瑠璃と妙の1週間
「ん~……あふ……ぁ、ママ……と……」
「しーっ。瑠璃ちゃん。この子、起きちゃうから……」
「うん。」
瑠璃が目を覚ますとそこには妙がいた。そしてその向こうに相川が泥のように眠っている。
それでも、瑠璃ですら彼の眠りは浅い物だと見て分かった。
「……瑠璃、お腹空いた……」
「そうねぇ……じゃあ、ご飯作るから瑠璃はこの子が起きてビックリしないように見ててくれる?」
「うん!」
大きな声を出してしまってすぐにしまったと口を抑える瑠璃。妙もゆっくり相川を見るが彼はまだ眠っていた。
「セーフ……」
「……よろしくね?」
小声で会話して妙はこの場を離れた。瑠璃はそっと相川に近付いてその寝顔を見る。
「……?」
じっと見ていると何だか体がざわざわしてもっと見たくなるという不思議な状態になる瑠璃。
そんなことをしているとすぐに時間が経過し、妙がサンドウィッチを持ってこの場にやって来た。
「……まだ起きてないねぇ。」
「ママ、仁くん。疲れてるから起こさないでね?」
「うん。わかってるわよ?」
食べながらじっと相川を眺める瑠璃。そんな瑠璃に妙は尋ねる。
「相川くんがどうかした?」
「んーん……何でもない……」
声を掛けられるとすぐに前を向いて食事をしながら妙を見て笑う瑠璃。声が大きくなると相川が起きてしまうかもしれないので小声で会話する。
「ママ……瑠璃ね、仁くんと友達になったの。初めてのお友達でね、それでパパもママも助けてくれたんだよ? 凄いの。」
「そうなの……凄いねぇ?」
「何か、背中からバーッて出して、パパと瑠璃をここまで運んでくれたの。それでねぇ……」
他愛ない会話。しかし、余命わずかの妙からすれば掛替えのない時間だ。いっぱい喋ってそして笑って、抱き締めてあげたい。
「仁くんが同じ幼稚園だったらよかったなぁ……」
「……ママが、何とかしてあげるね?」
「ホント!? ありがとうママ!」
喜ぶ娘の顔。妙はそれに胸が痛む。しかし、それを面に出さないようにして話を続けた。
「ご馳走様でした。……仁くん起きないからこれ、ラップしとこ?」
「そうね。瑠璃は優しい子ね~」
撫でる。褒める。このようなことすら後1週間程度しかできない。その事実が腕の力を強めてしまい、瑠璃が苦しいよぉ~と照れるように言うまで自分では気付けなかった。
「……ん? ここは……」
「仁くん!」
「…………あぁ、そうか。……何で俺はベッドに……? 【守護方陣】は……?」
そうしていると相川が起きたようだ。彼は訝しげに周囲を確認しつつベッドから降りて首を捻る。
「……あぁ、何か良く分からんが……世話になりました。それじゃ。」
「え……? どこ行くの……?」
「病院。色々な取引の結果家が見つかるまでそこで暮らしていいってよ。それで割引……」
「お、お父さんが帰って来るまで一緒……」
瑠璃の狼狽ぶりに妙が動いた。
「あの、戸籍などの手続きは病院ではなくここで行うので……」
「ん。そっか……いかんね。疲れてるから頭回ってないわ……」
露骨に安堵する瑠璃。その気配を辿りつつ妙は確信する。
「頭回ってないな……駄目だなぁ……よし。取り敢えず飯を……」
「はい! これ!」
瑠璃は元気に相川にサンドウィッチを渡すが相川は首を傾げる。
「……食べていいの?」
「食べていいの。」
「じゃあどうも。いただきます。」
相川の食事風景を見て妙は何とも言えない顔になる。早く、噛まずに栄養摂取として食事をする姿は一刻も早くこの場から去ろうとしているように見える。
「ご馳走様でした。」
「……はい。お粗末様でした。」
「シンデレラごっこしよ! ママは魔法使いさんで、仁くん王子様。瑠璃シンデレラね!」
「……まぁ、いいけど……」
相川はこれからのことに付いて考える予定だったがキラキラした目でそう言われると無下には出来ずにその場に残る。
「じゃあ、瑠璃お城に行く!」
「では魔法使いが馬車とドレスを準備しましょうそれっ。」
「ありがとう魔法使いさん! 王子様、踊りましょう!」
「……ボレロかワルツにして。俺、今あんまり動けないから……」
そう言って相川は踊ろうとするが、当然のことながら瑠璃は踊れない。しかし瑠璃は遊びを終えたくないので喰らいついた。
「け、剣舞ならできる!」
「今の俺じゃ重くて無理……」
「じゃあ、演武!」
「円舞ね。」
踊り始める両者に微笑ましい気分になる妙。瑠璃は相川とのやり取りで疲れたのかお昼寝に入り、相川は起きたまま妙を見る。
「……で、昨日寝てしまって言えなかった諸注意を。」
「はい。」
「常人レベルにしか動かないでください。それと、この世界の氣の概念について今の所俺はよく知らないんで使うとどうなるか分かりません。」
「うん。」
「それで報酬の件ですが……」
相川は首を捻っていた。
「調べた結果、かなり有名な団体の割に財産が少ないみたいなので金ではなく他のモノで一部払い戻して貰います。最初の条件はどうなってます?」
「えぇと……戸籍は、おそらく安心院さんが出生証明書になる書類を弄ってくれています。それと、現実的に暮らしをしていれば多少不備があっても手続きさえすれば他の書類も通せるので……瑠璃と同じ幼稚園で周囲に認知されることから……」
相川はこの世界のことは良く分からないので取り敢えず頷いておいた。
「まぁ、方法は問いません。それで、借用書へサインを。1000万で。残り200万は常識を教えてもらうことにしますので。」
「……常識……言われてみると、難しいですが……瑠璃との時間を優先してしまいがちになると、申し訳ないです……」
「その辺の邪魔はしませんよ。俺は自然発生で生まれましたが、親子の時間は大事と言う事実は知ってますからね。」
涼しい顔をした相川の発言に妙は何も言えなくなる。気まずくなった雰囲気と妙の思考を何となく察した相川は気にしないように念を押した後、席を立つ。
そして美しい母娘の他愛ない、しかしかけがえのない日常が始まった。時にこの世界へと適応するために情報収集に勤しむ傍観者を伴い、
たくさん話して
たくさん遊んで
たくさんハグして
たくさんキスをした。
その最中にも遊神流にかかわるたくさんの人々が死んでしまった報告を受け、瑠璃や妙はその中でも平穏を維持できるように努めて明るく振る舞う。
相川はそれを見つつ魔力の減少を感じ、その報告を義務的に妙に入れていた。
そして、1週間が経った。
相川はその時が来たことを感知し、先に妙に告げておく。
「予想通り、魔力切れです。」
「……凄いわね……本当に、これから死ぬとは思えない程、いつも通りに動けるけどそれでも……?」
「えぇ。間違いなく。」
「そう……相川くん。お願いがあるの……」
相川は面倒臭そうな顔をした。
「……瑠璃のこと、少しの間で良いから……見守っていてくれないかしら……?」
「少しで良いんですね? 2,3分くらいでいいですか?」
相川の端的な返しに妙は苦笑する。短い間の付き合いだが、相川の性格が何となくつかめた上での発言だ。
「……精神的に落ち着く間は見て……いや、支えてあげてくれない……?」
「……それはあなたの夫さんに頼むべきでしょうに……」
「……あの人は……不器用だから……お願いしますね?」
一方的に願いを告げて妙は瑠璃の下へと移動する。相川は今の話に微妙に納得がいかなかったが、別に何かが減るわけでもないので一応了承しておく。
瑠璃の下へと行った妙は瑠璃の前に正座して話をする。
「瑠璃……ママは、相川くんのお蔭で一命を取り留めていました。」
「…………はい。」
瑠璃は妙の雰囲気を感じ取り、外用の言葉遣いになって頷く。その目は既に泣いていた。
「この1週間で、出来る限りの愛情を、注がせてもらったの。」
「うん……」
「まだ、全然足りないけど……ホントは、もっといっぱい愛して、あげたかったけど……瑠璃……ごめんね……私の可愛い瑠璃……瑠璃って名前はね、宝物って意味を込めたの……あなたは間違いなく、私の宝物だったよ……」
「はい……」
「あなたを産めて、私は幸せだった……」
「ママぁ……」
妙の目から涙が零れ、瑠璃も正座から妙の方へと駆け寄り泣きながらきつい抱擁を交わす。
「瑠璃、相川くんのこと……よく聞いてね。」
瑠璃は無言で妙を抱き締める。
「私が、言ったこと忘れないのよ?」
「うん……」
「……大好きよ、瑠璃……」
その日、妙は相川の予想通り、逝去した……