第二話 見殺しセイイチロウ
「先生、どうかこの子を、アケミを救けて下せえ!」
「先生!」
昨夜のことだった。城下で診療所を営む町医者のスズハラ・セイイチロウの許に、五歳ほどの女の子が運び込まれたのである。酷い労咳を患っており、息は荒く、時折咳き込むと血を吐いてしまう。はっきり言って彼には手の施しようがなかった。
「何故もっと早く連れてこなかったのだ!」
彼は子供の両親に向かって怒鳴りつけた。
「おらたちに……おらたちに娘をお医者様に診せる金なんかねえだよ」
「んだ。前に近所のムロト・シュゼン先生に診て頂いた時、薬代としてえれえ金を取られちまった」
「そんで仕方なく、薬を薄めて使ってただが……」
「んでも娘がこんなになっちまって、有り金全部持ってムロト先生のところに駆け込んだんだ」
「そしたら、そんな端金じゃ診てやれねって言われて……」
「他のお医者様からもみんな同じように断られて」
「やっと先生が診て下さるって……お願えだ、足んねえなら後から金さ用意して持ってくる。だから娘を、娘を救けてやって……」
「ごふっ!」
「あ、アケミ!」
「母ちゃん……苦しいよ……」
「先生!」
セイイチロウは苦しそうに喘ぐ少女の口元の血を拭ってやったが、彼に出来るのはそれくらいしかなかった。
「可哀想だが、俺にはどうしてやることも出来ん」
「そんな、先生!」
「アンタお医者だろ! だったら何とかして……」
「うっ、ううっ!」
「あ、アケミ、アケミ!」
それが、少女がこの世で上げた最期の呻きだった。両親は何度も娘の名を呼ぶが、彼女が応えることはなかったのである。
「や、やっぱり噂は本当だっただか……」
「このヤブ医者! 何もしねえで娘さ見殺しにしやがって!」
両親の怒りと悲しみは、彼らを門前払いした他の町医者たちではなく、事実上娘の最期を看取ったセイイチロウに向けられた。
町医者たちが目の前の親子を追い返したのは、何も金がなかったためだけではないだろう。
どのように手を尽くしたところで、少女を救けられないのは、多少でも医学を学んだ者ならすぐに分かる。医者が患者を死なせてしまえば、世間での評判が落ちてしまうのだ。そうなれば患者が遠退く。つまり儲けられなくなるということである。誰が好き好んでそんな貧乏くじを引くものか。
『見殺しセイイチロウ』
それが城下で広まる噂、彼の通り名だった。だが、実際に運ばれてくる患者は、手の施しようのない者たちばかりだったのである。他の町医者がするように、彼もまたそんな患者たちを門前払いすれば、少なくともそのような汚名を着せられることはなかっただろう。
しかし、彼の信念がそれを許さなかった。
『医は仁術なり』
一人でも救える命があるのなら救いたい。そう願って医術を学び、さらに研鑽も続けてきたつもりだ。金儲けの手段にするなど、考えたこともなかった。ところが実態はどうだ。
一人目の患者は、酔って河に転落した働き盛りの青年だった。運の悪いことに、青年の大腿には直径一寸、約三センチもの枝が突き刺さっていたのである。そして枝は、太い動脈を傷つけていた。
それでも、初めの医者が適切に手当てをしていれば、患者は助かったかも知れない。しかし、セイイチロウの許に運ばれた時には、数件の医者をたらい回しにされた後だった。
まともに止血すらされていなかった患者は、すでにショック状態にあった。肌は蒼白になり、呼吸も不規則で、脈も小さく早くなっていた。現在の医術にあっては、いわゆる手遅れという状況である。それから間もなく青年は息を引き取り、何も出来なかったセイイチロウは家族から批難を浴びせられた。そんなことが、これまで幾度も繰り返されたのである。結果、彼が得たのは不名誉な通り名というわけだ。
彼は不幸な少女の亡骸にそっと手を合わせ、病室に背を向けるのだった。
「なに、薬価がまた上がっているだと?」
その日、俺は家令のダイゼンから城下で起こっている様々な報告を聞かされていた。中でも特に気になったのが、最近高騰を続けているという薬価についてである。
「労咳に効くとされているトウニンジンの値が、殊の外吊り上がっている由にございます」
「トウニンジンが労咳に効くわけがなかろう……」
「陛下、今なんと?」
「いや、何でもない。ただの独り言だ」
うっすらと残る日本で生きていた頃の記憶を思い出し、俺は思わず口に出してしまったようだ。
労咳、つまり結核は細菌によって引き起こされる。しかしトウニンジンには、この細菌を殺す効果はない。
確かに栄養価が高く、免疫力を高めるという点においては優れた食品ではあるが、根源治療にはならないのだ。ただ、免疫力が高まったお陰で病気の進行が遅くなり、結果的に自然治癒に繋がった例もある。そういう意味では、一概に無意味とも言い切れないのだが。
「本当に品薄で値が上がっているのか、誰かが意図的に値を吊り上げているのか」
「お調べになりますか?」
「そうだな。もし意図的に値を上げているとしたら許せぬ所業だ」
しかし、そうは言っても、このような隠密仕事をきれいにやってのけるモモチさんもヤシチさんもこの世にはいない。かと言ってアザイの人たちに頼むわけにもいかないだろう。あの二人を失ったことが、今さらながらに大きな痛手と思い知らされる。
その時だ。不意にウイちゃんが現れ、俺に微笑みながら言った。
「間もなく、陛下の望まれる人物が、このお城を訪ねて参りますわ」
「は?」
「うふふ」
ウインクしながら、含み笑いを見せてウイちゃんは姿を消す。てかウイちゃん、また俺の心を。そう思って抗議しようとしたところで、扉の向こうから衛兵の声が聞こえた。
「申し上げます! ウイ妃殿下のお召しと申す者が、国王陛下への謁見を求めて城門に参っております」
仕方ない。それがおそらく、ウイちゃんがどこかから見つけてきた、俺の望む人物とやらなのだろう。俺は衛兵に、その者を通すように命じて、ダイゼンと共に謁見の間に向かうのだった。
次回、第三話『私に死に場所を与えてくれると申されるか!』
11/2(土)更新予定です。




