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短編

緑茶のはなし

作者:

あんぱんは甘いので緑茶が合います。



三題噺キーワード

【相棒】【あんぱん】【果物】

ありがとうございました。

 弱っている澪を見るのは、初めてかも知れない。

「よく見るお見舞いの果物よりも、いつも食べてるパンがいいなぁ」

 花瓶に入った桃色とオレンジのガーベラをつつく。俺がその横においたフルーツバスケットを見て、澪は小さく笑った。

「さっぱりして甘酸っぱくて、栄養たっぷりで果物は美味しいけど、やっぱりあんぱんが良かったなー」

 澪はよく笑う。その笑顔には、例えどんな季節でも向日葵が似合うと思う。少しくらいのトラブルなら、持ち前の明るさと人の良さで解決できてしまう。幼い頃から見つめてきたそんな彼女は、言葉にこそしないが、何よりも美しい存在だ。

 だけどその笑顔は見慣れたもののはずなのに、少しだけ力ないように見える。ちゃんと食事はとっているものの、やっぱりストレスはあるのだろうか。

 白い病室は未だに、華やかな黄色の澪には似合わない。白も好きな彼女のためでも、併せて黄色い花を飾ることはできない。

 甘いパン……特に彼女のお気に入りのあんぱんなんて、もってのほかだ。

「よくなるまではだめだ」

「はいはい、わかってますよーだ」

 ため息をつきながら澪がベッドの中へ倒れる。ぼふんと枕の空気が抜ける音がして、黙り込んでしまう。

 俺だって、食べていいなら渡している。好きなものを口にできたほうが緊張感もなく気持ち的には楽なのだろうけれど、そうもいかない。

「あー、早く将太のところの緑茶片手に縁側でのんびりしたーーい」

「……」

 優しく窓から吹き込んだ風が澪の前髪を撫でる。ふわふわとカーテンが波打ち、彼女に当たる光を少しだけ遮った。風が乗せてきた彼女の匂いが昔から知っているそれと違って、胸の何処かが痛んだ。

 今日は、やけに廊下ではしゃぐ子供の声が元気な気がする。


 澪の実家はパン屋だ。地元住民に愛されるローカルな店で、俺も昼食や間食に買いに行く。彼女の家族とは数え切れない程に顔を合わせ、俺も数いる常連の一人だ。時々彼女も手伝いをしているようで、彼女の手から受け取るパンはまた格別だ。

 最もの売れ筋はあんぱんで、つぶあんとこしあんの二種類が存在する。どちらも元は同じあんこであるが、そのあんこが甘すぎず粗雑すぎずにちょうどいい。ふわふわで噛むと小麦粉の甘味と絶妙になる生地も人気で、彼女のおすすめでもある。そして彼女のお気に入りでもあり、昼食はいつもあんぱんと緑茶だ。

 そして俺の実家は、代々茶葉を扱っている古店だ。母の古い実家の持ち物である茶畑を今でも引き継ぎ、栽培から加工までほぼ全てを家の管理で行っている。外から見れば由緒正しい大きな日本家屋だが、実態は裕福すぎるわけではなく、普通の家庭だ。尤も、自家製品を並べた直売店舗を道路脇においているので、道からはそうぱっと見える位置にはないのだが。

 その店兼自宅は、澪の実家もといパン屋の真隣に位置している。それ故か幼い頃から両家は交流があり、言わずもがな俺たちは一緒に育ってきた。特に都心に出る気も予定もなく、生まれた頃から高校三年の今に至るまで同じ時間を過ごしている。お互いの家を出入りすることも頻繁で、兄妹だと疑う人間は少なくない。

 お互いの店の商品を一緒に売ることもよくある。澪のパン屋のあんぱんとうちの代名詞たる緑茶は、とても相性がいい。彼女が昼食時に飲んでいるそれは、必ずうちの茶葉で出した緑茶なのだ。

「あんぱんの相棒は緑茶でしょ!」

 なぜ緑茶なのかと聞かれた時の、澪の口癖だ。

「さっぱりしてて、ほっこりして、でもたまに渋みがあってそれがあんこと合うんだよ。それに、パン生地に緑茶が染み込んでしっとりしたのも美味しいし!」

 彼女は流行りのスイーツよりも、当然果物よりも、あんぱんと緑茶が好きなのだ。


 そんな素朴嗜好者の澪なのだが、今では病院内で食事制限をされている。

「全く、お母さんもお父さんも、おばあちゃんも拓もみんな口酸っぱく言うの。またいきなり倒れたらどうするるんだーって、言われすぎて耳にタコができそう」

「普通は驚くだろ。何異常があるわけでもなく毎日あんぱん食べてた元気な奴が、いきなり倒れて搬送されたんだから」

「まあ、そりゃあ、そうなんだけどさ」

 ついこの間、一週間ほど前のことだ。いつものように学校へ行き、授業を受け、体育もして、帰宅した澪はいきなり倒れた。すぐに緊急搬送されたが、すぐには原因が分からず精密検査をした。そしてついこの間、原発不明の癌であることがわかった。

「食欲はある? 果物、何か剥こうか」

「あー、うん、どうかなぁ。あんまり食べられる気がしないや」

 横になったまま澪が答える。フルーツは水分も摂れるため少量なら食べてもいいらしいが、気が向かないらしい。

「あんぱんなら食べられるかも」

「また……」

「嘘だって。本気にしないでよね」

 可笑しそうにけらけらと笑う。

「花、水入れてくる」

 あまりにも見慣れた顔が、見慣れない風景の中で笑っていることに未だ耐えられない。行き場のない気持ちを抱えたまま、俺は言い訳のようにそう残して、パイプ椅子から立ち上がった。

 ほかの患者のベッドの前を通り、病室の扉に手をかける。がらっと開けると、目の前には澪のお母さんがいた。

「おばさん」

「あら将太くん、来ていたの……いつもありがとうね」

「いえ、そんな」

 ふふ、と上品そうに微笑むおばさん。この人からあの澪が生まれたのかと思うと、少し疑ってしまうほどには雰囲気が違う。

「澪、起きてる?」

「はい。俺、花瓶の水、変えてきます」

「ありがとう」

 逃げるようにその場を離れ、水を汲みに廊下へ出た。


 澪の癌は、実際どの程度まで進んでいるのか俺にはわからない。抗がん物質を打っているのか、普段何をしているのか、いない間はどうしているのかも何もわからない。確かに元気は無くなっていているし、体力の低下は見ていて感じられる。しかし、現実的に完治の見込みはあるのかとか、あとどれくらいまでなのかとか、そう言った事は彼女から聞いたことがない。

「聞きたいような、聞きたくないような」

 水場へと続く角を曲がりながら呟く。

 正直今でも実感がわかない部分がある。癌と言えば日本人の死に至る原因として片手に入るが、澪に関してはそんな気がしない。いつも常人以上に元気を振りまく彼女が、死に一番遠いように思えて仕方ないのはあるのかもしれない。

 そうこう考えているうちに、水道に着いた。茎部分が輪ゴムで束ねられた花束を持ち、花瓶を傾けて中の水を捨てる。それから流しの中に花瓶を置き、蛇口をひねる。

 ぼどどどど、という音を立てながら、跳ねた水が流しの横壁に飛び散る。周りの音も何だか騒がしいが、それをかき消す音を聞きながら、ただ横に叩きつけられる水滴を眺めていた。

「しょーーーーたーーーー!!」

 すると突然、廊下から、名前を呼ぶ声が聞こえた。急いで水場から顔を出し、外の様子を窺う。それと同時に、目の前を少女がぱたぱたと走って行った。澪の病室とは、逆方向にだ。

 見ると、少女は向かった先にある少年を呼んでいるようだった。走って行った勢いで同じ年頃の少年に抱きつき、嬉しそうにはしゃいでいる。

 昔の自分たちを見ているようだった。無愛想な俺にしつこく構う澪。邪険にしてもどこまでも着いて来て、緑茶を片手にあんぱんを半分に分け合う光景。何も喋らず黙々と口に運ぶ俺に対し、澪は何度も美味しいだの凄いだの言い続けていた。そんな空気が心地よくて、幼いながらにずっとこうしていたいと願った。そんな無垢な願いに、十年そこらでヒビが入るとは、その頃は思いもしなかった。

 そんなことを考えながらも、自分でないことを確認し落ち着いたところで、水を出しっぱなしにしていることに気づいた。急いで止め、病室の方向へ歩き出した。


「澪、戻った……ぞ?」

 病室に戻ると、澪はいなかった。

「あれ……」

 俺が座っていた椅子はそのままだ。しかし、入れ違いでおばさんが来たのだから、そのまま座っているだろうと思っていた。しかし、おばさんもいなかった。荷物もない。

 ベッドはシワが目立ち、剥いだような布団の跡があった。

 俺は荷物を片手に病室を出て、すぐ近くにいた看護師に話した。

「ここの、芦山澪、って女の子なんですけど、どこ行ったかしってますか」

「ご家族の方ですか」

 はい、と少し緊張して聞くと、看護師はすぐに表情を変えて、俺に言った。

「芦山さん、ついさっき容態がーー」

 全部は聞こえなかった。

 いや、全ては聞かないまま、直ぐに手術室に続く階段めがけて走り出した。


 足をもつれさせながらも長廊下を走っていると、大きな扉の前のベンチに座るおばさんが見えた。

 足音に気づいてか、おばさんがはっと顔を上げてそのまで俺を捉えた。俺を見たまま、おばさんがゆっくりと立ち上がり、こちらへ駆けて来た。

「おばさん!」

「将太くん、澪、澪が」

「おばさん、落ち着いて。どうしたの、澪がいない」

 俺のそんな言葉で落ち着けるわけもないのだが、今にも涙をこぼしそうな表情で、おばさんは俺の腕をがっしりと掴んだ。

「私が来て、少ししたら急に骨が痛いって言って、あまりにも痛そうにしてるからナースコールで呼んだら、転移してるかもって言われて、だから直ぐに手術するって言って、運ばれて」

 たどたどしくそう言うと、おばさんは膝から崩れ落ちて、堰を切ったように泣き始めた。

 突然のことに俺自身も全く処理が追いつかない。しかし、軽くパニック状態のおばさんをなだめることで、頭が真っ白にならなくてすんだ。とりあえず、おじさんに連絡をしなくては。



「あんぱん食べたい」

 青いニット帽をかぶった澪が、呟いた。

 最近はもうめっきり寒くなってしまい、窓は締め切っている。暖房の効いた室内だが、澪は何処か寒がっているようにニット帽に手を伸ばして触れた。

「なんだよ、少しなら食べれるのか?」

「うん、今日はいけそうな気がする」

 白い天井を見上げていたが身を少し起こし、こちらを向く。本当に大丈夫なのか、と疑わしい目を向けている俺を見て、澪はニッカリと笑った。

「大丈夫だって!」

 点滴の刺さった腕を一瞥する。白くて、以前よりずっも細くなった腕。骨ばった指が力無くベッドの上に置かれている。

 体だって、運動をしていた頃よりも華奢になっている。頰のあたりも肉が少し落ち、痩せこけた印象はどうしても見受けられてしまう。

「わかったよ、買ってくる」

「ちゃんとうちのでね! あと、緑茶も!」

「へいへい」

 軽く返事をして、自分の荷物に手を伸ばす。脱いでいた上着もマフラーも手早く身につけ、よいしょと立ち上がった。

「じゃあ、いってきます」

「うん、いってらっしゃい!」

 目を細めて澪が笑い、手をゆっくりと振った。それから、彼女の唇がゆっくり動いた。

「早く帰ってきてね」

 そう言っているように見えてしまい、俺は病室を出て一目散に走り出した。

 澪はあと何度、好きなものを食べられるのだろう。


あんまり絡ませられなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なろう荘かと思った。 [一言] いや、あれは緑竹さんだったはず......うっ、頭がっ。
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