ヴァレンタインデー
「? 皆なんかそわそわしてるねー? 敵襲でもあるの?」
瑠璃が部屋から学校に出てきて、抱いた感想にクラスの大半が脱力した。
相川が魔力の一部を吸収したカルト教団焼き討ちの事件から既に4か月が経過していた今日。相川が来年の扉の下見のために頑張って準備をしている間に時は流れて世間は2月14日。ヴァレンタインデーという日になっている。
「瑠璃ちゃんバレンタインデー知らないの?」
「あ、お父さんにチョコレート上げないといけない日? 忘れてた……」
クラスの女生徒から言われて気付いた瑠璃。しかし、そこには何か齟齬があるようだ。
「お父さんだけじゃなくてほら……好きな人にチョコレートあげる日だよ?」
「……え?」
瑠璃が固まった。それを見て話しかけて来た女子生徒は何か間違えたことを言ったかと自分の言葉を思い出しつつ首を傾げる。その間に瑠璃は復活した。
「そ、そうなの? チョコレートあげないといけないの? 準備してないよ!?」
「べ、別にあげなくてもいいよ? 好きな人がいなかったら……あ、でも友チョコとか色々あって交換とかあるかもしれないから買っておいた方が良いかもしれないけど……」
「バレンタインって、そんな日なの?」
瑠璃は焦り始めた。友達同士でも交換するらしい日なのに、何故誰もそんな大事なことを教えてくれないのか。因みに今年のヴァレンタインデーが月曜日なことから去年、一昨年はこの日に外に出ておらず遊神による情報統制が行われており瑠璃は父親以外の誰にもチョコレートをあげていない。
(……何で仁くん何も言わないのさ……何か言ったらよかったのに!)
瑠璃は相川の所為にした。去年のこの時期、相川は変な藁人形を作っており忙しいと瑠璃と遊んでくれなかったのだ。これでは仮に渡そうと思っていても渡せなかった。
しかし、それは逆に好機だ。瑠璃が忘れていたのではなく、相川が来させなかった。つまり、今日あげれば挽回は利く。
「……今日の授業はなし! お休みするね!」
「あ、誰にあげるの? やっぱり奏楽くん? 奏楽くん格好いいもんね? 私もあげようかな~」
瑠璃に話しかけていた女子生徒は話しかけた本題である牽制を行う。それに対して瑠璃は了解とばかりに頷いた。
「そうするといいよ!」
「でも、いっぱいあげ過ぎると逆に迷惑になるかもしれないし……奏楽くんモテモテだしさぁ……瑠璃ちゃんもあげるんでしょ?」
「ん~いっぱい貰って迷惑ならボクは遠慮するよ。ボクの分もあげてくれたら嬉しいな。」
牽制成功! 女子生徒は笑顔で瑠璃を見送った。
聞き耳を立てていた奏楽は項垂れていた。
瑠璃が向かった先は売店だ。上級生たちや同級生たちの猛者たちが集う中で瑠璃が現れると妙な緊張感が発生し、その場がモーセの通る海のように割れる。
「? まぁ空いてるならいっか……ごめんなさーい! チョコレートありますかー?」
ざわめく購買部。急に身だしなみを気にし始める男性諸君たちのことを瑠璃は変なのという感想を抱きながら見て売店のマダムからチョコレートを買う。
「チョコレート、今日はバレンタインだからねぇ……義理チョコ用のから本命用のまでたくさん準備してあるよ!」
「ぎり? ほんめー? 好きな人にあげるのはどれがいいですか?」
瑠璃の背後から熱気が上がる。さっきから鬱陶しいなと瑠璃は微妙に不快に思ったが、気にしないことにしてマダムの返答を待っているとマダムは快活に笑っていた。
「アッハッハ! いいね! まぁ、好きって言ってもどれくらいか「世界で一番好き。」……お……そ、そうなの……最近の子は早いねぇ……なら手作りの方が……いやでも、買った方が良いかしら……?」
会場のボルテージが最高に跳ね上がる。瑠璃はもう気にしないことにしてまずはチョコレートの種類を聞いてみた。
「……難しい……」
「まぁ……贈り物は金額じゃないし、気持ちが籠ってればいいってことさ!」
「申し訳ない、失礼する! 1年A組の遊神さんだね?」
「え? あ、そうです……」
瑠璃が悩んでいる所に一人の美男子が通りかかった。警戒する瑠璃に笑顔を見せた少年はその笑みのまま告げる。
「まぁそんなに警戒しないで……それより、君、僕が売店にあるチョコレートの内、君が好きな物を買うからそれと別のモノでいい……いや、もうそこの駄菓子で良いから下さいお願いします! 勿論代金は両方僕が払います!」
「え……? それ、何の意味があるの……?」
「遊神さんからチョコレートを貰った事実が! それだけで10年は生きていける!」
瑠璃はドン引きした。言っている意味が分からないが、取り敢えず何となく目の前で土下座されても気持ち悪いと思った。しかし、周囲はそうは思わなかったらしく後続者が続出し始める。
「売店のチョコレートを買い占めるので3円チョコだけでいいのでください!」
「寧ろ現金をあげるから今俺が食べてるチョコレートを義理チョコで良い! 遊神ちゃんがあげたことにしてくれ!」
「何? 何? 何なの?」
「あ~……お嬢ちゃん、人気者みたいだけど早く買ってお逃げなさい! ここは私たちに任せるのよ!」
「う、うん……?」
何か変な状態になって来たので瑠璃は取り敢えず一番高いのが一番いいのだろうとそれを買って売店の中から裏口を使って逃げる。向かう先はD組の所有している林、その主の家だ。
「何だったんだろう……ま、まぁそれより急がないと……いっぱい貰ったら迷惑らしいから……ボクのをあげないと!」
高速移動する瑠璃。果たして目的地に着くことになるがそこでクロエに出会う。
「…………あ……」
「……どうも……仁くん、家にいますか……?」
微妙な緊張が生まれる。しかし、それはすぐに止まった。
「知らナイデス。瑠璃さん、知ってるありマスか?」
「ボクだって知らないよ。お家に入れて。中で待つから……」
「中、藁いっぱいアリマス。入る大変デス……」
「……?」
瑠璃はクロエが言っている意味が分からなかったが、一先ず入ることを止められたわけではないので玄関の扉を開き……閉じた。
「……何?」
「藁、デス……何か、昨日お休みでししょー居なくて、藁来たありマス……」
「……昨日からいないんだ……」
藁には触れない方向で行く瑠璃。丁度その時だった。木々が揺れ、何かが高速で飛来したかと思うと瑠璃の目の前にある家の2階へと消えて行った。
「あ、帰って来た……」
「デスね。お帰りなさいませししょー様~!」
「……何か色々間違えてるぞ? まぁ一応ただいま……」
碌に見えていなかったが、二人はそれを相川と断定。そしてそれは合っており、相川がベランダから顔を出して返事をし、すぐに部屋の中に消えて行った。それを二人が呼び止める。
「何してるのー?」
「藁人形作ってる。今年は原料にこだわってみた。昨日から魚沼に行ってな……おかげで時間かかって今から急ピッチで作らないといけないが……うむ。今年は良いモノが出来そうだ。」
ちょっと何言ってるのか分からなかった。
「今日ねーバレンタインなんだよー? 知ってるー?」
「ししょー! チョコあげるデスよー!」
ヴァレンタイン、チョコレート。相川は二つを関連付けることなく口を開く。
「……あ、チョコレートで思い出した。そう言えば冷蔵庫にケーキ作ってあるから食べていいよ。最近特集組まれてたから何となく一昨日作りたくなって作ったから。」
「おー! いいの? 瑠璃いっぱい食べるよ! 藁邪魔……」
「デス……」
藁が邪魔。燃やそうかと思った。しかし、恐らくそんなことをすれば相川に怒られる。仕方がないので瑠璃たちも相川を手伝うことにした。
「ねー仁くん~藁人形、瑠璃たちも作ろっか~? これじゃお家は入れないよ~」
「ダメだ。今日は折角の負の温床の日……この日こそ俺も頑張らないと。」
「何でそんなの作るデス? ヤパーナの習慣デスか?」
「いや……流石に俺と一緒にはしないで欲しいと思うぞ……まぁ簡単に言えば怨念も氣の一種で、それを集めて藁で濾過してその中に入れてある小瓶に詰めれば、色々な用途に使えるから集めてる。」
「へ~……」
瑠璃からすればどうでもいい。チョコレートを渡しに来ているのだ。この場所には誰も近付かないとはいえ、妙な気配も感じる。
「……仁くん。窓際、危ないからね?」
「ん? 石でも投げ込む気か?」
「何でそんな酷いことすると思ったの? ボクが今から飛んでくの。」
「……ちょっと待て。」
そう言われた時には瑠璃は既に助走を付けに離れていた。相川は藁人形を作る手を止めて急いで罠を解除する。それが終わると同時に瑠璃が突っ込んで来た。
「受け止めてー!」
受け止めてもらえることを一切疑っていない瑠璃の目。相川は一瞬後方を確認し、そこに藁人形があることを認めると一歩前に出て瑠璃を抱きとめた。
「えへへ~はい、チョコレート。」
「……どーも。お返しは下にあるケーキでいいか?」
「うん!」
目的を果たすことが出来た瑠璃はご満悦で藁に封鎖された道を通るのを諦め、相川の部屋でリラックスし始めた。