方向転換
「……以上の点より実力は織り込み済みです。私はDクラス、相川 仁の特例Aクラス高学年進級試験を適用するべきだと思います。」
職員会議にて権正は教員たちの前でそう言い放った。それに対して学園長が訝しげな顔をする。
「権正先生、あなたは特Aクラスの担任ですよね? DクラスにはDクラスの担任に宇津木先生がついていて彼なりのやり方があると思います……宇津木先生が面談で相川くんに意思を確認した上で特例申請をしていないんです。あなたが口を挟むことではないと思いますが?」
「私は、彼の将来のことを考えるとあのまま終わらせるには惜しいと思い、口を挟まざるを得ないと思いました。」
学校長の言葉へ反論した権正の言葉に再反論するのは宇津木だ。彼はDクラスの担任としてクラス運営を頑張っており幾ら同僚とは言え自分のやり方にケチを付けられて面白いはずもない。
「権正先生……子どもたちに勝手な期待を押し付けてどうするんですか。子どもたちには子どもたちなりに考えた未来という物があるんですよ?」
「お言葉ですが、彼らはまだ未熟です。知らない世界もたくさんあるということは分かり切っていることで、今の狭い了見の中で終わらせるのは……」
「子どもたちの意見をないがしろにすると言うんですか?」
権正の意見に対して別の教員から批判が出る。権正はそんな同僚たちを見て思わず舌打ちをしたい気分になった。
「意見をないがしろにするわけではないですが……」
「でしたら、本人の希望進級通りのDクラスの試験を受けさせるべきかと。」
「ですが! あまりに惜しいと思わないんですか!? あの子はどう見てもDクラスで終わる才覚の持ち主じゃない……! あの子には私を超える才能が確実に備わっています。」
「先生、前期のクロエさんの時にもそう仰ったじゃないですか……」
両方とも、本当に逸材なんだよ! そう大声で言いたいところだが、前回と異なり周囲は完全に乗り気じゃない。いつもあまり発言しない教員も否定的な言葉で場を沈めるのだ。権正は本当に忌々しそうに相川のことを思った。
(あんのガキ……手ぇ回してやがるな……!)
通常であれば考えられないことだが、相川ならやりかねないことを権正は知っている。そしてその考えは正解であり、相川は賄賂に脅迫、懐柔とある程度だけだが手を打って昇級しないようにしていた。
場の空気は既に否定的で決定しており、それを動かすのは容易ではないと判断した権正は別方面から攻め入る。既に決まっていたことがあるから計画を止めない方が良いと言う話に持って行くのだ。
「……ですが、そうなるとドイツ語や文化を理解できる相川くんがいないということでクロエさんの特Aクラス進級は難しく……」
「あー権正先生。クロエさんの方からはDクラスの担任として、私が既に意見を聞いています。いつものようにあまり喋ってくれませんし殆どドイツ語だったので分かり辛かったですが、相川くんと一緒のクラスの方が良いと言うことだけは日本語ではっきりと意思表示してくれましたよ。」
「……それは……」
「権正先生、あなたが教育に熱心な先生であることは重々承知ですが……もう少し生徒の自主性に任せてみるのもいいのではないですかね?」
四面楚歌。権正は納得していなかったが多数決の結果大敗し、沈黙した。
「……よしよし。上手く行ったな……」
会議の結果を即座に知った相川は長い竹製の物干し竿を立て、その頂点で片足立ちになってバランスを取りながら笑った。それを見上げているクロエは何だか楽しそうだと自分も笑顔になる。
「ししょー、楽しそうですね!」
「んー? いや、面倒なことにならずに済みそうだからなぁ……」
相川は楽できそうだと物干し竿から飛び降りてクロエの隣に立つとその竿を持って横に寝かせる。そして家の中へと向かうとクロエもそれについて来た。
「筋トレですよね!」
相川の次のメニューについて先回りして言い、一緒にやろうと言外にアプローチをかけるクロエ。実際にいつもの流れであれば相川は筋トレに入るところだろうが、今回は違った。
「……いや、俺そろそろ技を熟練させるわ。」
「え? でも……」
「俺の筋力は現状のナチュラルの状態だとこの世界準拠には及ばないからな……もう少し魔力があれば体を変えられるんだが……それまで小手先の技術でもなんでもいいから取り込もうと思ってる。」
「そうですか……」
一緒に筋トレが出来ないとなりしょんぼりするクロエ。正直、クロエは相川の妙な動きをする武術が基本ベースにしているが、これ以上変化させるよりも基礎トレーニングで速さを求めたいと思っていたので方向性が違うようだ。
「力は足りないんだよなぁ……だから技を取りに行こうと思うんだが……特に柔の技。男の剛の拳は俺には厳しいな……」
「そんなことないですよ。師匠はちゃんと男らしいです!」
「まぁ男らしいというか男なんだが……先に筋トレからするか……」
結局、いつもの流れで筋トレをする相川。それに付き合うクロエだが、今回はいつもと異なり相川はクロエが食事の支度をするために早く終わらせるのとほぼ同時に終え、血脈の通りを良くする薬を飲み筋トレした箇所を理想の形に締め付けて猿轡を噛み準備を整えると氣を通しながら回復していく。
それを間近で見たクロエの顔から血の気が引いた。
「し、ししょ……これ……!」
帰ってくる返事はない。相川は相川で今いっぱいいっぱいなのだ。激痛にのた打ち回りたいところを堪え、歯を喰いしばっている相川はしばらくそのままで耐え続けた後、楽になって来た辺りで締めつけていた物を緩め、猿轡を外し息をつく。
「ふぅ……あぁ、そう言えば霊氣を大量に取り込んで神化してからは初めて見たのか……」
「だ、ダメじゃないですか! 危ないですよ!」
「何言ってんだテメェ。危なかろうが何だろうが必要なことならしないといけないだろうが。」
相川にバッサリ切られるもクロエは納得いかない。相川の行っているトレーニングは間違いなく寿命を縮める。いや、その前に一歩間違えば四肢欠損の恐れがあるやり方だ。そんなものをクロエは断じて認められなかった。
「やめなさい。危ないです。」
「……あ?」
真面目な顔をして怒っていますという表情になりながらクロエが固い声で注意すると笑っていた相川の目が剣呑な光を宿す。しかし、彼はそれでもまだ口は笑っていた。
「危なかろうが何だろうが知らん。俺が死のうがどうだっていいだろ?」
「良くないに決まってます。何言ってるんですかあなた。馬鹿だったんですか?」
「……どうだって、いいだろ?」
二度目の問いかけは有無を言わせない斉一性の圧力を伴った物だった。しかし、クロエはめげない。首を振って身近な人を亡くす悲しみを思い出し涙目になりながら拒否する。
「どうでもよくないです!」
「……気付かないかなぁ? 俺、お前の意見とか求めてないんだけど……確認で訊いてるだけだよ? まぁ面と向かっては言い辛いだろうから俺の方で断言しよう。俺はどうでもいい。」
「Nein! Schaf!」(ちがう! バカ!)
「……Na und? Was geht dir das an?」(それがどうした? お前には何の関係もないだろ?)
「うぅ……」
クロエは悔しくて泣きそうだった。しかし意地でも泣きたくないと相川を睨むことでそれを誤魔化す。それに対して相川は筋トレ後のゴールデンタイムを逃すことはできないと急いで食事の準備に取り掛かり以降はこの話題について触れることはなかった。