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星月夜の道草

アリアは、目の前の光景に呆然と立ち尽くしていた。


「…オスカー」

「ああ」

「この景色が、信じられるでしょうか。秋の恵みでいっぱいです…!」


アリアがオスカーとウルと共に、旅を始めて四日。進行は順調で、明日にはザルツストラーダの森の入口まで辿り着ける見込みだった。


しかし油断はしていられない。今はまだ秋の半ばを過ぎた辺りだが、ディーリンジアは冬の長い国で、夏と秋はあっという間に過ぎて行く。油断していればすぐに、風に雪片が舞う事になるだろう。


なので今日も張り切って、きりきりと歩く予定だったのだ。それが、林道を歩いていたら急にぽかんと、広い野原が目の前に開けた。白い繊細なレースのような花が野原一面にそよそよと揺れている。


アリアは、その花がディーリンジア固有の植物のハルフェだと気付いた。ハルフェは爽やかな香りと滋養があり、薬草としても、お酒やシロップの香り付けにも人気の香草だが、このような群生地は珍しい。


所々に立つ木々は野生種の林檎や洋梨で、木々の下草の辺りにはぴょこぴょこと、食べられるきのこが顔を出している。黒苺の茂みもあった。それらはどれも、ディーリンジアに齎される秋の恵みに違いないが、こんなにも様々なご馳走が並べられたテーブルのように、一つの場所に集結しているのは、どう考えても普通ではなかった。


「我々はうっかり死んで、天国へ迷い込んでしまったのでしょうか…」

「ちょっと笑えない冗談だな…」

「渾身の冗談でしたが失礼しました。おそらくこれは、幸運の迷い路というやつです…!」


土地も魔力をまとうこの世界では、その魔力が凝った特殊な空間が生まれる事がある。そのような空間は、行こうと思って辿り着ける場所では無いのだが、時にきまぐれに人を招く。素敵な空間もあれば、とても恐ろしい目に合う空間もあるのだが、幸運の迷い路は文字通り前者である。旅人にのみ現れる、祝福を齎す空間だった。


「幸運の迷い路か…。俺も聞いたことはあったけれど、実在するとはね」

「一生を旅の生活で送ったとしても、出会えるとは限らない本当に稀なものですからね。出会えたら素直に、与えられる恵みを受け取って良いんですよ。この場が開かれているのは、次の朝が来る迄です。今夜はここで野営ですね!」


アリアはうきうきと言う。早い内に先に進みたいのも本心だが、これだけの恵みを受け取れるなら、来たるべき冬への有り難い蓄えになるだろう。


「わかった。でもこれは、本当に圧巻だね」

「素晴らしい景色ですよね。…はっ!月燈花がつぼみをつけている!夜間、月が出ている内に収穫すれば、一財産稼げます…」


ウルも嬉しそうにブンブンと尻尾を振って、野原を駆け回っていた。


「確か幸運の迷い路は、狩りや釣りもして良かったんだよね?」

「はい、それもまたこの場所から齎される収穫になります。美味しいお肉をお願いします!」


オスカーが笑って頷き、木々の繁る林の方へ歩いていった。


アリアはとりあえずハルフェをせっせと摘み、そして新鮮な内にシロップにしてしまおうと、トランクを開けた。魔術仕掛けの格納庫であるトランクは、開けばまるで、小さな部屋ののジオラマが詰め込まれているようだった。その中の小さな本棚に手を伸ばすと、調薬の本がしゅっと実寸大になって、アリアの手にふわりと落とされる。


本のほかに、鍋と魔術仕掛けのコンロを取り出してトランクを閉める。

分厚い調薬の本の中から、ハルフェの薬シロップのページを開く。この本は、四年前の時点で随分読み込まれていて、ナタリアは優秀な魔術師だったけれど、天才では無くて努力の人だった事が伺えた。


ちなみにアリアはナタリアの体が持つ感覚なのか、調薬の勘所のような部分はわかるので、本があれば大抵のものは作れる。しかしあまり強力な薬を作るのは何となく怖いので、高価でも購入する事にしている。


なのでアリアが作る薬は、風邪薬や、傷や打ち身用の塗り薬といった調薬入門的な薬ばかりである。強力な魔術薬を作って販売出来るのなら、かなり儲かるとは思うのだが、旅人の得体の知れない薬を買う人も居ないだろう。貴重な薬草を見つけた際も、自分で調薬はせずに、いざという時のために少量は手元に残しつつ、大体そのまま売っている。


瓶十本分のシロップを仕込み、残ったハルフェは、乾燥させるために束ねて格納庫に吊るしたり、度数の高価い蒸留酒に漬けるなどする。


アリアがそういった事をバタバタ忙しく行っている間に、オスカーが罠を仕掛けて山鳥を獲ってきた。


「オスカーは近衛騎士さんですが、狩人に転職しても全然食べていけそうですね!」

「平民の出だと言っただろう?十五で騎士団に入るまでは、俺は下町で母と二人暮らしだったんだ。森に出掛けて狩りをするのは、結構大事な仕事だったんだよ」


いつの間にか良い時間になっていたので、お昼にすることにした。

今日はオスカーが作ってくれるそうで、彼は小刀を使って、器用に山鳥を調理していく。この騎士は剣のみにあらず、調理用小刀使いも精通しているらしい。

アリアは狩りの技術は持たないので、野営時に食べるお肉と言えば燻製肉や塩漬け肉だった。脂の乗った山鳥がいい匂いを漂わせながらこんがり焼かれて行くのを、きらきらした目で眺める。


「半分は燻製にしておこうか。向こうに森胡桃の木があったから、あの葉で燻すと味も良いし、ぐっと長持ちするんだ」

「うむむ、本当に近衛騎士さんにしておくには勿体ない生活スキルですね…」

「優良物件だろう?」


オスカーは悪戯っぽく笑って片目をつぶった。騎士のウインクを間近で浴びてしまって、その破壊力にアリアはちょっと息が止まった。


山鳥の骨で取ったスープに新鮮なハーブとマッシュルームを加えて、仕上げに削ったチーズをたっぷり加えとろりとさせたシチュー。香ばしい香りを漂わせる山鳥のローストには、黒苺のソースが添えられている。豪勢な昼食となった。

ウルもまた、林檎を嬉しそうに齧ったり、イタチのような獣を捕まえて来たりでご馳走のようだ。


アリアは料理を一口食べて目を丸くした。


「お、美味しい…!」

「良かった。昔はよく料理をしたんだ。今日は材料をふんだんに使えたし、食べてくれる相手がいるから、張り切ってしまった」


昼食の後は、二人は再びてきぱきと働いた。


やがて陽が傾き始めた。辺りが暗くなるにつれて、釣鐘のような形をした月燈花の、澄んだ青い花びらの中に、ぽわりと淡い光が宿り始める。


完全に陽が落ちて空は紺碧に染まり、びっしりと星が散りばめられている。

そして地上にもまるで星空を写し取ったように、月燈花の灯りが一面に輝いていた。


「あの灯りひとつにつき、これくらいの金額になるんですよ…。さて、では採取して参ります」

「君は本当に実質主義だよね…」


月燈花の花弁に小瓶を押し当てる。すると花の中から、月色の灯りがするんと、瓶の中に滑り落ちた。アリアはそれを何度か繰り返し、瓶の中が光でいっぱいになった所で蓋をした。それを現在手持ちの保存瓶五本分で繰り返した。


沢山働いて、アリアは倒れた木の幹に座り込んだ。オスカーが焚き火を熾して、カフィルを淹れてくれた。


「ありがとうございます」


二人は温かいカフィルを飲みながら、パチパチ音を立てる焚き火を見つめて、取り留めもなくお喋りをした。


「そういえば、オスカーは旅が終わるまで恋人を作らないと言ってましたが、その顔面で近衛騎士であれば、掃いて捨てるくらいに女性から言い寄られたのは? お城にお姫様とか、きれいな人いなかったんですか」

「褒められているの…? 姫君とお近づきになる機会はなかったよ。ああ、でも」


オスカーの若葉色の瞳に、揺れる焚き火の色がちらちらと映っていて、アリアは見惚れた。記憶をなぞるような、遠くを見つめる瞳。


「美しい人は、確かにいた」


美しい人、か。

心が軋む音をアリアは聞いた気がした。『聖国物語』の中で、オスカーはたった一人、聖女レティナだけを美しい人と呼ぶ。レティナの旅は始まることはなかったが、レティナは元々王城へ通っていた。近衛騎士と出会うタイミングもあったかもしれない。


「…俺はその人に、ひとつ頼まれ事をされているんだ。…正直、騎士団に戻りたいという気持ちはもう無いのだけれど、あの約束だけは、果たさなくちゃな…」


オスカーは遠くに向けていた眼差しを戻して、アリアを見た。


「アリアは、家族はどうしているんだ?」


話は次の話題に移ったようだ。


「家族は、…いません」


のろのろとそう返事をすれば、オスカーは申し訳無さそうに「ごめん」と言った。


今のアリアにとって、家族がどうしているかは難しい質問だった。ナタリア目線でいけばまあ、自分に心を寄せていないにしても、両親共に健在である。有沙目線でいけば、両親が今頃どうしているのか検討もつかない。焼け付くような胸の痛みを覚え、慌ててその事からは目を逸らす。


だからアリアは、これまでの旅の中でも、最初に出会ったあの人達を除いては、話を深堀りされないように「いない」といつも答えてきた。本当にオスカーには嘘ばかりついている。だから、1つだけでも本当の事を伝えたくなったのだ。


「…家族はいませんが、家族だと思っていると言ってくれた人達は、います。…これ、いつも付けている組紐ですが、その人達が私のために織ってくれました」

アリアはそういって、右手首を月にかざした。そこに巻き付けた細く織られた組紐は、光沢のある銀の地に、淡い水色やピンクが散った美しいものだった。

オスカーは見惚れたように束の間無言になって、それから、優しく優しく、笑った。

「それなら、良かった」


その笑顔に泣きたいような気持ちになりながら、アリアはまぶたが落ちてくるのを感じた。そういえば、月燈花の灯りには、人を穏やかな眠りに誘う効力がある。さきほど、瓶に取り込む際に長く触れすぎたのだろう。


「…アリア?」


返事をしたいのに、意識は容赦なく眠りの淵に引きずり込まれていく。ぐらりと倒れそうになったアリアを、オスカーが抱きとめた。オスカーは慌てたが、アリアは規則正しく寝息を立てて、眠っているだけの様なのでほっとする。


オスカーはじっと、腕の中のアリアを見た。前髪が横に流れて、普段重たい前髪で隠れていてる、長いまつげが露わになった。

いつも、敢えて隠しているように見えるその端正な顔立ちは、今は子供のようにあどけなく見えた。


冷たい秋の夜気の中、触れ合ったアリアの温もりが心地よかった。


「……君は、何者だろうね」


月が白々と光っている。

オスカーがぽつりと呟いたその言葉を聞いたのは、一面に咲く月燈花だけだろう。

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