第12話 お帰りなんて言えないよ!
実りの時季も終わりに近づき、人々は忙しげに人里を繋ぐ道を行き来する。
そこへ、シャランシャランと涼しげな音が響いた。
「おお、教師どのじゃ」
「祠鎮めの御方だわ」
「せんせい! 飴ちょうだい!」
道行く人はその相手に気づくと、大人は伏し拝み、子どもは子犬のようにじゃれかかった。
「これ、ご迷惑だろ」
「いいえ、大丈夫ですよ。ほら、坊や、飴だよ。お父さんとお母さんと妹ごの分もあるからちゃんと分けるんだよ」
「やったぁ!」
「まったくもう。ありがとうございます先生」
父親がわんぱくな小さい息子をなんとか捕まえようとするが、するりと躱され、教師と呼ばれた男の元へと駆け寄ったその少年に、男は懐から小粒の塊を取り出し、やわらかな葉っぱにくるんで渡す。
はしゃぐ子どもを呆れたように、そして、やさしい目で見守った母親が、教師を先生と呼んで手を合わせて頭を下げた。
「いえ、人の心を平らかにするのも我が役割ですから」
教師の左手に握った杖の頭にたくさんの結び目を持つ金属で出来た紐があり、それらが触れ合って涼やかな音を立てる。
先程からの鈴のような音はこの杖から響いていたらしい。
ヴィスナー・アイ(繋ぐもの)・レクト(森の人)、ヴィスナー教師と呼ばれる男は、長い往診からようやっと帰還を果たそうとしていた。
―― ◇◆◇◆◇ ――
ジンが、まだおっかなびっくりではあるものの、一人で任されるようになった薪割りをしていると、小さな可愛らしい小鳥が、ジンが世話になっている祠守の家の窓に止まってさえずり始めた。
それはズィーチョンズィーチョンというような、不思議な響きの声である。
「やっぱり見たことない鳥だよな」
見知った動植物が全くないことに、ジンはこの地が自分の住んでいた日本からそうとう遠い場所であることを改めて思い知る。
「うちの庭にはよくメジロが来たっけ」
ジンの母は鳥がとても好きで、庭には餌台を作って果物などを置いていた。
小鳥を一羽飼っていて、とても可愛がっていたものだ。
ふいに思い出した母のことに、ジンは涙がこみ上げてくるのを必死でこらえた。
この記憶が突然蘇る現象は、不意打ち気味に訪れて、強く心を揺さぶってしまう。
特に母の思い出は、ジンにとっては幸福と哀しみを共に連れてくるもので、思い出せて嬉しい思いもあるが、身が絞られるような心地でもあった。
「あ、やっぱり。『先触れ』だ!」
タタッと、子どもたちが集まるオープンな部屋から走って来たのは、テクニアという六才の少年だ。
バイスの次に年長の少年だった。
テクニアは小鳥を見つけると、嬉しそうに声を上げる。
「先触れって?」
ジンはそんなテクニアに問いかけた。
「先生が帰ってくるのを知らせてくれる使い鳥だよ」
「使い鳥?」
首をかしげるジンだったが、テクニア少年はそんなジンに構うことなく、子どもたちの集まる場所のほうへ駆けて行ってしまった。
残されたジンは、伝書鳩的なものか? とも思ったが、ただの小鳥にしか見えないので、子どもの妄想の類かも? とも疑う。
そこへ、バレリがやって来た。
「あ、本当だわ。ヴィスナー教師がお戻りになられるのね」
小鳥を見て、納得したようにうなずく。
「この小鳥が先触れなの?」
「ええ、そうよ。他所の人には馴染みがないかもしれないけれど。先生は教師だから」
「そうなんだ」
よくわからないながらも、わからないというだけで否定するのもおかしな話なので、そういうものなのかとジンは飲み込んだ。
詳しいことはまたゆっくり時間があるときに聞けばいいだろうと思ったのだ。
それより、問題なのは、いよいよ噂のヴィスナー教師なる人物が戻って来るということだった。
ジンの運命はその相手に委ねられていると言っていい。
「どうか追い出されませんように」
そう言いながらジンは、可愛くさえずる小鳥を拝んだ。
その後も特にいつもと変わりなく、その日の仕事に励んだが、子どもたちはどこかそわそわしていた。
表情を見ると、どうやらヴィスナー教師が戻って来ることが嬉しいのだろう。
その姿に、子どもの頃、一人で留守番していたときの自分を思い出し、ジンはどこか懐かしげに微笑んだ。
その人が姿を現したのは、夕食を準備し始める少し前だった。
村の入り口方向が騒がしくなり、気配を察した子どもたちが家の玄関前に揃う。
ジンは迷った挙句、そんな子どもたちから少し離れた場所に所在なげに佇んだ。
シャランシャランと優しい響きが聞こえる。
(きれいな音だな)
聞いていると、高まっていた緊張がゆっくりとほぐれていくような音だった。
その男性が姿を現したとき、ジンは一瞬、自分の父親を思い出した。
どれほど疲れて帰って来ても、決してジンの前では疲れた顔を見せなかった父。
ヴィスナー教師と呼ばれるその壮年の男性も、長旅帰りとは思えないほどにゆったりと、優しい微笑みを浮かべていた。




