第4話 凍え死になんて冗談じゃない!
ドガッ! と、ひときわ激しい地面を叩く音と共に、周囲に怒鳴り声が響いた。
「落とせ!」
「逃がすなぁ!」
それは暴力的な、他人を傷つけようとしている声だった。
ジンは押し寄せる悪意に改めて恐怖を覚えた。
「もうこんなとこ嫌だ! 早くまともな優しい人たちのいる場所に行きたい!」
ゴウゴウと押し寄せる風に対抗するように叫びながら、ジンは必死に馬の獣臭い毛にしがみついた。
―― ◇◇◇ ――
「姫さま大変です! 陰龍が逃げ出しました!」
「なんですって!」
それまで愚かにも勇者召喚の儀を邪魔しようとして襲ってきた暴徒を殲滅するため、自分の騎士たちの指揮を執っていたリリスは、王族に相応しくない程に声を荒げた。
しかしそんな荒ぶる感情をすぐに抑え込むと、僅かな時間考えを巡らせる。
「そんな馬鹿なことがある? 陰龍には内からはもちろん外からも干渉出来ない拘束の陣を用いていたはず。まさかただの頭のおかしい連中と思っていたこの暴徒のなかに高位の術士が混じっていたとでも?」
ブツブツと考えをまとめるために呟くリリスを、伝令の者は静かに待つ。
いかに緊急のときとは言え、高貴な相手を急かせるという発想は彼にはなかったのだ。
「いいわ。こたびの愚かな暴徒を何人か生かして捕らえなさい。直接聞き出すのが一番でしょう。まさかもう全員殺してしまってはいませんね」
「はっ! 聡明な姫さまならば必ずそうおっしゃるだろうと、隊長が」
「よろしい。わたくしは勇者の相手をする必要があります。専任の者を当たらせて、必ず成果を上げるように」
「はい、必ずや」
伝令を帰し、リリスは勇者を待たせておいた部屋へと急ぐ。
「姫さま大変です!」
が、そこへ彼女の側近の巫女の一人が慌ただしく駆け寄った。
その巫女が、勇者の慰撫のために先に行かせた者であることに気づいたリリスは、嫌な予感に苛まれる。
「いかがしました」
「はい。勇者さまのお姿が隠し部屋にありません」
「なんですって!」
この日二度目の叫びを上げ、今度こそリリスは絶句した。
―― ◇◇◇ ――
ゴウゴウという恐ろしい風の音と風圧は、かなり長い間ジンを馬の背に押し付け続けた。
あまりにも長い間そうしていたので、ジンも段々慣れて来て、馬の毛の手触りが思ったよりもフワフワであることに気づき、堪能することが出来るようになっていた。
(なんか、まるで鳥の羽みたいだ)
馬の毛は案外とゴワゴワなものだ。
子どもを乗せるポニーなどはいつもキレイに梳いてもらって編み込みなどで飾られていたが、それでもフワフワという感触には遠い。
つくづく知らない種類の馬であるということを、ジンは思い知る。
(やっぱりここ、外国なのかな)
日本なら、こんな大きな馬がそこらを走っていたらたちまちとんでもない騒ぎになるし、そもそも飼われているだけでニュースになるような話題だ。
「……寒い」
どうやらこの馬が逃げ出す際に、自分を一緒に連れ出してくれたのだということを理解して、ジンはある程度安心感を抱けるようになっていた。
しかし、ほっとすると今度は暴風のなかを走り続ける寒さが堪える。
唯一助かるのは、こんな速度で走っているのに振動がまったく感じられないということだ。
地震のような激しい振動があったのは最初の数歩のみで、その後は全く感じられなくなっていた。
まるで飛んでいるようだと考えて、ジンは自分を笑って頭を振った。
そしてそっと自分が助けた馬の背を撫でてやる。
助けたのか助けられたのか、少々疑問だが、どちらにせよ、感謝の気持ちを抱くのに十分だった。
どうやらしばらくうとうととしたらしい。
トン! という軽い振動を受けて、ジンははっと目を覚ました。
我ながら図太いなと、ジンは感じて苦笑いを浮かべた。
ふと見ると、空が白み初めている。
周りに目を向けると、真っ白でよくわからないが、土の臭いと、木の匂いが漂っていることで、どうも山のなかか森ではないかと考えた。
朝方の霧が発生しているのだろう。
やがて、ジンの周囲に歓迎ならざるもの現れた。
羽虫である。
(まぁ山のなかなら仕方ないけど、デカイ。蚊じゃなくて虻か?)
必死で追い払うも数カ所噛まれてしまい、噛み跡がチクチクする。
「くそっ、どいつもこいつも俺を食い物にしやがって!」
昨夜からの苛立ちがジンのなかに湧き上がる。
自分はこれからどうしたらいいのだろう。どうなってしまうのだろう。そう考えると、薄ら寒いような心地になるジンであった。
「ていうかマジ寒い」
震えながらギュッと馬のフワフワの毛にしがみついた。
そうして、ジンの記憶は一旦ここで途切れることとなる。
ガチガチと己の歯が鳴る音で目が覚める。
「さ、寒い。……さむい」
「□□□……△□△△」
誰かが何かを言っているようだ。
水のなかにいるかのように音が遠く、はっきりとした意味を捉えられない。
「誰か、たすけて……母さんを、助けて……」
意識がまた遠のいた。