教育基本法第33条
休暇明け、相川にとっては納期明け。武術小学校には多くの子どもたちが帰って来ていた。中には今日まで旅行などという理由で休みの子どもたちもいたが、それでも学校が賑わっている。
「……放課後なのにねぇ……爆ぜればいい……」
「どーしたの?」
「……何でDクラスなのに特別訓練とか言う補習に参加させられてるのか、非っ常に遺憾でな。思わずテロ行為を行いたい気分なんだ。」
「仁くんが強いって先生も分かってるんだよ! 早く特Aクラスに来てよ~」
現在、相川は瑠璃とクロエと一緒に特別訓練と言う名の体捌きの補習を行っていた。この三人だけという理由は使う技が似ているということが理由である。奏楽や他に有望視されている男子たちは剛の拳として別の場所で訓練が繰り広げられ、ここにいるのは柔の拳ということになる。
瑠璃の技を相川が実際に受けたり視たりしながら解釈してそれをクロエに教えているのだから型が似ているのは当然だが、相川的には後ろ指を指されている気がしてその指をへし曲げてやりたい。
「……はぁ。帰って薬剤の調合したいのに……折角面白い、門外不出の精力剤が……」
「相川、口じゃなくて腹筋をもっと動かせ。」
「はぁ……」
監督している先生に相川は更なる溜息をつく。彼は相川が入試の際に全力で防御に回るしかなかったこの学園で最強と噂をされている若手の先生だ。尤も、30歳の独身男性だが。
「1500~っ!」
「よし、遊神は終わってよし。」
「ふぅ……えへへ。仁くん、ボク、汗流して来るからそれが終わったら戻ってくるからトレーニング終わっても待っててね?」
「……多分、終わってないと思う……」
隣で動きたくないと呻くことしか出来ていないクロエを見ながら相川はようやく1000回を終わったところでセットを残り2つとし、休憩に入る。因みに現在の相川の筋トレは額当て3キロ、リストウェイト5キロを巻いて手を頭の後ろで組んだ状態で行う腹筋となっている。
しかも、5回反動を使うと1回増える仕組みになっており、相川は回数的にはほぼ終わりに近い回数だが反動を使って腹筋をしまくっていたペナルティで200回プラスされている。そしておそらく反動を使うだろうなという予めの考えによりおそらく残り1000回と自己解釈していた。
クロエは、額当て3キロ、リストも3キロの状態で100回で苦しんでいる。ペナルティを割り引くと現在76回か。流石に可哀想だと思ったのかこれには先生も150回まででいいと桁を一つ減らしてくれた。だからと言って、クロエに出来るのかどうかと言われれば疑問だが。
因みに瑠璃さんは全ての重りを5キロでやって平然としていました。相川くんは何だあいつと引いてしまいました。
瑠璃がシャワー室から道場へつながる廊下へ出てみると、そこにはCクラスの副担任である中年の教員がやる気なさそうに佇んでおり、瑠璃を見るなり周囲を確認してポケットから手を出すと笑みを浮かべて近付いてきた。
「やぁ、瑠璃ちゃんだね?」
「はい、そうです。宇城先生。」
瑠璃が笑顔で応対すると宇城は顔を歪めて笑い、瑠璃の頭を撫でる。
「僕のことも覚えていてくれたんだ。瑠璃ちゃんは偉いなぁ~」
「えへへ、ありがとうございます。」
瑠璃は自慢の長い黒髪がぼさぼさになってしまうなぁと思いながら宇城を見上げる。彼は瑠璃の視線を受けて手を止めて尋ねてきた。
「ところで、こんなところで何してるの?」
「特別訓練が終わったので、シャワー浴びてました。」
「へぇ……この後は?」
「まだ特別訓練してる友達がいるから戻りますけど……」
何となく瑠璃は宇城の視線が絡みつくようなものになっているのを感じるが、深くは考えずにそう答えて特別訓練をしている場所の方を見る。宇城は続けて尋ねた。
「そのお友達の女の子は誰かな?」
「女の子? クロエちゃん……」
「そっかそっか。瑠璃ちゃんはクロエちゃんと一緒に頑張ってたのか! 偉いねぇ! 疲れてないかな? 頑張ったご褒美にマッサージとかしてあげるけど?」
「マッサージ……」
「とっても気持ちいいよ? でも、皆にやるには時間がないから内緒でね? 出来るかな?」
「気持ちいい……」
瑠璃は俯いて考える。
「涼しい部屋で、しっかりマッサージをしないと。怪我とかしたら怖いからね? 太腿とか……」
「怪我したらダメだから……」
瑠璃の細い太腿に宇城の手が伸び、触れる。その瞬間光が炸裂した。
「ぅ?」
「な、何だ!?」
「何だって訊かれたらそうだね……撮影班かな。」
「あ! 仁くん、終わったの?」
瑠璃はその場に現れていた相川を見てパッと明るく笑うと走り寄って行った。相川はその浮き足を無言で払うとその場に瑠璃を転倒させて何らかの液体を顔面にぶちまけた。
「ふぇ? な、何するの!?」
「気付け。いや、珍しい薬の匂いがしたから来てみたが……瑠璃、お前アホの子? 何でそんなに警戒心がないの? 死にたいの?」
「気付け?」
瑠璃は相川の言葉にぽかんとしている。それに対して相川は鋭い視線で何らかのアクションを起こすであろう宇城を見据えていた。
「思考力減退剤。まぁ今回は香だったが……児童ポルノに思いっきり引っ掛かる案件だったな。」
「お前は……瑠璃ちゃんの周囲をうろついていた……」
「カメラマンだ。さっきの淫行は全て録画し、決定的瞬間はちゃんと静止図にも納めてすぐに自宅へ転送しておいた。喜べ。俺が今日中に帰らなかったら全世界に全てのファイルがアップされて楽しいことになるぞ。」
宇城は堂々と笑う相川に対して溜息をつくと一瞬で歩を詰め……殴った。
「がっ……」
「危ないなぁ……」
殴った側であるのにもかかわらず血塗れの手を押さえる宇城。それに対して相川は嘲笑しつつ刀についた血を払う。
「……身の程を知れ犯罪者。強制猥褻罪、しかも未成年に。……そういえば、この学校だったら殺人も試合中の事故で片付けられるんだったっけ? じゃあさっきの太腿を触っていたセクハラも試合中の事故で片付けられるか試してみる?」
カメラをこれ見よがしに宇城に見せ、それを奪おうとする宇城の腕に再び刀を突き刺して相川は嗤って瑠璃を伴いその場に背を向ける。
「じゃ、これから俺のために働いてもらいますよ先生……クックック……いいネタが手に入ったなぁ……」
「むー……何があったのか全然わかんない。仁くん教えてよー」
「……仕方ない。俺の為にもなるし瑠璃に優しい保健体育と道徳を教えるか……」
最後に後ろから襲い掛かってくる宇城の足元を相川が掬うように斬りつけてその場に宇城を放置してから二人は移動を開始した。
「ということで、相川くんの楽しい道徳の時間です。」
「わーい!」
「あぁ……kühl……」
別室で変な授業を始めた相川。尤も道徳を説くに相応しくない人物から一般的に人の同情を買い易く利用することが出来る倫理的規範についての説明が行われる。
「……ということで、べたべた触って来る奴はセクハラという行為です。まずは自分が嫌がっているという素振りを見せましょう。ハラスメントとして処理するにはそれが必要です。ただし、過度に反応すると自意識過剰と叩かれることになるから……」
「よく分かんない……」
「……簡単に言ったら瑠璃が嫌がることを誰かがして来たら嫌って言え。それでも止めなかった場合にのみ社会的に殺すか普通に殺せ。最悪どうすればいいか分からなかったら人に訊け。」
「じゃあ、いつも通り仁くんに訊けばいいの?」
瑠璃の全部丸投げの発言に相川は溜息をついた。
「あのねぇ……いつも都合よく俺が居るわけじゃないんだからさぁ……自分で考えられるように教えてるんだけど?」
相川の何気ない発言に瑠璃は黙って睨む。全然迫力がなく可愛らしい上目遣いのジト目だが、相川はイラッと来た。
「念を押すが、俺を都合よく使おうとしてんじゃねぇよ。」
「使う……?」
「……はぁ、帰る。」
「あっ……」
涼しい空き教室に取り残された瑠璃と気持ち良さそうに眠っているクロエ。気まずい沈黙がその教室を包み込んでいた。