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少しお酒が入る夜

ザルツストラーダの蹂躙の森。

それは、森自体が魔力変異を起こした経緯を持つ、極めて稀な場だった。


正確には、ザルツストラーダ伯爵家が所有する広大な森の一部の区画を指す。記録によれば二百数十年ほど昔、その区画に魔力を孕んだ隕石が落ち、その落下地点の円周一帯の土地の魔術質が塗り替えられた。


土も石も、草木も獣や鳥も虫も、その地に在るもの全てが純白に染まり、二度と元の色に戻ることは無かった。


変異した生物達は、森の外周の他の生き物と交わる事が出来ず、やがて固有の種となった。異質な魔力の質を得たその森を人々は恐れ忌むが、純白に輝く稀有な美しさに、目が眩んだ者も多数居た。


魔力変異を起こした獣は殺せば祟る事は広く知られているが、それは草木ついても、程度にこそ違いがあれど同様だった。採取する際は祓いの正しい手順を踏み、細心の注意を払って執り行わないと命に関わる。それを知らなかった密猟者が随分と死んだ。


人智の及ばぬ恐ろしい森は、『蹂躙の森』と呼ばれるようになった。


魔術的に重要な場になるため、ザルツストラーダ家は王家からも、蹂躙の森の管理の徹底を命じられたが、自領内に出現してしまったその禍々しい土地は伯爵家にとって受け入れがたいものであった。それに、管理といっても密猟者は勝手に死んでしまうのだから、蹂躙の森の事はほとんど放置し続けた。


そして二百数十年の年月が流れる内に、恐ろしいおとぎ話のようなザルツストラーダの蹂躙の森は、ディーリンジアで最も有名な森となった。


蹂躙の森に更なる恐ろしい挿話が追加されたのは最近の事である。

三十年前、ザルツストラーダ伯爵家に第三男が生まれた。その子供の髪は、生まれつき真っ白で、蹂躙の森を連想させた。


伯爵家はその三男を徹底的に疎み、ないがしろにした。侍女が、彼を散歩と称し森に連れ出した挙げ句、彼の存在を忘れて森に置き去りにして帰ってきてしまう事はよくあった。あわよくば彼が蹂躙の森に迷い込み、死んでくれはしないかという伯爵家の目論見からだ。三男は、一日二日と帰らない日はあったけれど、必ず戻ってきたので、伯爵家の人間を歯噛みさせた。


三男の不遇な幼少時代は、彼が六歳の時に終止符を打つ。ディーリンジア国の義務である、子供の魔力の測定により、彼は平均値を遥かに上回る魔力を有していることがわかったのだ。彼は王都に上り、魔術学院の寮に入った。


それから十年程が経ち、ザルツストラーダ家では現伯爵から長男へ当主の引き継ぎの祝宴が開かれた。その日も三男は、家に帰ることはなく学院で研究を続けていた。晴れの日にその忌まわしい顔を見せるなと、家族から帰る事のないよう厳命されていたからだ。


その祝宴の最中、空をつんざくような雷が走り伯爵家の城に落雷した。ザルツストラーダ伯爵家の人々は全員死亡し、三男がザルツストラーダ伯爵の爵位引き継ぐ事になる。


数年後、三男は、魔力変異の研究の第一人者かつ、優れた魔術師として領内に帰還した。彼は燃え落ちた城を復興させる様な事はせず、よりにもよって蹂躙の森の中に新しい邸宅を築いた。確かに彼の研究対象を思えば、魔力変異の宝庫であるその森に住まいを構えるのは自然な事かもしれない。しかし、あれ程多くの人間が死んでいる森に住むとはいくらなんでも悪趣味だった。まるで邪悪な森に君臨する魔王のようだと、今ではその三男もディーリンジアの子供たちを震え上がらせる、蹂躙の森の寝物語の一部である。


「聞いているだけで、ぐったりするような話だね…」

「でも、実際の蹂躙の森は、こちらが森から何かを搾取するような事をしない限り、とても美しく清廉な森だそうですよ。私も聞いた話ですけど」


喧騒にさざめく夜の大衆食堂で、アリアとオスカーは向かい合ってテーブルについていた。

日が落ちる手前、宿場町に辿り着いた二人はこの町で一泊する事にし、ウルは宿の部屋で留守番してもらって食事に来ていた。


「もちろん、蹂躙の森にウルを住ませて欲しいなんて頼むつもりはありませんよ!どんな魔力変異の影響が出るかわかりませんからね。その外周の普通の森に置いてもらって、時々伯爵が様子を見てくれたら良いな〜という」

「…そんなに都合よく、こちらの要望を聞いて貰えるものかな」

「あの伯爵が動物に甘いのは確かな情報なんですよ!なので、我々が蹂躙の森に突入し、伯爵とウルの顔合わせにこぎつけてしまえば、もう断れないと思いますね!」

「そうなの…?」


オスカーが胡乱げな表情をする。アリアは、自分は憧れの騎士様にこういう表情をさせてばかり…と遠い目になった。


「それに、森狼が住めるような深い森と、魔力変異研究の第一人者が揃う場所なんて、ほかにはありません」

「…二年間、本当にウルを旅に連れていけないのかな?魔力変異への対処は難しいけれど、その他の事であれば俺が面倒を見るから」


さりえげなく二年同行するみたいな事を言われ、アリアはいろんな意味でぶるぶる震えた。その時、


「夫婦で旅行かい、良いねぇ! ほら、鶏の煮込みと野菜のフリッターにビールだよ。美味しいよ〜!」


給仕のお姉さんが威勢良くそう言いながら、ホカホカ湯気を立てる出来たての料理を、テーブルに並べてくれた。アリアとオスカーはちょっと固まった。お姉さんは子鹿のように、他の座席の空いた皿を回収しながら、厨房に戻って行く。


少しきまずい思いでアリアは口を開く。


「…なるほど、私達、そう見えるかもしれないんですね」

「不快な思いをさせたね、すまない」

「そんな事は全然、それはもう全然無いのですが、…たしかに我々の間柄って説明しにくいですね…。仕事の相棒ともまた異なりますし…」

「…旅人とその用心棒という事にしておけばどうだろう?」

「それが自然かもですね。こんなに立派な用心棒はそういないと思いますが」


それからアリアとオスカーは、ビールで小さく乾杯した。二人は料理に集中して舌鼓を打ったが、しばらく経ってオスカーが少し言い辛そうにアリアに尋ねた。


「……君は、故郷に良い人がいたりする?」

「行き遅れと申告している人間に、あんまりな問いです…」

「ご、ごめん。いや、結婚はしていないにしても、もし恋人が居るとしたら、俺の申し出は少し問題があったかなと思ったんだ。といっても俺も、騎士としての同行だから、その相手に気を使って引くつもりは無いけれど、必要があれば何か書面でも書いておいたほうが良いかなと思ったんだ」


そうですよね、あなたにとって私はただの守るべきいち国民ですよね…と、わかっていたのに何故かがっかりする心の内を抱えながら、アリアは半眼で答える。


「そのような人は全く居ませんのでお気になさらず…。いえ、むしろオスカーこそ、国の騎士なら引く手あまたでは」

「俺はこの任務の旅が終わるまでは、そういった相手は作らないつもりだから」


その言葉は、ぐさりと良心に刺さった。

『聖国物語』の中で、オスカーは本来、他の仲間と共にレティナと旅に出るのだ。そしてその旅の中で二人は信頼関係を深め、やがて恋仲になる。しかし現在、ナタリアがトンズラした事で、レティナは力に目覚めず、怪物も現れず旅は始まらないので、二人の仲は深まらない。


それどころか、逃げたナタリアを追うために、この人は一人あてのない旅を続けている。アリアは罪悪感でのたうち回りたくなった。お酒が回ったのか、オスカーの耳は少し赤くしながら、ぽつりと言った。


「…体の良い、厄介払いだったんだ」

「え?」

「平民上がりで近衛騎士団に入団して、どこの派閥にも付かなかった俺を、良く思わない連中はいくらでも居た。俺が追っているのは、俺が取り逃がした相手だ。捕縛する迄は帰還を認めないと命が下っているが、実質の追放だ。……一人で、何が出来るというのだろう」


オスカーは、アリアに話していると言うよりは、遠くを見ながら独り言を言っているようだった。


「…騎士団に、戻りたいですか…?」


そう尋ねれば、オスカーは少しハッとしたようにして、取り繕うような笑顔を見せた。


「いや、騎士団を離れてわかったことだけれど、俺は組織の生活はあまり向いていなかったかな。旅をしていると、いろんな景色を見て、様々な人に出会えて楽しいよ」

「わかります!」


アリアは勢いよくそう相槌を打った後、少し迷ってから言葉を続けた。


「私も、旅の中でたくさんの人に出会いましたが、こうして誰かと一緒に旅をするのは初めてで。…まだ一日だけですが、オスカーと旅をしているのは楽しいです。同じ景色を眺めながら、気に掛けて貰って、したい時にお喋りをして」

「…昨日は、あんなに逃げようとしていたのに?」


ひぃ。昨日、崖の上であったことは今日一日頑張って考えないようにしていたのに。アリアは顔を赤くしながらもごもご言った。


「あれは事情があるんです…」


オスカーがくすりと笑う。アリアの下手な励ましは、伝わっただろうか。


「そうか。俺も今日は、…昨日も、楽しかったよ。何が起きるかわからなくて、心臓がいくつあっても足りないけれど」


二人は笑い合って、「良い旅の夜に」と、もう一度乾杯した。

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