第14話 異世界勇者とかありえねぇ!
「これは、俺の知っている世界地図じゃない」
ジンはようやくそれだけを絞り出すように言った。
「ええ、その通りです」
ヴィスナーは静かに頷いてみせる。
「あなたは何を知っているんですか?」
「状況から見た推測ですが、おそらくは当たっていると思います。あなたは勇者ですね」
ヴィスナーの言葉に、ジンは戸惑う。
確かにあの聖王国の王女と言ったリリスは、ジンを勇者と呼んだ。
そしてジンはそれを生贄の意味だと判断した。
それ以外にもっと別の意味があったのだろうかと、ジンはヴィスナーの言葉を促した。
「確かに俺をさらった相手は、俺を勇者と呼んでいました」
「やはり、そうでしたか」
ヴィスナーは深く息を吐くと、一度目を閉じ、改めてジンに向かい合う。
「聖王国において、勇者とは異世界から訪れた者を指します」
「は?」
真剣に話を聞いていたジンは、異世界というとんでもない言葉に一瞬、戸惑った。
笑うべきか怒るべきか、瞬間判断に迷ったのだ。
目前のヴィスナーは、冗談を言っているようには見えないが、それにしても異世界は無いと、ジンは思う。
あまりにも非科学的な話で信じられるはずがなかったのだ。
「ええっと、失礼ですが、それはその、宗教的な意味で、外国をそう表現しているということですか?」
結果として、ジンはそう判断した。
「異世界の定義は、本来は触れ合うことのない世界という意味です。世界とは一つの閉じた卵のようなものです。卵同士は殻によって隔てられ、交わることがありません。交わってしまうとそれぞれの個としての存在を脅かすからです。世界はいくつも存在すると考えられていますが、私たちは本来、私たちの世界しか体験することは出来ません。しかし、とても稀なことですが、ときに、殻が柔らかくなることがあり、互いの柔らかい部分が触れ合うことによって、その中身がどちらかに吸い出されることがあります」
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺はとてもそんな話は信じられません。その、宗教的な逸話であるとしたら、失礼ですが、現実的ではないと思います」
ヴィスナーの言葉を遮って、ジンは理解の及ばない、いや、理解したくない話を否定した。
「あなたは気づいているはずです。いえ、知らなければなりません。まずは自分を知らなければ、どう在りたいと思うことさえ出来ないからです」
「でも、その有り得ないような話を証明することは出来るんですか? 納得出来る証拠がなければ、どうしたって信じられるような話ではないでしょう?」
馬鹿馬鹿しいとジンは強く思った。
確かに、いつの間にか知らない土地に連れて来られて、おかしなことがたくさんあった。
しかし、いくらなんでも異世界は無い。
何かに怯えるように、ジンは強く否定する。
「では、ジン。あなたはこの国の言葉をここに来る前から話すことが出来ましたか?」
「うっ、そ、それは、熱を出して寝込んでいる間に、睡眠学習効果で、きっと……」
言葉については自分でも確かにおかしなことだとジンも理解していることだが、そんなことが異世界に来たことの証明には成り得ないとジンは強情に突っぱねた。
ヴィスナーは、そんなジンに対して強く説得するのではなく、ただ静かに言葉を継いだ。
「ジン。あなたの本来の国。ニホンでしたか? その母国語を話してみてください」
「え? ああ、いいぜ。日本語だろ。ええっと、……うん?」
ジンは慌てた。
必死で言葉にしようとするものの、日本語が一切出て来ないのだ。
簡単な挨拶の言葉の一つさえ、どう発音していたのか思い出せない。
「あ、ああっ!」
愕然としたジンは、体がサーッと冷えるのを感じた。
寄って立つ大切なものが失われたような、深い絶望を感じる。
「落ち着いて、大丈夫です」
静かな言葉と共に、優しい甘い香りがジンの鼻孔をくすぐった。
「あ、あの」
「これは母子草と言います。乳のような甘い香りがするでしょう? 気持ちが落ち着く香草です。どうぞお茶に入れて飲んでみてください」
白っぽい緑の柔らかい葉が付いた細い枝を渡され、ジンは思わずそれを受け取る。
確かに、その枝葉から甘いようなふんわりとした香りが漂っていた。
動揺していた気持ちが、少しだけ落ち着くのをジンは感じ、その葉をちぎってお茶に入れてみる。
釜炒り茶のような独特の風味があるお茶なので、ハーブの類はその香りが喧嘩しそうなものだが、不思議と、お茶がまろやかに、優しく、わずかに甘い味になった。
「全てのことには理由があるのです。恐怖とは理解出来ないことで起こる感情です。ものごとを理解することで、人は理性的に考え、行動することが出来る。まずは落ち着いて、あなたの身に起こったことを理解して行きましょう」
ジンはお茶の入ったカップを握りしめて、体の震えを止める。
ほんのりと温かいカップは、冷え切った体を落ち着かせてくれた。
いっそ叫び出したい気持ちに突き動かされているジンであったが、ヴィスナーの言葉には納得することが出来た。
この訳のわからない状態を理解するには、何が起こったのかを知るしかない。
そして、何もわからないジンとしては、目前のヴィスナーに頼るしかなかった。
正直に言えば、ジンはヴィスナーをまだ完全に信用してはいない。
彼の語る言葉が正しいとは限らないのだ。
ヴィスナーの言う、異世界とか勇者というモノは、あまりにも怪しすぎた。
しかも相手は今日会ったばかりだ。信用出来なくて当然だろう。
しかし、あのリリスという王女さまのように、ジンに物を考えさせずに引っ張り回そうとはせずに、まずは落ち着いて考えさせようとしているということは理解出来る。
それだけでも、まだ、あの王女さまよりは信じることが出来た。
「勇者という存在を語るには、まずはこの世界の理を知る必要があります。少し長い話になりますが、大丈夫ですか?」
「はい。まだ納得はしていませんが、まずは話を聞かせてください」
ジンは腹を据えて、この訳のわからない状況を理解する糸口を探ることにしたのだった。




