これで借りは返した
いつもと何一つ変わらない放課後。
私は下駄箱に上靴を放り込むと、校門に向かって歩き出す。
「松蔭」
しかし数歩も歩かないうちに、クラスメイトに呼び止められた。
敦賀朝陽。
彼に呼び止められる原因はわかっているつもりだ。
今日、大宮優の停学が解消された。大宮は登校して、いつものようにピアノを早朝から弾いていた。私はそれに満足していて、半分くらいは、それを覚悟していた。
「時間あるよね?」
「ない……とは言わせてくれなそう」
心底嫌そうな声を出してみたが、敦賀は涼し気に微笑んで言った。
「明日、みんながいる前で話してもいいなら――」
「――時間ある」
まったく、油断ならない男だ。それに私が嫌がることをよく心得ている。私は大きく息を吐いて、敦賀の後ろを、それなりに距離をとってついていく。敦賀は迷うことなく校門の外に出ると、門のそばに立っていた大宮に話しかけた。
「優、連れてきた」
「……誰?」
大宮は私を見て、そんなことを言った。どうやら私がピアノを盗み聞きしていることはばれていなそうだ。そのことに安心して、私はどうやら少し笑ってしまったらしい。
敦賀は私の顔を見ると、その笑みを苦笑ととったのか、申し訳なさそうな表情で大宮をたしなめた。
「クラスメイトの松蔭だよ。顔は知ってるでしょ、さすがに」
「まあ、見たことは……ある」
「初めまして。でも覚えてくれなくていいから」
私はそういうと、ちらりと周囲を見た。下校中の生徒が、私たち三人を興味深げに見ているのがわかる。そのほとんどが大宮に集まる視線だが、中には私がこの二人とともにいることで邪推していそうな生徒もいる。
「敦賀、いつまでここにいる気?」
「もう移動する」
「最終目的地はどこ? 敦賀と大宮と並んで歩きたくないから、現地集合したいんだけど」
三人でどこかに出かけたなんて勘違いされたら、非常に面倒くさいことになる。
「おいおい……すげえ嫌がられてんぞ」
「優がね」
「むしろ敦賀のほうが嫌だけど」
「容赦ねーな、お前」
小さい声で言ったつもりだったが、大宮には聞かれていたらしい。大宮は驚いた表情でこちらを見た。こうやって見ると、髪の色は派手だが、普通の男子高校生だ。
「まあね。それで、どこ?」
「二駅離れたところにあるカフェ……ここでどう?」
二駅離れてようが、カフェだなんて人目につく場所は勘弁。私はそう思ったが、どこに行こうが人の目はある。それならば、むしろこそこそしないほうが言い訳もできる。
「じゃあカウンター席るから。横並びで」
「いざとなれば他人に見えるように?」
「そう」
「仕方ないな」
敦賀も大宮も呆れたという表情をするが、そんな顔をするぐらいなら普段の素行を正せと言いたいところだ。これがもっと健全で普通の男子生徒だったら、次の日には”付き合っている”という噂になる。しかし、否定さえすればそれで終わりだ。
ところが大宮が絡んでくると、おそらくそんな単純な噂ではとどまってくれない。
「じゃあ」
私はそういうと、早歩きで駅へと向かう。
この学校から駅まではわずか徒歩五分でいける。その短い距離の間、私は一度も振り返らず歩き続けた。改札を通ると、ちょうどやってきた電車に飛び乗った。これで同じ電車に乗るのは阻止できた。
電車の扉が閉まったのを確認して、私は改札へと視線を向けた。窓越しに敦賀と大宮が見えて、私はそれとなく視線を逸らす。
正直に言ってこのまま帰ってしまいたい。
しかしそうすればもっと面倒なことになるのは目に見えていた。
「どこからバレたのかな……」
担任がばらしたのか、それとも敦賀の超直感か。あるいは何か、別のルートか。
どれにせよ、予想よりは早かった。まさかUSBを敦賀に押し付けてからたったの二日で突き止められてしまうとは。
しかし、私が肯定さえしなければ、切り抜けられるはずだ。二人ぐらい適当に煙に巻いてみせる。
指定されたカフェに着くと、カウンター席を三人分荷物で押さえた。そして席を立ち、アイスストレートティーを買った。コーヒーは苦くて嫌いだ。私を知る友達は、それを意外だというけれど、私は根っからの甘党である。
紅茶に入れるためのガムシロップを二つ手に取り、ストローを挿したところで店の扉が開いた。
敦賀と大宮だ。
学校では浮いている彼らも、外の世界に出れば、なんてことのないただの高校生である。
私はすたすたと席に歩くと、三つ並んだ席の端に座り、荷物をどかした。敦賀が真ん中に、そして大宮がさらにその隣に荷物を置く。彼らはそれぞれ飲み物を買うと、席についた。
「さて、本題に入っていい?」
「どうぞ」
私がそういって頷くと、敦賀は鞄からあのUSBを取り出した。
「これ、見覚えあるよね?」
敦賀はUSBをテーブルに置くと、私をじっと見つめてきた。
「そうね。そのUSBなら、私のと同じタイプ」
私は極めて冷静にそういうと、紅茶をゆっくりと飲んだ。
「なるほど。そう来るんだ」
「他になんて答える余地があった?」
「たとえば、松蔭が俺の机の中に入れた、とか? 『大宮優は被害者だ』なんて書いた紙と一緒に」
私は敦賀の目を見て、そこからさらに先にいる大宮と目があった。彼は目を丸くしてこちらを見ているので、そもそも私がここにいる理由を、まだ敦賀から聞かされていないに違いない。
「へえ? それで、USBの中身はなんなの?」
私は好奇心を表情に乗せて、そんな風に尋ねた。
「ビデオと、音声だった。それが優の無実を証明した。というより、相手側が自分たちの自作自演だと認めた」
「良かったわね。私には関係ないけど」
証拠は残していない。人の証言は可能性としてはあるが、私は不思議と担任も舞ちゃんも信じられた。あの二人は、大宮の件で私に恩を感じていて、それを裏切られないと考えるタイプだからだ。
「……音声は、簡単に言えば相手側が自分たちの自作自演だと認める発言をしてるものだった。どうしてこんな発言をしたかといえば、優の“身内のお姉さん”がスーツ姿で学校に来たからだと警察で証言した。その人は化粧をしてメガネをかけていて、ゆるやかなウェーブのかかった黒髪の美人で、背は、ちょうど松蔭くらい」
あの三人が、私の背や髪型なんてろくに覚えているはずがない。おそらく敦賀が勝手に付け加えたのだろう。
「何をしに来たの?」
「その三人に、優の代わりに謝りたいと言ったらしい」
「いいお姉さんね」
「いねーよ、そんなやつ」
今まで聞き役に徹していた大宮が、ここでようやく会話に加わった。
「そうなの?」
私も大宮の家族構成を把握していたわけではない。むしろそんな人物がいない方が、彼の親族の混乱は少なくて良いとさえ思っていたくらいだ。
「兄弟はいねえし、親戚にも、俺の代わりに頭を下げるような奴はいねーな」
「じゃあ誰だっていうの?」
「それが分かれば苦労しねえ」
大宮は本気で分かっていないようだ。しかし敦賀はもちろん勘付いている。どうしてそう思ったのかは知らないが、私だと確信しているのだ。
「松蔭なんでしょ?」
だから敦賀はストレートにそう聞いてきた。すると大宮がある驚いて、私と敦賀の顔を見比べながら言った。
「は? おいおい。そんな喋ったこともねえ奴な訳……どうなんだ?」
「そんなわけないでしょう」
私は肩をすくめると、紅茶を口に含んだ。
「誤魔化せると思ってる? 石島千代から聞いたんだけど」
むせた。盛大にむせた。
口の中のものを噴きださなかっただけほめてほしい。変なところに液体が入って気持ち悪い。
担任も舞ちゃんも口を割らなかったが、どうやら思わぬところに敵がいたようだ。まさか舞ちゃんのお友達にバラされるとは。
「あの子と友達?」
「元同じクラス」
「あの子がわざわざバラしに敦賀に話しかけるなんて。そんな勇気ありそうには見えなかったけど」
そんな勇気があるくらいなら、かつての大宮の事件でもっとどうにかできなかったのだろうか。
「優の謹慎解除が決まった日に、校門前にいたんだよ。それで、何か言いたそうにこっちを見てるから、話しかけた。そうしたら、優が学校に戻ってこれたか聞いてきたんだ。でも、それっておかしいでしょ? 優が戻ってきたのは今日なのに、昨日の段階で、疑いが晴れたことを知ってるなんてさ。だから問い詰めたら、全部吐いてくれたよ」
「悪い奴」
あんなに気が弱い子では、敦賀に問い詰められたらかわすのは無理だっただろう。
「ちょっと待て。ほんとにお前が?」
大宮は身を乗り出し、敦賀は少し身を引いた。私はもうごまかせないと観念して、うなずいた。
「……そうね。偶然の目撃者として、できることをしただけだけど」
「偶然の目撃者?」
私は大宮の疑問に答えるため、たまたまビデオで風景を撮影していたら、そこに大宮とあの三人が写り込んできたと説明した。
「でも、それならビデオだけ出せば良かっただろ?」
大宮の言い分は正しい。私は本来なら、そのビデオを提出し、大人に判断を委ねれば良かったのだ。
しかし、私はあの音を早く取り戻したかった。疑いが晴れなければ、音楽室を彼に貸すのをやめるという恐れもあった。
「そもそも、なんでお前がスーツを着て学校に行ったら、あの三人が自白したんだ?」
「それは俺も気になってた」
「千代ちゃんから計画を聞いたんじゃないの?」
「いや、ただ松蔭と舞って子が噛んでるって話だけを聞いた」
「あの子、松蔭さんって呼んでたから、私だけばれたのか……」
舞ちゃんだけばれていないなんて不公平だと思ったが、敦賀はきっと舞ちゃんにはこんな追及をしないだろう。私はなぜか敦賀に目をつけられているのだ。
「それで? なんで自白したんだ?」
大宮の催促に、私はしばし悩んだが、素直に作戦を明かすことにした。隠すのは動機だけでいい。後は喋った方が、敦賀や大宮の納得感も増すだろう。
「スーツを着たのは、親族って言葉に信ぴょう性を持たせるため。放課後にあの三人が校門から出てくるところで、私は話しかけたの。謝りたいって、バカ丁寧に菓子折りも持ってね。そのあと私が学校の先生にも謝るって言って校舎内に入っていけば、きっと大宮や大宮の”お姉さん”のことをバカにしたくなるに違いないって踏んだのよ。自分たちの狂言に見事に騙されてるって喜んでね。予想通りあの三人は大宮をバカにする延長線上で、自分たちの狂言だということを自白した。自白というよりは、それなりにでかい内輪の会話だったともいえるけれど。それを、千代ちゃんが録音していたってわけ。うまくいくかどうかは五分五分だったけど、見事にはまってくれて助かった」
私はそこまでざっとしゃべると、立ち上がって鞄を持った。
「これで話は終わり。じゃあ、また明日」
そう言いながら、私は出口に向かって歩き始める。
「ちょっと待て。結局、なんで俺を助けたんだ?」
大宮の質問に、私は一度足を止めて、考えるふりをして見せた。そして、私は言った。
「これで”借り”は返したから。次はないわよ」
大宮と敦賀の反応は見ていない。私は自分の紙コップをゴミ箱に捨てると、そのまま店を出たからだ。