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あまいゆうわく
歯をくいしばった祐斗が、何度も何度も壁を叩いているのを、菜々はすぐ目の前で見ていた。祐斗がぶつぶつと言っていた言葉も、しっかりと聞こえていた。だが、それでも菜々は不安ばかりを抱えていた。
こんな風に祐斗が、懸命になってくれるのは、自分がむつの友達だからではないだろうか。祐斗は菜々を、ではなくむつを助ける為のついで、自分はおまけなのではないかと。菜々はそう思っていた。
「…菜々さんにこんなかっこ悪い所は見られたくないな。むつさん…うーん、無理だ…誰だろ…あ、京井さんならもっとスマートに出来るんだろうな…弟子入りしようかなぁ…菜々さんと話がしたいのに…折角会えるなら、むつさんに頼んで菜々さんと2人にして貰いたいな」
言っているのは本心なのだろうか、祐斗は歯をくいしばり、しつこいくらいに壁を叩いている。何度も叩いているからか、寒いというのに額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
菜々は目の前の祐斗から聞かされている言葉を、ゆっくりと反芻させていた。祐斗の本音が聞けた菜々は、ぺたっと壁に触れた。そして、祐斗がしているようにばしばしと壁を叩き始めた。




