歪
戦いは終わった。
だが、戦い足りない。
殺さぬように手加減をして戦わないといけないこと、そしてそれができてしまうだけの実力差。
ヤマトは、モンスターウルフとの戦いを思い返し、拳を握る。
「……物足りない」
もはやその思いを捨てようとは思わなくなっていた。
その事が良いのかは分からない。
だが、その良し悪しは別にして、ヤマトはこの物足りなさが自分の力になっているように感じていた。
「まあ、そんなことよりも今は……」
物思いを中断して、目の前のブツに意識を移す。
そこにあるのは、肉。
なんとも久しぶりな肉に、自分の戦闘衝動に対する悩みなどどうでもよくなり、ヨダレが溢れる。
次から次へと肉を頬張れば、口いっぱいに広がる旨味に意識がとろけそうになる。
「美味い……」
実に一週間以上も植物と水だけの生活だった。
ユウキの言うことには栄養面での問題はないらしいが、それでもやはり肉は気持ちのノリ具合が違う。
「幸せだ……けど、もっと色々食べたくなってくるな……」
マリノが作ったキャスター付きの机の上に並んでいるのは肉と野菜とだけ。
機会があれば刺身や卵の料理、乳製品なども食べたいと、ますます高望みをしながらヤマトが肉を頬張っていると、アンナとヴァントが声をかけてきた。
「『いっえーい! たーのしんでるー?!』」
「ターノシンデルー?!」
「君たちほどじゃないです」
とても上機嫌な二人。
そのテンションについていけずに少し引きながらヤマトは答える。
「『もっと楽しまなきゃー!』」
「勿体無イヨ!」
「はい、頑張ります…」
「ア、ソレト、ウルフガ、君ノコト呼ンデルヨ!」
「ウルフ?」
突然のウルフという単語に違和感を抱く。
「なんでまたウルフが?」
「サァ? ナンデダロネ」
「んー……まあいいか。すぐ行くよ」
手にしていた肉を一口に頬張ると、水で流し込みながら立ち上がる。
アンナとヴァントについてツリーの下へ行くとそこには1匹の若いモンスターウルフが座っていた。
「どうも。ヤマトです」
「『こ、こんばんは! あの! こ、この間はすみませんでした!』」
開口一番にこうべを垂れるウルフ。
「あー、うん、こっちこそ悪かった。怪我とかは大丈夫か?」
「『!! ……許してもらった上に心配までしてもらえるなんて、本当にありがとうございます! おかげさまでとても元気です』」
「そうか、良かったよ」
フリフリと振り回す尻尾が気になりながらもヤマトは話を続ける。
「で、話って?」
そう問いかけると突然ウルフはワンっと元気よく一声吠えた。
「狼もワンって言うのか……」
「『話というのは、ズバリ、私をお側に置いて頂けませんか?』」
「側に?」
突然の申し出に意表を突かれた。
「側に置くって、つまり、えっと……」
「『弟子にしていただきたいんです!』」
困惑するヤマトに、より一層激しく尻尾を振りながらずいと近寄るウルフ。
鼻と鼻がぶつかりそうになりながらウルフは熱く語る。
「『戦っている時に思ったんです。なんて強いんだろう、なんてかっこいいんだろうって。その時は敵でしたが、ヤマトさんのその強さに憧れてしまったんです』」
「わ、わかった! 分かったから! 分かったから落ち着け! そして近い!」
ズイズイと近寄ってくるウルフを押し戻しながらふぅ、と息をつく。
弟子と言われても、正直そんなこと考えたこともなかった。
しかも、人ではなく狼である。
ヤマトは今まで動物を飼ったことがない。
ハムスターや金魚すら飼ったことがないのに、狼の扱いなど知らなかった。
「弟子って言われても、俺は教えることなんかできないと思うんだが……」
「『いえ、そんなことはないと思います』」
だが、そんな彼の疑問をこのウルフは迷う間も無く切り捨てた。
「ず、随分とあっさり……」
その真っ直ぐさに呆れながら、だが、悪い気持ちはしない。
教えることはできなくとも、慕ってくれる者に何かをしたくなった。
「わかった。だけど、弟子ってのは俺にも荷が重いし、俺自身が教えることより学ぶことの方が多い。そこで、だ。対等にバディってのはどうだ?」
「『ばでぃ、ですか?』」
「ま、呼び方は相棒でもなんでもいいけど。要は対等に互いにサポートし合おうってことだ」
「『た、対等!?』」
びっくりしたように声を上げるウルフ。
「嫌か?」
「『嫌ではないですが、対等なんて!』」
「なら良いだろ。お互いに思う事を言ってお互いに高めて行けばいい。互いに教え教わりながら一緒に頑張ろうぜ」
「『……分かりました。でも覚悟してくださいね。必死で食らいついていきますよ』」
「ああ。 望むところだ。……えっと、名前はなんだったかな?」
名前を呼ぼうとして頭を掻くヤマト。
そんな彼にウルフは少ししょんぼりとする。
「『モンスターウルフには、力のあるもの以外に名はありません。僕のような若造には名前なんてないんです」
「そうか……」
ふむ、と悩む。
名前は大切だ。
他者から自分を認識するためのものであるだけでなく、自分が自分自身を認めるためのものでもある。
なるほど、『名は体を表す』という言葉もあるように、名前がそのものを示し、そのものも名前に育てられるのだ。
単にヤマトが呼びにくい、ということもあるがこのモンスターウルフのためにも名前が必要ではないだろうか。
どちらかというと体力勝負がメインで、頭を使うことはあまりないヤマトが珍しくそう考え、口を開く。
「……よし、じゃ、俺が名前をつける」
「『え?』」
「名前がないと不便だしな」
「『でも、名をもらうには実力が……』」
「例え今がどうであれ、それを気に病む必要はない。もし今に不満があってもこれから少しずつ名前に見合うような狼になっていけばいいんだ」
「『……はいっ!』」
元気よく返事をするウルフ。
だが、そうは言ったものの名前など付けたことはない。
ふと思い浮かんだのはシートン動物記に出てくる『狼王ロボ』。
だが、ありきたりすぎて面白くない。
「和風な名前が良いかなぁ……」
そう呟いたのはヤマトの好みというだけではない。
日本からいきなり飛ばされ、訳の分からないうちにずっと過ごしてきた異世界。
そんな中でふと望郷の念が湧いてきたということもあった。
名前を考えながら、ふと天を仰げば輝くツリーと舞い散る雪。
春の風が不意にその降り注ぐ雪をかき乱した。
「雪の……風」
その美しい流れを目で追えば、やがて自分を見つめる狼の輝く目にたどり着く。
「雪風。お前の名前はユキカゼだ。これからユキカゼを名乗るといい」
「『ユキ……カゼ……』」
「そう。ユキカゼだ」
新しくつけられた『ユキカゼ』という名前。
それを何度も噛みしめるように呟くモンスターウルフ。
「『素晴らしい名前を、ありがとうございます!』」
「ああ。これから頼むぞ、ユキカゼ!」
「『はい!』」
それはこの世界で初めてのことだった。
魔物とヒトが手を組む。
そんな今まであり得なかった事が、誰も知らないこの世界の片隅で起きていた。
それが何を引き起こすかなど、誰も知らないままで。
その瞬間に立ちあったのは、ヒトとエルフの金髪少女達のたった二人だけだった。
***************
「すっかり静かになったね」
「そうだな」
「みんなとってもはしゃいでたもんね」
パーティーは終わり、すっかり静かになった広場。
たった二人だけ残ったミクとタケルは隣り合って岩の上に座っている。
「ミクは疲れてないのか?」
「うん」
「嘘つけ、一番頑張ってたじゃねーか」
そういうタケルににっこりと微笑むミク。
「本当に疲れてないよ。だって大好きな人のためなら女の子はなんだって頑張れるんだもん」
「そ、そうか……」
「あっ、照れた?」
思わぬ不意打ちに動揺するタケル。
それを彼女は見逃さない。
ニコニコと笑うミクに思わずタケルが顔を背けると、彼女はさらにくすくすと笑い声を立てて笑った。
「面白いね」
「うるせー」
「でも、本当だよ?」
そう呟く彼女の顔を、タケルは見れない。
『好きなの!』
広場がざわめきで溢れていた数時間前、ミクはツリーを背景に降り注ぐ雪の下でそう言い切った。
頰を真っ赤に染めた美少女の本気の告白。
正直、断る理由はない。
だが、タケルは答えを返していなかった。
一つ目の理由は、まだ生活やみんなの精神状態が安定したとは言えない現状では恋愛に割く心の余裕が無いということ。
二つ目は右も左も分からないこの異世界で、もし破局してしまったら悲惨な結末が見えていたから。
そして三つ目が、自分が本当に彼女にふさわしいのかという疑問。
「正直、どう受け止めていいかわかってないんだよなぁ」
「分かってる。どんな心配をしているかも、答えが出てしまったら何が起きるかも」
「……一つ言っておくと、俺はミクのことは嫌いではない」
「それを言っちゃうかなぁ」
やれやれこれだから、と少女は足を投げ出し天を仰ぐ。
「まあ、最初に言ったように返事は今度でいいよ」
ミクは『好き』と言った直後に返事を求めなかった。
いや、むしろ遮っていた。
「私はあなたが好き。だからもっと話したいと思うし、一緒にいたい。この告白は私のわがままを叶えるための鎖みたいなもの」
「もしかしてメンヘラ?」
「分かんない。でも一つだけ言えるのは、自分の気持ちに我慢ができなかったってこと。だから、返事はいらないよ」
そう言ってミクは立ち上がる。
「星空鑑賞はもうおしまい! 明日もあるし今日はもう寝よっ!」
「ああ」
「ほら! 早く立ちなさい!」
生返事を返すだけで立とうとしないタケル。
それを見てミクはぷぅと頬を膨らませると、いきなり手を取って彼を引き上げた。
「わぁ!」
「あははは! びっくりした?」
「危ないだろ!」
「ボーッとしてるのが悪いんだよ! さ、帰ろ!」
そう言って先を歩くミクの後ろ姿を見ながらため息を一つつく。
「……反則だろ」
彼女のことは嫌いでは無い。
自分の言ったその言葉を脳裏で反芻しながら、タケルは彼女の背中を追いかけた。
***************
クリスマスパーティーも終わり、エルフの郷が静けさに包まれた頃。
糸の生成の練習をしていたユイナに近寄る影があった。
「ユイナ氏、タケルを見てない?」
「さぁ? ユウキくん、どうしたの?」
黒い影の正体はユウキ。
いきなり話しかけられたことに少し驚きながらユイナは返事を返す。
「いや、明日からのことで相談があったんだお。でも見当たらなくて」
「んー、どこだろうねぇ。ちょっと見てないかなぁ」
「そう? ユイナ氏も知らないかぁ。仕方ないンゴ、今日は眠いしまた明日話すか」
「え、寝るの?」
「うん。別に急ぎでもなかったから良いお。おやすみ、ユイナ氏」
「おやすみー」
そう言って仮説の眠り小屋に入っていくユウキ。
これで起きているのはユイナと筋トレをするヤマト、そしてその隣の狼だけになった。
「……ねぇ、ヤマト君」
「ん?」
「なんか、その……なんでウルフがいるの?」
「あぁ、俺こいつとコンビを組むことにしたんだ。ちなみに名前はユキカゼ」
「へぇ! いい名前だね!」
いつのまにそんなことになっていたんだろうか。
少し驚きながらも、まるで犬のように丸まっている狼を見ていると愛着が湧いてくる。
「まだ子供だからな。さっきのどんちゃん騒ぎで疲れたんだろう」
「なるほど。可愛いね」
「ああ」
そう答えると腕立て伏せをやめ、立ち上がる。
「川で汗を流してくる。タケル、ツリーの広場の所にいるんじゃないか?」
「あ、そうなんだ! じゃあ見てくるよ!」
思わぬ情報を聞き、思わず見に行こうとして気がつく。
「あれ? なんでユウキ君に教えなかったの?」
「聞かれなかったからな」
「聞かれなかったの?」
「うん」
何故!?
ユウキの詰めの甘さとヤマトの融通の利かなさに苦笑を漏らしながら、ユイナは立ち上がる。
「じゃ、ちょっと様子見てくるね」
「んー……暗いし近くまで送っていくよ」
「あ、じゃあお言葉に甘えて」
かくして歩みを進める二人。
ちなみにユキカゼは寝ていたので学ランを毛布がわりにかけて置いてきた。
街灯の照らされた道をしばらく進めばやがて美しく輝くツリーが見えてきた。
「明日までこのままにしておくんだっけ?」
「そう言ってたな」
ライトアップ担当のエルフ、アマデアスが夜の間のライトアップを保証してくれていた。
「じゃ、ここまででいいよ。ありがとうね」
「そうか、じゃ、気をつけてな。おやすみ」
途中でヤマトと別れ、一人で歩く。
広場の入り口に差し掛かった途端、かすかな話し声が聞こえてきた。
「私はあなたが好き。だからもっと話したいと思うし、一緒にいたい。この告白は私のわがままを叶えるための鎖みたいなもの」
「え?」
ミクが、タケルに告白をしていた。
思わず木の陰に隠れるユイナ。
胸がドキドキとして頭がグルグルする。
「一つだけ言えるのは、自分の気持ちに我慢ができなかったってこと。だから、返事はいらないよ」
返事はいらない?
告白なのに?
状況も何も飲み込めないままユイナは混乱する。
その間に話が終わったのだろうか、二人が立ち上がる音。
笑い声が遠ざかっていく中でユイナは木の根元に座り込み膝を抱える。
「どういう……こと?」
呟きながら彼女は思う。
きっと、タケルはミクの告白を受け入れるだろう。
「なんだろう……」
幼馴染に春が来た。
喜ばしいことのはずなのに、何か胸の奥の大事なものが掻き消えた様な気がした。