1年生折り返し
運動会という前期の巨大イベントも終わり、テストも恙なく進んで行く相川。今日も別に悪いことはしていないのだが権正先生による柔の拳の補習指導を受けて帰宅するとクロエが食事の準備を始める。
「きょー、ご飯作りマス!」
「おー……じゃあお小遣いだな。はい100円。」
「頑張る、デス!」
材料や調味料は相川が買っている物でどれを使っていいか尋ねてからクロエは料理を作る。見ていると危なっかしいが、それでもちゃんと作ることが出来るので相川はそれを任せてシャワーを浴びに移動していく。
「……最近、何かやたらと家事の手伝いするが……何か金使う予定でもあるのかねぇ?」
言ってからふと掛言葉になってるなと思ったがそれは思考のゴミ箱の中にダンクしておいて最近のクロエの様子について考える。やってることも言っていることもおかしいがそれでも彼らは小学生。通常のバイトなどは出来ないのでクロエがお小遣いが欲しいと思ったら相川の手伝いをして稼ぐしかないのだ。
「……ま、俺には関係ないか……」
シャワーのお湯も暖まったところで相川はそう呟いて風呂に入って行った。
そして夕食後、復習と宿題のためにクロエと二人で勉強会を開く。とは言っても、相川の方針で勉強中は会話をせずにどうしてもわからないことがある場合にのみ口を開くことになっているのでただリビングで集まっているだけだ。
(ふむ……神化か。この世界から出るにはその辺が何か鍵になりそうなんだよなぁ……でも、小学校で習ってる範囲だけの情報だと俺、これもう終わってるんだよなぁ……)
武術の目標という項目を見ながら相川は心内でそう呟く。身体を十分に鍛え、氣をよく練ることが出来たのちに訪れる境地【神化】。その境地を踏破すると自在に氣を操り、体内のバランスもコントロールできるようになるため食事や排泄行為などを必要としなくなるなどの話が載っている。
(……段階的に瑠璃も何か半神化とか言ってたな。)
半神化は体の中に入る不純な物質を氣で消却することで固形物が体から出ることがなくなり、匂いも変わってくるなどの細やかな変化が書いてあった。
しかし、その辺のことは相川はテスト以外には使わなさそうなので思考を一度別の方向に向けることで休憩代わりにする。
(この氣っていうのは物質かエネルギーに分別される少し前の未分化な状態でエネルギーに近いモノという解釈になりそうだな……魔素も未分化のエネルギー物質だが氣よりも物質に近い状態で……俺の考えが正しければ互換性を生み出すことが出来なくはなさそうなんだけどなぁ……)
相川的に氣と魔素はかなり近いと思う。しかし、それを試そうにも無理がある。
(……何か30歳まで童貞を貫けば魔法が使えるとか言う話もあるんだが……流石に魔法は無理だろうからガセだな。使えても魔術だろ……まぁそれだけあればやりようはあるんだが……生憎、魔法どころか魔術使ってる奴も見たことないんだよなぁ……)
「ししょー、ししょー」
相川が思考の海を泳いでいるとクロエがノートを持って座っている相川のことを見上げていた。仕方がないので相川は考え事を中断してクロエに応対する。
「あん?」
「かんじー、分かるないデス。」
「あー漢字か。どれ?」
漢字の読み書きはまだ先取り的には教えていないので小学1年生、真っ新に近い状態のクロエに相川は漢字とその意味を教え、手を持って文字を書かせていく。その復習が終わる頃にはクロエもそろそろおねむの時間が近付き始めたのでシャワーを浴びるように言って相川はリビングで一人になる。
「……さて、どうしたものかね……」
(魔力がなさ過ぎて何も出来ん。魔力そのものの扱いを忘れたらどうしようか? 似たようなのは氣と血脈の循環で内功を高めることくらいか? じれったいねぇ……)
一応、存在している内臓のような物を強化し、今日の終わりに軽いトレーニングとダウンを行ってからクロエの入浴中に寝室へと移動し、寝室にある机に乗っている赤い表紙の専門書を開いた。
最後に寝る前にする読書だ。この世界のごく一部で異常なまでに発達している氣という概念について講義の資料を見ながら考える。
(……氣ねぇ……経絡を流れる力であり鍛えられた鋼の如く体を硬くすること、春の風の如く傷を癒すことを可能とする。ただし、その流れを閉ざされた場合はその力を用いるに能わず。つまり、欠損したらアウトだけどそれ以外なら大体何とかなるっていう意味不明なことを言ってるんだよな……)
理論は不明。そういう物があり、体を鍛えると何となくそれがあることが認識で来て扱うようになる。そしてこうなれば使えないという説明をされているだけで本質は全く分からない。
(……これがもう少しわかれば魔素に変換できるかどうかが分かるんだが……)
「ししょー! 上がったありマスよ~!」
溜息をついて本を閉じようとしたところで背後からクロエが飛びついて来て圧し掛かる。そろそろ夏に入ろうとするこの時期に熱い塊がくっついてきたことに相川はイラッと来た。
そのため、湯上りで石鹸とシャンプーの香りが混じって何とも言えないいい香りを指せているクロエをベッドに投げ飛ばすと立ち上がって宣言する。
「風呂入って来る。お前はもう寝ろ……」
「涼しいありマース!」
「……パジャマのボタンはちゃんと上の方まで締めるんだぞ?」
「暑くなくなってデス!」
相川が「じゃあそれでいいから戻って来るまでにはちゃんとしてるんだぞ?」と告げて寝間着を持って寝室を後にするのを見送ってクロエはのそのそとベッドから移動して相川が読んでいたらしい分厚い本を開いてみる。
『おぅ、難しい……何でしょうこれ?』
しかし、開いて2秒で断念した。そっと元の位置に戻すとクロエはベッドで仰向けになる。横の方向に倒れてもまだ余りある大きなベッドの上で天を仰いだクロエは静かに考える。
(……瑠璃さん、欲張りですね~……あのFotze……何で彼氏さんいるのに師匠に手を出すんですかね。本当に邪魔だなぁ……)
心内で今日の特別指導の時にも自分のことを差し置いてずっと相川に絡んでいた瑠璃のことを思い出して苦々しい気分になるクロエ。
因みにFotzeはかなり酷いスラングだがクロエが元々知っていたわけではなく相川が教えた単語だ。相川は笑顔で教師をドイツ語で罵倒していた時にクロエに尋ねられて正直に答え、俺は何を教えているんだろう。と自己嫌悪した。
(師匠は私のなんだから! あ~そう言えば、何か海とか言うところに連れて行ってくれるらしいけど楽しみだなぁ……)
訓練の風景を思い出すクロエ。相川が瑠璃にもうすぐ夏休みだから海で遊ぼうとせがまれ、断ったがそう言えばクロエは海で遊んだことはあるのかと尋ねられて首を傾げると連れて行ってくれると言ってくれた。それが楽しみだ。
(……でも、瑠璃さん邪魔ですねぇ……はぁ。明日からも盗られないように頑張らないと!)
決意新たにクロエはベッドの真ん中でうつらうつらし、そのまま眠りの苑に落ちて行った。
そして風呂から上がった相川は邪魔だとクロエをベッドの隅に追いやってその殆どを占領して同じく睡眠を開始した。