第十話 エチゴ屋の誤算
城下の薬種問屋には客足がさっぱりだった。売れるのは生活に必要な物ばかり。労咳に効果があるとされるトウニンジンに至っては、求めるどころか値引き交渉してくる者すらいなくなってしまった。それまでは日に何度か、店先で土下座する客が見られたというのに。
「おのれ若僧め。どこまでこのエチゴ屋を貶めるつもりだ!」
実はあの布令の後、さらに王国は薬種問屋を驚愕させる布令を出したのである。それは――
『高騰を続けるトウニンジンについて、祭りの三日間は国王陛下の働きにより、安価にて販売することとなった。場所は四つ辻の噴水広場』
しかもこの布令は、城下の至る所に立て札を立てて広められているのだ。わざわざ高い金を出して薬種問屋から買わずとも、ほんの数日待てばトウニンジンが安く手に入るのである。これは王国の、薬種問屋に対する策略としか思えなかった。
だが、とソウエモンは考える。仮に祭りの三日間だけの販売だとしても、これだけ大々的に広めれば、相当数のトウニンジンを用意しなければならないはずである。そんなものを王城が保管しているとは、到底考えられない。問屋連中の様子では、王国と内通している素振りもなかったし、どこかから仕入れる目処でもついたのだろうか。
とは言え、事は急を要する展開になってきた。他の問屋連中のことなどどうでもいいが、これからも彼らには協力してもらわなければならない。
「予定通り、あのお方にお願いしましょう」
ソウエモンがあのお方、と言ったのは、トキエダ・モンドノショウという男爵のことだった。トキエダ家はこの地がタケダ家に治められる前から、城下に広大な領地を持つ豪族である。モンドノショウはその十三代目当主で、上っ面は温厚な紳士だが、裏の顔はヤクザ者も震え上がるほど冷徹な一面を持っていた。
ソウエモンは元々この男爵に、闇でトウニンジンを捌いてもらうよう頼むつもりだった。王国の密偵が関与しているとすると、もはや表立って高値での販売は諦める他ないだろう。となれば、頼るべきは裏社会である。多少儲けは減るが、背に腹はかえられないということだ。
そしてトキエダ男爵こそ、その裏社会の大元締めとも言える貴族だった。
「エチゴ屋のソウエモンさんではありませんか。いかがされましたか?」
「実はモンドノショウ閣下にご相談がございまして」
まるで彼がやってくることを知っていたかのように、ソウエモンはトキエダ男爵の邸に到着するとすぐ、奥の座敷に通された。
上座に男爵、その両脇には普通の使用人にしか見えない男たちが腰掛ける。ソメキチにムツヒコと紹介されたが、彼らは男爵の片腕と恐れられる忍びなのだ。
「布令は存じております」
「で、では!」
「王国はどこからニンジンを仕入れるのでしょうねぇ」
「城下の問屋仲間で王国に通じている者はいないと思います」
「そのようですね」
「この短期間でそこまでお調べに……」
「私は色々なところに耳を持っておりますので」
ソウエモンは改めて、目の前の男爵に恐れを成した。だが、だからこそ頼りになるというものだ。
「祭りの三日間のみの販売なら、荷馬車一台分もあれば十分でしょう」
「では、閣下はトウニンジンが馬車で王城に運び込まれる、と?」
「人が担げる量など、たかが知れています」
「なるほど。祭りに間に合う距離、となりますと……」
「東のオオクボ王国は無理ですね。ニンジンを集める時間も必要ですから、よくて最終日に間に合う程度でしょう」
「するとやはり……」
「自国の領地ならエンザン辺り。あるいはその先のシナノ王国」
いずれにしても、荷は西からやってくるだろう、と男爵は言う。
「大金貨百枚を持参致しました。これで何とか……」
「シッ!」
その時、ソメキチが警戒するように、口に人差し指を当てる。それがしばらく続いたが、彼はゆっくりと元の態勢に戻った。
「な、何か……?」
「気のせいだったようです。申し訳ございません」
「ソメキチ、ムツヒコ、念のため後ほど忍び込んだ者がいないかどうか、調べておきなさい」
「ははっ!」
「ソウエモンさん、ご心配なく。この邸に忍び込める者など、そうはおりませんので」
モンドノショウは和やかに言い、前に置かれた大金貨が入った巾着を懐に収める。
「これは前金として受け取っておきましょう」
「ま、前金……?」
「王国を相手にするのです。そうですね。成功の暁には儲けの半分、それでいかがですか?」
「は、半分……お待ち下さい!」
「嫌ならいいんですよ。金貨も、貴方も、この邸から出ることはないでしょう」
大金貨百枚は、日本の感覚なら一千万円ほどに相当する。それを受け取ってなお、男爵はトウニンジンを売った儲けの半分を要求してきたのだ。これはソウエモンにとっても、予想の範疇を超える額だった。そして、拒否すれば自分の命もないという。
「わ、分かりました。儲けの半分、それでお願い致します」
「よかった。エチゴ屋さんとは、これからもよい関係を続けられそうです」
事が済んでも、男爵はエチゴ屋から搾取を続けるつもりのようだ。それを覚ったソウエモンは血の気が引く思いだった。しかし、王国が布令の通りにトウニンジンを販売出来なければ、領民の心は一気に離れていく。そうなれば、あの憎き王家を転覆させることも夢ではなくなるだろう。
「閣下には、これからも色々とお世話になるでしょう」
「よい判断です。詳しいことは後ほど使者を遣わせましょう。ソメキチ、エチゴ屋さんを外までお送りしなさい」
「ははっ!」
ソウエモンが無事に帰宅したのは、その日の夕暮れ時だった。
次回、第十一話『明日はアカネと共に城下に出るぞ』
12/14(土)更新予定です。




