、彼は願うように、アリアの手の甲に額を付けた。


***


翌朝、空は良く晴れていて出立日和だったが、とうとう風花が舞い始めた。


「初雪だね。こりゃ、サーメイヘルガまでの道程は大変なものになりそうだ」


見送りに出てきたザルツストラーダ伯爵がにやりと言う。伯爵の隣には、執事のウィンスまで出てきてくれていた。

見送られるのは、アリアに、そしてオスカーとウルだった。アリアは昨日、オスカーの願いを断ることが出来なかった。長年憧れの騎士にあのように乞われて、断れる人がいるだろうか、いやいない。


(…これから、どうなるんだろう)


遠い目になるアリアに、向かいに立つ伯爵が手招きをした。


「アリア、ちょっとおいで」


そう言われて、アリアは伯爵の所へ向かおうとして、くいっと手が引かれた。

びっくりして振り返れば、アリアの手を捕まえたのはオスカーだった。戸惑った顔でアリアが彼を見上げれば、オスカーもハッと、自分でも驚いたようにしてアリアの手を離した。気まずい空気が流れ、伯爵がとても生ぬるい笑顔を浮かべた。


「はいはい、そういうのは後でやってね。アリアちょっと来なさい。渡すものがあるんだよ」


とことこ向かえば、伯爵がいきなり接近してきてアリアの左耳に触れた。


「ひぎゃっ」

「もう少しほかの悲鳴は無かったのかな?」


伯爵がアリアの耳元で何やらごそごそやっている間、オスカーが飛び出そうとするのを執事が止める。


「…うん、これで良し」


耳元から伯爵の手が離れた。触れてみると、何か付けられたようである。スッと、執事のウィンスが手鏡をアリアに差し出してくれる。用意が良い。

覗き込んで自分の耳の辺りを見てみれば、そこにあったのは花の形を象った、純白の耳飾りだった。


「蹂躙の森の中でも、最も古く多くの魔力が宿る木で作ったものだよ。君の旅路のお守りに、あげる」


そして伯爵は、アリアの耳元で素早く囁いた。


「この耳飾りに籠もる魔力は、名前の魔術と拮抗するだろう。君がこれを付けている限り、僕は君を忘れることは無い。君の意志で外してしまっても構わないけれど、君がそれを付けている限り、僕は君が困った時の力になってあげられる」


アリアは目を瞠って、それから途方にくれたような顔をした。


「それって、私が貰うばっかりでは…」

「この森を綺麗だと感じてくれた人を、僕は大事にすると決めているんだ」


伯爵はにっこりと笑った。蹂躙の森と同じ色の、光を放つような白い髪がきらきらと風に揺れる。


「君の行く道へ、蹂躙の森から祝福を」


***


雪片が舞う風の中、客人が遠ざかって行くのを伯爵とウィンスは見送っていた。

やがて木々の間に彼らは見えなくなった。ぼそりと、執事が口を開く。


「…宜しかったのですか」

「ん?何が」

「あなたも本当は、あの不思議な娘と共に行きたいと思われたのではないですか?」


その言葉に、伯爵は一瞬きょとんとした後、おかしそうに笑った。若い執事は、少しムッとしたような顔をする。


「確かに僕は、この森を離れて学院に居た間、あちこちに調査の旅に出掛ける事は愉快だったよ」

「それならば…」

「けれどね、僕がそれなりに里帰りしていたのは、見たくもない親の顔を見るためでは無いよ。蹂躙の森で息をするためだ。この髪のせいなのかな。やっぱり僕は、ここに居るときが一番、心が安らぐんだよ」


そう言って、伯爵はウィンスを見た。


「だから、安心しなさい。僕はずっとここに居るから」

「……」

「おや、染色薬が切れてきたかな。色が戻り始めている」


どちらも黒だった筈のウィンスの髪と目が、白く変色しつつあった。


昔々の話。蹂躙の森が蹂躙の森でなかった頃のこと。一人の子供がザルツストラーダの森に捨てられた。その直後に隕石の落下があり、そこに居た子供もまた、白く染まった。


変異の起きたその身は森から離れることが出来なかった。体質は全く変わってしまって、年を取ることすら酷くゆっくりとなった。子供は長い間ひとりで、獣のように生きてきた。二百年の時を経て、森に迷い込んできた幼いルースに出会うまでは。


「愉快な客人だったね。また彼らがこの家を訪れてくれたら、またとびきりのもてなしをしよう」

「はい」


陽光を反射して、風花がきらきらと舞う。純白の森の小さな家へ、二人は戻って行った。

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