あまいゆうわく
「うわっ…」
殺気にも似たような視線を感じた祐斗は、ぶるぶるっと身体を震わせた。こんな視線を送ってくる人物には1人しか、心当たりがない。だが、その心当たりの人物は、冬四郎に迫っている。
「祐斗君?」
「菜々さん、床に座っていると冷えますよ。ほら…女性は尚更、身体は冷やさない方がいいですよ」
祐斗は菜々を立たせてやったが、ここからどうしたらいいのか分からなかった。菜々から聞かれた事にも、どう答えたらいいのか分からない。祐斗が真剣に考えていると、菜々はするっと伸ばした腕を腰に回してきた。
「菜々さん?」
「祐斗君は…あたしの事、嫌い?」
「え?いえ…そんな事は…あの…」
菜々からするチョコレートの香りは強すぎて、美味しそうでもなんでもない。祐斗は、それが嫌でたまらなかったが、菜々を突き飛ばす事はしない。ただ、じっと菜々の目を見ていた。
くるっとした睫毛に縁取られた目は、くりくりとしていて小動物のようだった。だが、何か違う。祐斗はどうしたものかと悩みながら、注意深く辺りを見た。チョコレートの香りで、頭が痛くなってきて集中が出来ない。それでも祐斗は、この違和感の正体を突き止めてやろうと必死になっていた。恐らく、目の前に居るのは菜々ではない。本当に菜々であれば、意図せずとも抱き締めている自信があったからだ。でも、それをしないという事は、考えずとも本能が拒否しているという事だ。
仕事を教えてくれている先輩であるむつも、咄嗟の時には考えるより本能が働くよと笑いながら、言っていた事がある。それが、今なのだろう。祐斗は菜々を見て微笑むだけだった。




