第六話 あんさんが証文なんか書いたんが悪いんとちゃいますの
「ここが伯爵様のお屋敷です」
カズサ屋イエモンに連れられてユキとアカネがやってきたのは、周囲より少々広めの土地に建てられた一軒の屋敷だった。そこでまず二人の目を引いたのは、屋敷と同じくらいの広さの土地に建てられた厩舎である。中には何頭かの馬もいるようだ。
「あの、こちらは……」
「心配いりまへん。仕事に馬の世話は入っておりまへんよって」
そう言うとイエモンは玄関の扉に付けられたドアノッカーを二度ほど鳴らす。
「すんまへん、口入れ屋のカズサ屋でございます。女子の使用人を連れて参りました」
「おお! 来たか!」
すぐに扉が開き、中から声が聞こえた。しかしユキとアカネの二人には何となくその声に聞き覚えがあり、嫌な予感を感じずにはいられなかった。
「どれ、どんなおな……ご……」
この屋敷の主である伯爵も、二人を見て血の気が引いていた。それを素早く見て取ったユキが、慌てて首を左右に振って何とか意図を伝えようとする。そんなことには気付かないイエモンは、まず二人に伯爵を紹介する。
「こちらがこのお屋敷のご主人であらせられるマツダイラ・トモヤス伯爵閣下です」
続いて今度はマツダイラの方を向いた。
「このお二人が朝から夕方まで身の回りの世話をしてくれはります。えっと、確かユキはんとアカネはんでしたな」
「あ、はい。お初にお目にかかります。コムロ・ユキと申します」
「同じく、コムロ・アカネです」
「あ、う、うむ。マツダイラ・トモヤスである」
「どうでっしゃろ。このお二人やったらすぐに決まります。二人とも貴族ですさかい、下手な町娘を雇うよりは間違いおまへん」
イエモンは彼女たちに背を向けてマツダイラと話しているので、ユキはそのままうんと言えとのゼスチャーを送る。そしてそれはすぐにマツダイラも理解したようだ。
「そうだな。その二人で構わん」
「ホンマでっか! いやあ、よかったですわ。帰ってすぐに準備しときます。明日からでよろしいでっか?」
「うむ。明日から頼む」
「ほな、私らはこれで」
「ちょっと待てカズサ屋。二人ともこっちへ」
言うとマツダイラは彼女たちを手招きして呼び寄せる。そして、イエモンには聞こえないような小さな声で言った。
「ユキ妃殿下、アカネ妃殿下も、これは一体……?」
「詳しい事情は明日お話しします」
「分かりました……」
「マツダイラ閣下、それでは明日よりよろしくお願い致します」
「う、うむ」
ユキが明るくそう言うと、引きつった表情で彼はそう応えるしかなかった。
「何の話をされてたんでっか?」
「いえ、私たちがお知り合いの方に似ているとおっしゃられて」
「そうでしたか。まあお二人の勝手ですけど、この仕事に下の世話までは入っとりませんので、何かあっても責任は取れまへんから」
「は?」
「たまにおるんですわ。紹介した先で男と女の関係になって、女が捨てられて泣きついてくることが」
「はあ……」
「ま、そんな心配はいりまへんやろうけど」
刀の柄に手をかけたアカネを、ユキは咄嗟に制するのだった。
部屋を出ていったキチエモンは、声を落とさずにカメキチに話しかけた。なるほど、やましいところはないと言うアピールのつもりなのだろう。
「どないしはったんです、カメキチさん」
「あ! カズサ屋さん、勘弁して下さいよ。あの女が返してくれないんです」
「返してくれない?」
「三月の約束でしたよね。四日前がその三月目だったんですが、そう言ったらアンタは私が買ったんだから私のものだって。出ていくなら結婚を約束した証文をお城に届け出るって」
「おや、そんなことはないはずですよ」
「で、ですよね?」
「カメキチさんはあの貴族様に買われて、それで証文を書いたんとちゃいますのか?」
「そ、そんな! 三月経てば必ず証文は返すと約束したじゃないですか!」
「私はそないなこと言うとりまへん。そもそもその期日とやらが証文に書かれとりますのんか?」
「き、期日?」
「さ、お帰り下さい。生活には困らへんのやし、ええやないですか」
「あんな年増の醜女と一生暮らせって言うんですか!」
「知りまへんがな。あんさんが証文なんか書いたんが悪いんとちゃいますの」
「だ、騙したな、カズサ屋!」
「お帰り願って」
その後カメキチという男はどうやら店の者に連れていかれてしまったようで、悪態をつく声がだんだんと聞こえなくなっていた。それと共にキチエモンも戻ってくる。
「揉め事か? 俺はゴメンだぞ」
「お聞き苦しいところを、えろうすんまへんな。あれは間違いなくカメキチさんの思い違いですねん。兄さんは証文なんか書かんでもええですさかい、心配しんといて下さい」
「そうか」
「ほなら親分はんも待たしてることですし、帰ってゆっくりお考え下さいね」
それから俺はキュウゾウ親分と、すでにイエモンと共に戻っていたユキたん、アカネさんを連れてカズサ屋を後にした。
「旦那、何か分かったかい?」
「ああ、まずはカメキチという男を当たれ」
「カメキチ?」
そこで俺は奥の部屋で聞こえてきた話を伝えた。
「なるほど、ありがとよ」
「じゃあな」
「おう、他に何か分かったことがあったらヒガシ町の番屋にきてくんな」
「ヒガシ町の番屋だな」
言うと親分は手下二人を連れて走り去っていく。消えた子供や夫婦の足取りは掴めなかったが、カズサ屋を徹底的に調べれば何か分かるはずである。俺はそう確信してユキたんたちと共に城へと戻るのだった。