兄様は今日も大変〜忘れ物を届けよう
いみなしやまなしおちなしです。
………さて、困りました。
目の前には丁寧に風呂敷で包まれた小箱が1つ。
中には、本日使う為の書類や資料諸々が入っているのです。
お家に仕事を持ち帰るのを嫌がる兄様(僕の癒しの空間にこんな無粋なものを持ち込むなんてありえない!、だそうです)が珍しく昨夜、夜中までかかって何やら頑張っていらっしゃっいました。
なんで知ってるかって?
私はちゃんと定時には寝てましたよ?
ただ、ふと目が覚めて喉が渇いたのでお台所まで足を伸ばしたのです。
ついでに、兄様にもお茶を淹れて差し上げたんよ。
あくまで、ついで、です。
そして、あんなに頑張っていた結晶が、こんな所に置き去りです。
兄様は、先ほど出仕して、当然お家にはいません。
慌てていたから、忘れちゃったんですね……。
家令にでも頼んで持って行ってもらいましょう。中まで入れなくとも、門番にでも頼めばどうにかなるでしょう。
包みを手に執事を探しながら、ふと、1つの事が頭にうかんできました。
『容姿端麗頭脳明晰』
兄の世間での評価、です。
…………本当でしょうか。
どうにも、お家での兄様との様子と一致しないんですよね……。
ムクムクと湧き上がる好奇心。
私、まだ社交界デビューは勿論、学齢にも達していないので(我が国は数え10から15歳に学校に通い、16でデビューになります)あまり家の外に出ないのです。
たまに同じくらいの子供達を集めてのお茶会に参加するくらいです。
でも、これを届ける名目なら、兄様の所に堂々と行けるのではないでしょうか?
大事なお仕事の書類です。
もし、誰かに任せて無くしてしまったり、悪い人に盗られて悪用されても大変ですしね。
やっぱり、妹である私が直に手渡すのが1番安心かつ確実、でしょう。
どこかで、外に行きたいだけだろうって心の声が聞こえましたが気にしません。
コレは、大事な使命なのです。
ええ、私もう8歳ですもの。お届けものくらいわけないです。
そうと決まれば、準備をして速やかに出発です。
執事はどこにいるんでしょう?
渋る執事を説得し、お目付役兼護衛として家令を1人つけられ、歩いて行くというのを馬車まで出されましたが、それでもどうにか兄様の所へ行く許可をもぎ取りました。
途中、執事の冷たい目に何度か挫けそうになりながらも、なんとかやり遂げました。
私、頑張りましたよ!
「お嬢も物好きだね〜。執事とやり合ってまで行きたいもんか?」
馬車の向かいに座って呆れた顔をしているのは、我が家の家令の1人でライアースといいます。
孤児院から兄様の遊び相手として引き取られ、ついでに高等教育を受け兄様の侍従になるはずが、何故か家の護衛騎士に落ち着いている変わり者です。
気づけば側にいたので、もう1人の兄様みたいなもので、多少気安い態度も無礼な言葉もスルーです。
ちなみに兄様にもこんな感じですが、家の者は誰も気にしません。
そういえば、コッチも外での評価は高いんですよね。
なんでも剣を取らせれば王の近衛とも対等にやり合える、とか……。
天気のいい日は庭のベンチで昼寝してるような人なんですけど、ね?
「だって、兄様がちゃんとやってるか気になるんですもの。ボゥッとして柱にぶつかったり、お茶ひっくり返して書類ダメにしたりしてるんじゃないかって」
つぶやきは随分拗ねたような響きになってしまいました。
ダメですね。これじゃ、子供だって言ってるようなものです。
ライがニヤニヤしてるのが癪に障ります。
「まぁ、アレでも首席卒業して鳴り物入りでスカウトされてんだから、上手いことやってんでしょ」
「………わかってるもん」
兄様が優秀なのも、私の心配が杞憂なのも。
じゃなきゃ、あんなに沢山の人が兄様の事を私の耳にも入るくらい、たくさん噂するはずないですから。
でも……。
「ま、家であんな姿ばっかり見てたら気になるよな。良いじゃん、職場訪問。喜んでくれるさ」
俯いてしまった私の頭をポンポンと慰めるように叩くライ。
思わずそっぽを向いてしまいました。
天邪鬼でごめんなさい。
で、無事に兄様の職場について、現在コッソリと扉の影から兄様の仕事ぶりを見学しています。
どうしてこうなったんでしょう?
最初は、ちゃんと応接室に通されて兄様が来るのを待ってたんですよ?
と、そこにやけに顔立ちの整った青年がやって来て、兄様の仕事してる所を見せてあげようって誘われたんです。
名乗ってくださらなかったので確かではありませんが、同行していたライが呆れた顔をしながらも止めなかった事と目にも眩しい金髪に夏の空の様な濃い青の瞳になんとなく正体も分かったので、つい、お誘いに乗ってしまったんです。
………どうしたも何も、100パーセント自分の選択の結果ですね。
でも、念願の兄様の仕事っぷりが見れたので後悔はありません。
机に山の様に積まれた書類の束を次々と捌いている姿はお家でのボンヤリ振りが嘘みたいに素早く、噂の中の兄様も確かに私の兄様だったのだと納得出来る姿でした。
「どう?お兄様の仕事ぶりは?」
謎の青年(って事にしときます)にコッソリと聞かれて私はにっこりと微笑みを返しました。
「私の兄様は、やっぱり凄いですね」
何故か目を瞠った青年が楽しそうにクスクス笑いました。
「お兄様が大好きなんだねぇ」
「………ですよ」
人様に言われるとなんだか照れますね。
それでも、真実を否定するのも子供っぽいので、潔く頷きましょう。
頬が熱い気がするのは、きっと気のせいです。
「良いなぁ、妹。こんな妹、私も欲しいな」
そんなつぶやきとともに、ヒョイっと抱き上げられました。
驚いて声が出そうになりましたが、慌てて飲み込みます。
ここでばれたら、コッソリ覗いていた意味が無くなります。
「可愛い妹ちゃんに美味しいお菓子をあげよう。一緒にお茶しよう?」
え〜っと、ソレって人攫いの常套句ですよ?
まぁ、名乗ってもらってないとはいえ、この方なら酷いことをされる心配は無いでしょうけど。
う〜ん?
お断りして良いものかと悩んでいる間にも、青年は私を抱いたまま歩き出そうと踵を返しています。
が、その時。
「ウチの可愛い妹をどこに連れて行く気ですか?殿下?」
「あ、兄様」
後ろから声をかけられ、肩越しに見れば、いつの間にか扉のところに兄様が立っていました。
背中を向けていた青年が、クルリと回って兄様の方へ向き直りました。
「ちょっと、私の部屋でお茶でも飲もうと思っただけでは無いか。人聞きの悪い」
「人聞きも何も、よその娘を抱き上げて運んでいる時点でおかしいでしょう?」
なんでしょう?
笑顔で会話しているのに兄様がなんだか怖いです。
やっぱり、勝手に仕事場に来たことを怒っているんでしょうか?
しかも、淑女にあるまじき行為までしていましたし……。
伸ばした両手に抱き取られながら、兄様の瞳を覗き込みます。
「………兄様。怒ってますか?」
「そうだね。知らない人について行ってはダメだと教えていただろう?危ない目にあったらどうするんだい?」
少し怖い顔で、窘められてしまいました。
でも……。
「直接お会いしたのは初めてですけど、兄様に色々聞いていたので、知らない人では無いと思ったのです。ライも大丈夫だと言ったし…………」
殿下と呼ばれて否定しなかったので確定でしょう。
兄様とは1学年違いでしたが、生徒会で親しくさせていただいてたと、兄様が話してくださいました。
なかなか破天荒な方だったみたいですが、とても楽しそうに話してくださったので印象に残っていたんです。
兄様の仲良しだから、大丈夫だと判断したのですが、やっぱりダメでしたか……?
しょんぼりと肩を落とすと、ふぅ、とため息が降ってきました。
あぁ、困らせて仕事の邪魔をして。
私は何をしているのでしょう。
涙が滲んできて、慌ててギュッと目を閉じます。ここで泣いては、更に兄様を困らせるだけでしょう。
その時、ギュッと閉じた瞼にやさしい感触が降ってきました。
「怒ってないよ。心配しただけだから、そんな顔しないの。私のために忘れ物を届けに来てくれたんだろ?」
目を開ければ、兄様の優しい微笑み。
「兄様が昨日遅くまで頑張っていたものだから、もってきたかったの。心配かけて、ごめんなさい」
許された事にホッとすれば、我慢していた涙がポロポロとこぼれ落ちました。
「こんなに可愛い妹をなかすなんて悪い兄だな」
完全に面白がっている殿下に「うるさいですよ」と返しながら、兄様がハンカチで涙を拭いてくださいました。
「おいしいケーキがあるんだよ。応接室で食べよう。ライも待ちくたびれてるよ」
そのまま応接間に向かって歩き出す兄様の肩を慌てて叩きました。
8歳にもなって抱っこで移動は恥ずかしいです。
「自分で歩けます。降ろしてください」
「ダ〜メ。殿下には運んでもらってて、なんで私はダメなんだい?」
あっさり拒否されました。
運んで貰ってません。いきなり抱き上げられたんです。って、言ってもきっと聞いてもらえないんでしょうね。
「どうせ後数年もしたら本当に抱っこなんて出来なくなるんだし、今はもう少し甘えておくれ?」
至近距離でのおねだりはズルいです。
兄様のその顔に弱いって絶対気づかれてる気がします。
「しょうがありませんね。今だけですよ?」
しぶしぶという顔をしながら兄様の腕の中で大人しくします。
本当はこうされるのが大好きなのも気づかれてる気はするんですが、兄様はそんな事は知らん顔で嬉しそうに笑いました。
「シャナのスキなベリーのケーキがあるんだよ。お茶はシャナが入れてくれるかい?」
「もちろんです」
ベリーのケーキ!久しぶりです。
思わず顔がほころんでしまいます。
「さっき泣いたカラスがもう笑った」
殿下が失礼なことを言っていますが聞こえません。
て、ゆうか。
「「殿下はなんでついてきてるんですか?」」
あ、兄様とハモりました。
思わず兄様と顔を見合わせると、兄様が面白そうに吹き出しました。
「お前ら不敬罪で訴えるぞ」
しかめっ面も兄様の腕の中なら怖くありません。
そもそも、この方、多分この程度で怒る事は無いでしょう。
「………殿下の分もケーキ、ありますか?」
あるなら、一緒にお茶にお誘いしても良いですけど。
「シャナの分を1つ分けてあげれるなら足りる、かな?」
「………………ベリーの以外ならあげても良いです」
分けてって事は、何個かあるんですよね?多分、いろんな味を楽しめるようにと小さめのを沢山買ってきてくれてたんだと思うんですけど。
たっぷり沈黙の後、重々しく答えると、殿下の肩が落ちました。
「お前達の俺に対する考えが良くわかった」
分けてあげるって言ってるのに、なんですかね?
何と言っても、ベリーは譲りませんよ?
そうして、本来の目的であるお届けものの存在を思い出したのは、みんなで楽しくお茶をした後の事でした。
読んでくださり、ありがとうございました。
シャナ帰宅後の応接室。
「ところで、なんの書類だったんだ?」
「殿下が昨日急に私に押し付けたお見合い相手のまとめですよ。家柄から容姿、趣味特技に周囲の評判までまとめてありますので。良い加減、側室の1人も選別してくださいね」
「………妹かわいか「花畑が見たいなら早く仰って下さって良かったんですよ?(笑顔)」
「さて、仕事しようかな」
引きつった笑顔で足早に逃走する殿下。
舌打ちする兄様。