試合終了後
「師匠! あぁ……あぁぁっ!」
リングから担架で運ばれて控室に戻された相川は仮面の下で滂沱の涙を流すクロエによって迎えられるが、横になったまま彼は彼女に殺気を叩きつけてその場に留まらせる。
「来るな……殺すぞ……」
「な、んで……」
息絶え絶えになりながらそんなことを言ってくる相川にクロエは激怒する。しかし、傷に障ってはいけないので声をなるべく荒げないように、無理矢理抑えて今すべきことを告げる。
「師匠、今の状態分かってますか?」
「……分かってるに、決まってんだろ……ハッハッハ、死にそうだねぇ……」
「でしたら! 私たちの手を借りないといけないことも……!」
「黙れ……それ以上近付くな……」
怨恨の念が込められているのかと思うほど険しい顔で裏闘技場用のタクシーを呼ぼうとする相川。しかし、治療もしていないのに動くことなどクロエには考えられなかった。
「師匠! 何を考えてるんですか!」
「殺される位なら、死んでやる……」
「何を……? ……え? ……し、しょう……? それって、どういう……」
相川の言葉にクロエの理解が追い付いてしまったところでクロエは熱い液体が目から止め処なく流れて来るのを知覚した。
「わ、私が……私のこと……何だと……」
「タクシー来たよ! すぐ乗って! 此処の人最低だから救急車ダメとか意味わかんないことしか言わないの! ボクが運ぶよ。痛かったら言って!」
「来るな!」
手負いの野生動物のような状態になる相川。それを見て瑠璃は首を傾げた後クロエを見た。そして彼女から説明を受けると絶賛不機嫌になる。
「……ボクたちのこと、信用してないんだ。へー……それで、その怪我でどうやって動く気なの?」
氷点下よりも下回る視線を相川に向ける瑠璃。対する相川は目だけは異様にぎらつかせながら応急手当て的に固定された足を担架から下ろし、激痛に気が遠くなりそうになりながらも無理矢理立とうとする。
「なっ……バカ!」
「触んなって言ってんだろ!」
「うるさいバカ! 立てるわけないでしょ!? 頭もとっても大変なんだよ!? こけてたりしたらどうするの!」
「死ぬ。だからなんだ。そこを退け。邪魔だ。」
あんまりな物言いに絶句する瑠璃とクロエ。相川はバキバキに折れた手で無理矢理銃を持ちながらしばし近付いて来ないか警戒した後、近付かなさそうだと判断し立ち上がろうとしてふらつき、壁に手を当てて悶絶しながら立ち上がった。
それを無言で、音のない、単なる認識しているだけの景色として見ていた瑠璃たちだったが、血の滴る音と血痕、そして相川の体から聞こえる不気味な音で我に返り、瑠璃の目から光が消えた。
「ねぇ……本当に死んじゃうよ……?」
「どうでもいいから黙れ。喋るだけで疲れる……」
「そんな状態で何しようとしてるの……? どうしてそんなこと言うの……? 何でボクたちのこと信じてくれないの……? ねぇ……?」
本当に喋ることも限界に近付いてきた相川は今の所敵意も害意も悪意もなさそうな瑠璃たちとの会話の優先度を下げ、無視して壁を伝いながら歩き始めた。
「っあ……はぁ……」
しかし、少し歩いただけで相当な体力を使う。尻の辺りや腰の辺りには怪我がないことを少しだけ感謝しながら部屋の扉に近い場所に腰かけると瑠璃の呟きが嫌に明瞭に聞こえた。
「ボクが悪いんだ……だって、絶交とか意味わかんない事してたから。自分勝手すぎるもん。信用なくなるの当然だよ。死んだ方が良いよね? その前に何とかして仁くんは助けてあげないとな。何とかこの場だけでもいいから信じてもらわないと。仁くんに攻撃してもボクにメリットがないって信じてもらえればいいんだけど何か……そうだ! ボクの首切っちゃお! ボクに未来がなければ何をしてももう無駄って思ってくれるはず! 刃物あったよね!」
「…………は?」
壊れた明るさを見せる瑠璃に相川は聞き間違えかと瑠璃の方向を見る。そこには忘我の状態でその場にへたり込んでいるクロエと逝っちゃった目でハサミの刃を首に押し当てている瑠璃の姿が。
「あれぇ? 切れないなぁ……」
「まっ、待て瑠璃……何してるんだ……?」
「んー? 信じて欲しいからね~今頑張ってるのー!」
瑠璃の白く細い首から血が滴り落ちている。しかし、瑠璃は何故か嬉しそうに笑っていた。
「待っててね? こうしたら流石に信じてくれるよね? そしたらすぐに助けるから!」
「い、いい! 別にそんなことしなくていい! げっほえほ……取り敢えず、自傷は止めろ……」
「でも、すぐに病院行かないと……」
大声を出して折れたアバラが肺を引っ掻き、嫌な感触を感じながら激痛に顔を歪め吐血する相川だが、相川の肉体的な怪我より瑠璃の精神の方が結構ヤバい気がした。それに加えて助かったとしても遊神に殺されてしまっては何の意味もない。
「わ、分かった。一応信じる……運んでくれる?」
「……一応、なの?」
「は、早く運んでほしいから、自傷はやめてほしいかなぁ……」
本当に信じるということは嘘でも躊躇われたので相川はそこを濁して別の話題を突っ込む。しかし、頼られたことが増えることで瑠璃に輝く笑顔が戻った。相川は最悪殺されても後で呪い殺せばいいと自分を納得させて瑠璃の手に委ねられることになる。
「任せて! ボク、頑張る!」
「お、おう……」
クロエのことなど眼中にない瑠璃は相川に言われて自分と相川に仮面をつけると慎重に背負いつつ氣を流し込んで治癒促進をしながら振動や加速を一切感じさせない動きをしながらも猛然と移動を開始する。
(おぉ、こりゃ凄ぇ……あー血が流れてゆく……星屑のように……)
もの凄くどうでもいいことを考えながら血が流れる先を見ると忘我の状態のクロエが刷り込みのように相川の後ろを殆ど無意識の状態で着いて来ていた。そして一行は近くの総合病院……安心院の経営する病院へと運び込まれる。
「うっ……こりゃ、酷い……」
「すぐにオペの準備を!」
緊急搬送された先で瑠璃やクロエがケガの原因などについてなるべく詳しい状況を聞き取られ、相川は安心院に盛大に顔を顰められることになった。
「……君は……もう少し賢い子かと思ってたんだけどね?」
「少々ばっかし生き急いでましたね。反省してますよ。φモードを使う破目になるとは……」
返事など期待していない独り言の予定だったが、まさか意識があり、ましてや喋れるなどと思っていなかった安心院たちは驚いた。相川の最後の一文は誰にも聞きとられなかったが、反省しているという点だけは伝わり安心院は険しい顔をしながらも一応の納得はする。
「……ならいいが。安心しなさい。君のその、無茶な応急手当てのお蔭とは言いたくないが……事実としてそれと遊神くんが急いでくれたおかげで助かるだろうから……ただ、後遺症については……」
「お願いします。報酬については……」
「……そう言うことを気にしないで良い。先に治すことだけ考えて、今は眠りなさい。」
クロエからの事情聴取で常人に対する麻酔では効き目がないことが分かっているので常人では致死量の麻酔薬をぶち込んでからの手術が始まり、それは無事成功することになる。