第51話
「行くわよ~。」
女の子が川辺の岩に右足をのせ、右手を伸ばし前かがみになった。
「き、気を付けて。」
「わかってるって。」
和人は歯を食いしばった。
枯れ木の先は帽子に届きそうだが、うまくひっかけないと流されてしまう。
女の子は慎重に木の先を水面につけ、少し持ち上げてみた。
帽子に少しだけ引っ掛かった。
「掛かった」
女の子は木の先をさらに高く上げようとようとした。
しかし、風で帽子が揺れて今にも落ちそうだ。
「ええい!」
一か八か、女の子は木の先を上に跳ね上げた。
すると帽子は木から少しはじかれて、目の前50センチのところで川に落ちてしまった。
「あっ!」
女の子は短く叫ぶと、帽子へ手を伸ばしながら思わず左足を川に踏み入れた。
「だめだ!」
今度は和人の声。
女の子は帽子をつかんだもののバランスを崩し、前のめりに倒れた。
両手と左足が川底についた状態。
和人も引きずられて川の中に両足が入る。
その時、和人の左腕は藪から突き出ている尖った木の枝で引っ搔いてしまった。
「うっ!」
顔をしかめる和人。
「やだ、濡れちゃったわ。でも帽子は取れた。おかげで・・・。」
助かったと言おうとした女の子は、和人が右手のひらで左腕を抑えているのに気づいた。
「大丈夫?ちょっと見せて。」
和人が右手を取ると、左腕の側面が4センチほど横にぱっくりと裂けていた。
血がぽたぽたと流れ出してくる。
「大丈夫、おじさんちがこの先なんだ。頭のバンダナをとって腕に巻いてくれない?」
叔父の家は少し距離があるが、和人は精一杯強がってみせた。
女の子は急いでバンダナを腕に巻いて縛ってくれた。
「それじゃ。」
和人は女の子に向かって言った。
「ごめんなさい。本当に大丈夫?痛くない?」
「うん、そんなに痛くないよ。帽子とれてよかったね。」
「・・・ありがとう。あの、名前はなんていうの?」
「ながともゆうと。」
「ながと・・・」
「ながとも!ながとも、ゆうとだよ。」
そう言うと和人は踵を返してその場を去った。
長友佑都は和人が大好きなサッカー選手の名前だ。
――
(記憶がかなりあやふやになってきているな。)
和人は机の上の写真立てに納まっている一枚の写真を見つめていた。
写真の下部には『2015年7月29日 上北山村にて』という文字が入っている。
あの日母と写った写真だ。
(あの時の女の子、誰だったんだろう。)
和人は女の子の名前を聞かなかったことを悔んだ。
言葉が関西弁でなかったということは和人と同じように旅行中だったのかもしれない。
(あの後女の子は僕のことを両親に話しただろうか。そして僕を探しただろうか。)
「長友佑都か・・・。なんで自分の名前を名乗らなかったんだろ。」
和人は部屋の壁に貼っているサッカー選手のポスターに目を移した。
”インテル 長友佑都”
ポスターの顔の横に大きくそう書かれてあった。




