結ばれていた魔術
「何故、俺の部屋の外鍵を締めたのですか?」
「ごめんごめん、ウィンスがうっかりしたんだろうね」
「…ザルツストラーダ卿、先程あなたは、何故出てこれたのかと呟きましたよね」
ビリビリと殺気を放ちながらオスカーが伯爵を問い詰めるが、伯爵はへらりと笑って適当な返事で躱す。
やがて、ろくな返答をしない伯爵よりも優先することがあると思ったのか、オスカーはアリアに向き合う。正面から両手を肩に添えて覗き込んでくるのは、心臓に大変負担がかかるので控えてほしいとアリアはしみじみ思った。
「…アリア、変なことはされてない?」
「されていません。言われただけです…」
「……何を」
柔和さを削いだオスカーの瞳が、鋭く細められる。怖いやらかっこいいやらで、アリアはおろおろした。そんな二人のやりとりを面白そうに眺めつつ、伯爵が言った。
「まあまあお二人さん。少し、散歩に出ようか」
***
とことこと、ウルが機嫌良さそうに森を歩く。
そして不機嫌な顔をしたオスカーと、肩の拘束は無くなったけれど今度は手を繋がれて困惑顔のアリア、そして呑気に鼻歌を歌っている伯爵の面子で散歩である。
屋敷から出れば、空は澄んだ青だけれど、空の端には暗い灰色の雲が広がっていて、いつまで晴れ間が持つかはわからない。
昨日アリアは騎士に運搬されている状態で、正直それどころでは無かったが、改めて見渡した蹂躙の森は、やはり息を飲むような美しさだった。森に見惚れるアリアを見て、伯爵は満足そうに頷いた。
「君はこの景色を気に入ってくれたみたいだね。春か夏だったら、触覚の先まで真っ白な蝶の羽ばたきを見たり、真っ白な木苺を味わう事も出来るよ」
「…魔力変異の苺って、食べられるんですか?」
「収穫の際に正しい作法を踏めば、ね。ただ僕は、この森に生きる獣と同等と見なされるらしく、この森に迷い込んだ幼い僕が、空腹に任せて何も考えずに食べても、ただの美味しい苺だったけどね」
その口ぶりを聞くに、彼が幼い頃一家から迫害され、森に何度も置き去りにされたというのは、噂話の誇張では無かったようだ。
「僕はこの髪を持つせいで、随分家族からは冷たい扱いをされた訳だけれど、それでもこの白い森がずっと好きだった。森のことがもっと知りたかったから、魔力変異の学者にもなったしね」
アリアが見た伯爵が森を見詰める眼差しは優しい。掴みどころのないこの人だけれど、その言葉は本心の様に思える。
「さて、じゃあ本題に入ろうかと思うけれど、その前に。…リーン、出ておいで」
伯爵はそう言って、右手を宙に差し出した。すると袖口からしゅるんと、金色の細く小さな蛇が現れた。小さな翼が生えていて、目は鮮やかなエメレラルド色だった。金色の羽根は良く見れば、一部の色合いが少し違っている。
「…金色翔蛇、ですか」
「うん。むかーし、僕が保護した魔力変異の金色翔蛇だ。翼に侵食を受けていたから治療を施した。この子を助けた時、僕は若かったし、嬉しくてつい名前をつけた。人対人でなければ名前の魔術は発生しないからと、軽い気持ちでね」
「…え?」
伯爵の口振りに、なんだか嫌な予感がした。アリアのその表情を読み取ったのか、伯爵は珍しく暗い笑みを浮かべた。
「魔力変異の生き物が相手だと、通常なら種族的に効果が無い筈の魔術も、妙な具合に作用してしまう事が稀にあるんだ」
リーンと呼ばれた蛇がひゅんっと低空飛行したかと思えば、地面に落ちた伯爵の影の中に、溶けるように姿を消した。オスカーとアリアは目を丸くする。
「金色翔蛇という種は、成獣になるまで親の影に住み着く。僕が名前をつけたことで、僕が親だという結びが生まれてしまったらしく、この子は僕の影に住むようになってしまった」
名前の魔術は、基本的には親から子に贈られるものだが、もし他人と他人であっても、名付けを行うことで親子に親しい結びつきが齎される。それが、伯爵と金色翔蛇の間で適用されたというのか。
「アリア」
伯爵がアリアにずかずかと近付いてきて、おでこをトンっと指で押した。
「おい…」
とうとう貴族相手の敬語が失われたオスカーが、伯爵を押しやろうとするが、その前にひょいっと伯爵は身を引いて、笑ってアリアに言う。
「うーん、やっぱり。アリア、君の額から伸びる糸が見えるかな?」
「え…え!?」
確かに自分の額の辺りから、やわやわと光る、はっきり輪郭を持たない糸が伸びていた。そしてその糸は、恐ろしいことにウルの額に繋がっていた。
「これが、君達が名前の魔術で結ばれてしまった結びつきだよ。森狼は普段、親と子の小さな群れとなって行動する。この子の独り立ちの時期までは、君らが離れる事は無理だね」
「えぇぇー…!」
アリアはしゃがみこんでしまいたくなったが、オスカーと手を繋いでいるのでそれは叶わなかった。しかも心無しか、オスカーの手を握る力が強くなった気がした。
「群れの中で足手まといと見做すなら、子を捨てることも出来なくはないけれど、君はそんなに鬼ではないだろう。たった二年なんだから、諦めて連れ歩きなさい。二年なんて可愛いものだよ? 金色翔蛇が成獣になるまでは四十年くらいかかるんだ…今が十三年目だよ…」
諭すように言うのは、遠い目をした伯爵だ。
複雑な気持ちで、アリアはウルに目を向けた。目が合って、ウルはアリアの足元にじゃれてきた。子供といえど、こんな甘え方をするほど幼くはない筈のウルだけれど、もしこの子が生まれつきの魔力変異であれば、親にほとんど構われずに育ったのだろう。今は子供時代のやり直しをしている部分があるのかもしれないと思った。
アリアはちらりと伯爵を見た。そして、ナタリアの事を思った。
大きくため息をついて、もう一度大きく息を吸った。覚悟を決めるしかなさそうだ。
「…わかりました。連れていくしか、無さそうですね」
のろのろと答えれば、伯爵はうんうんと頷く。
「うん、頑張って。君は次に行く土地は決まっているの?」
「…サーメイヘルガに向かう予定です」
そう答えれば、伯爵は少し目を瞠った。オスカーもこちらを驚いたように見る。
「これから冬だと言うのに、ディーリンジア北限の地へ向かうんだね」
「寒さは憂鬱ですが、冬のサーメイヘルガでしか見られないものが色々ありますので」
「うんうん、そう言うことにしておこう。それに確かに、あの土地が本当に美しいのは、冬に他ならないだろう」
「…卿も、サーメイヘルガを訪れたことが?」
「学生の時に何度か、滞在した事があるよ。あの土地の生態系は独特で面白いからね。…成程そうか。君の組紐は、サーメイ人の織模様をしている。見覚えがあると思った」
伯爵は、オスカーと手を繋いでいる方とは反対側の、アリアの右手首の組紐を指差す。複雑な織りの組紐は、日差しに反射しチカチカッと光った。
「アリアもあの場所へ行ったのかい?」
「いいえ、以前私が、旅の途中でお世話になった人がサーメイの人だったんです」
「そっか、良い縁を持っているね。じゃあ現地に伝手はあるんだ。けれどサーメイヘルガまでの道程は、特にこの季節であれば厳しいものだ。オスカー、ちゃんとアリアを守るんだよ」
伯爵の言葉に、慌ててアリアはオスカーを振り返った。
オスカーと元々約束をしていたのは、ウルを届けるまでの間だ。彼には任務があるし、ここで別れる事になると思っていた。
しかしオスカーは、静かに言った。
「…あなたに言われずとも」
***
もう一晩伯爵の屋敷に泊まらせて貰い、明日の朝出立することになった。晩餐はとても豪華で、タダで泊めてもらっている事に心苦しくなったアリアは、お礼にキヌカのヴィンテージチーズの二番目に良いやつを渡すことにした。受け取った無口な執事が、目を輝かせていたのが印象的だった。
(さてこれから、どうしよう)
部屋に設えられた椅子に座って、天上を眺めながらそんな考え事をしていたら、扉からノックの音がした。
「はい」
扉を開ければ、そこに立っていたのはオスカーだった。彼の表情は、いつになく固い。
「少し、話をさせてくれるかな?」
アリアはごくりと唾を飲み込んだ。声が震えないようにして、返事をする。
「…はい。私も、あなたに話したいことがあります」




